39:将でも兵でもない者

 ニコラウスは、笑っていた。笑うしかなかった。年端も行かない少女が、初陣で、あんなふざけた魔法を唱えてロックドラゴンを撃砕したのだ。


 実際、長年魔法を研究してきたニコラウスにとって、あの詠唱は無謀極まるものだった。火は問題ない。彼女は「火を極めし者」だから、彼女の放つ火属性魔法がどれだけ強大でも納得できる。しかし、それ以外が出鱈目だった。


 彼女が詠唱した、大地からの鉄の抽出。まずこれ自体が、ニコラウスにはできない。特定物質の抽出は、「地を極めし者」の範疇だ。しかも、鉄の抽出ができても、今度は鋼の錬成ができない。これには「火を極めし者」が必須になる。


 更にはニコラウスも目にした事のない、恐ろしいほどの射出速度。美香が使った表現がニコラウスには理解できなかったが、それを仮に知っていても、あの射出速度は再現できない。あれは間違いなく「風を極めし者」が必要なレベルだった。


 つまり美香は、あの一詠唱で、「火を極めし者」「地を極めし者」「風を極めし者」が必須の三重複合魔法を構成した事になる。彼女は、鉄の抽出に「地を極めし者」が、またあの射出速度に「風を極めし者」が必要である事を知らない。先入観があれば、そんな難易度の高い詠唱を紡いだりしなかっただろう。無知だったからこそ、思いつくままに言葉を紡ぎ、やってのけたのだ。


 更には「一日の奇跡」についても、ニコラウスをはじめ、この世界の人々は誤解していた。「一日の奇跡」は「一日に一度だけ全ての属性魔法が使える」だが、ニコラウスは「一度だけ他属性魔法も使える」と理解していた。しかし、事実は違った。文字通り「一度だけ全ての属性魔法が使える」。つまり、複合魔法だろうと何だろうと「あり」だったのだ。そのため美香は、地と風、二つの非適合属性魔法を含めた複合魔法を放つ事ができたのである。


 この魔法は、秘匿すべきだ。ニコラウスはそう決断した。この魔法の詠唱には、「一日の奇跡」か「ロザリアの気まぐれ」が必須になる。「一日の奇跡」の保持者は、エーデルシュタインが把握する限りでは美香だけだが、「ロザリアの気まぐれ」となると、レアではあるが外れの素質として知られているため、保持者が把握されていない。彼らにこの魔法の存在を知られた場合、彼らがこの力の行使を自制できず、国家レベルのパワーバランスが崩れる恐れがあった。秩序の維持のために、この魔法は美香だけが行使できるものとして認識されるべきだった。




 ***


 レティシアは、目の前で起こった事実が、信じられなかった。




 頭上から聞こえた美香の詠唱の後、ロックドラゴンの体に4本の太い黒線が吸い込まれる。


 最初に、ロックドラゴンの顔前にあった岩塊が、爆砕した。続けて、ロックドラゴンの頭が爆砕する。轟音とともに辺り一面に石と肉と血が飛び散り、レティシアは慌てて腕で頭を守る。ロックドラゴンの頭を粉砕した1本は、そのまま水平に横切り、視界から消え去っていく。


 その次に目にしたのは、体が浮き上がり、横倒しになったロックドラゴンの姿だった。ほとんど垂直になったロックドラゴンの体には3本の黒線が突き刺さっている。そのうち背中よりに突き刺さった1本が、圧力に耐えきれず体の内側から岩盤を捲り上げ、肉を引き千切って体から外れると、回転しながらこれまたレティシアの視界から消え去っていく。


 残った2本とロックドラゴンの体は、まるで綿毛の様にしばらく宙を浮くと、やがてすさまじい地響きとともに地面に降り立った。その体は燃え上がり、煙が噴き出していた。


 やがて、ロックドラゴンの死とともに、体に貼り付いていた岩盤が剥がれ、地面に崩れ落ちる。ロックドラゴンの岩盤は体を構成するものではなく、「ストーンウォール」を体に纏わりつけていたようなものだった。


 呆然としているレティシアの頭上から、美香の声が聞こえてくる。


「…レティシア、大丈夫?」


 慌ててレティシアが上を見上げると、美香が馬の死体を背に、足を投げ出してだらしなく座り込んでいた。疲れ切った顔に、安堵の表情が垣間見える。


「…ごめん、ちょっとすぐには動けないわ。命の危険はないから、皆が戻ってくるまで、もう少し我慢できる?」

「ミカぁ!ミカっ!あああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」


 今頃になって自分が命の危機に直面していた事を思い出したレティシアは、狼狽し泣き叫ぶ。そして、その命を救ってくれた彼女に一刻も早く駆け寄りたくて、体を捻って、無理矢理這いずろうとしていた。




 三々五々に散らばっていた騎士達が戻って来て、救護活動を開始する。


 騎士達の救護でようやく馬の下敷きから抜け出したレティシアは、汚れた姿のまま、真っ先に美香へ駆け寄ると、そのまま美香に抱きついた。


「ミカっ!ミカっ!あり、がとう!助けに、来て、くれて、本当に、あり…が、とう…、う、うわあああぁぁぁぁぁぁん!」

「…よしよし、よく頑張ったね…」


 子供の様に泣き始めたレティシアを、美香は抱きしめられるがままに優しく声をかける。疲労しきって、まともに体の動かない美香は、まるで病気の姉が見舞いに来た妹をあやす様に、レティシアを慰めた。


 二人の様子を少し後ろで眺めていたニコラウスの脇に、オズワルドが歩み寄る。オズワルドは先ほどまで、負傷した騎士達の救命に携わっていた。彼の持つ素質「癒しの手」は近接限定の治癒魔法であり、彼の手が触れた場所は、治癒魔法と同等の効果が得られる。ニコラウスとオズワルドは、そのまま後ろに下がって、抱き合う二人を見守っていた。


 やがてレティシアがようやく落ち着くと、二人は美香の許に歩み寄る。ニコラウスがレティシアの手を引き、一旦、美香から引き離した。


「ミカ殿」


 オズワルドは、未だ足を投げ出したままの美香に歩み寄ると、片膝をつき体を屈め、美香と同じ目線に合わせる。そして、


 ――― 手の甲を翻し、美香の頬を張り飛ばした。


「オズワルドっ!あなた、一体何を!」


 多分に手加減していたとはいえ、乾いた音を立てて美香の顔が揺れ動いたのを見たレティシアは、オズワルドに対し怒鳴り声を上げる。しかし、ニコラウスに手を掴まれ、近寄る事ができない。


「ニコラウス!手を離して!」

「いけません、レティシア様」


 レティシアに睨みつけられたニコラウスは、しかし動じることなく、真顔でレティシアを見据える。予想外のニコラウスの反応にレティシアは戸惑い、彼女も動かなくなった。その耳元に、オズワルドの声が聞こえてきた。


「ミカ殿、あなたは何故、私の命令を無視した?」

「…」


 疲労で、赤くなった頬に手を当てる事もできず、美香は手足を投げ出した姿でオズワルドを見つめ、口を閉ざしている。オズワルドが言葉を続けた。


「ミカ殿、将とは命の貴賤を定める者だ。誰を救い、誰を見捨てるべきか、あなたが将であれば、先ほどの状況は歴然としていたはずだ。にも拘わらず、あなたは私の命に背いて見捨てるべき者に駆け寄り、無謀な突貫を行って、自身の命さえ危険に晒した。しかも、あなたは少なくともロックドラゴンに対峙した時には打開策を有しておらず、あの状況を覆す成算もなかったはずだ」


 オズワルドは一呼吸入れると、美香に事実を突き付ける。


「あなたは、将として失格だ」

「…」

「あなたは、将ではなかった。将であれば引き際を知り、見捨てるべき者には一顧だにせず、救うべき者のみを救う。それができないあなたは、将でなかった。勿論、兵でもない」

「しかし、あなたは民でもない。民であれば、自己を最優先に考え、あの場から逃げ出すはずだ。しかし、あなたは逃げ出そうとせず、ロックドラゴンに単身で立ち向かって行った。ミカ殿、教えてくれ。何故あなたは、それができたのだ?」


 オズワルドの、鋭い眼光とともに放たれた質問を、美香は真っ向から受け止める。怯む事無くオズワルドの目を見返した美香は、答えを口にする。




「レティシアは、私にとって、守るべき者だからです」




「それが、自分の身に余る相手であっても?」

「ええ」

「成算がなくとも?」

「ええ」

「守るべき者ごと、自分が死ぬとわかっていても?」

「ええ」


 美香の淀みない回答を得たオズワルドは、目を閉じ、やがて再び目を開く。


「ミカ殿、あなたは将ではない。もちろん、兵でも民でもない」




「あなたは、『母』なのだな」




 そう結んだオズワルドは、片膝をついたまま居住まいを正す。そして、未だだらしなく座り込んだ美香の顔を真っ向から見据え、口を開いた。


「ミカ殿、我が主君が娘、レティシア・フォン・ディークマイアーを、命を賭けて救ってくれた事、心より感謝する。この恩はいつかきっと、我が身命を賭けてでも、お返ししよう」


 そう言ったオズワルドは、片膝をついたまま頭を下げ、動かなくなった。




 動かなくなった4人にエルマーが歩み寄り、オズワルドへ報告する。


「隊長、救護及び編成準備、完了しました。出立できます」

「わかった」


 報告を聞いたオズワルドは、体を起こすと、エルマーに顔を向け返事をする。そして、美香の右側に歩み寄ると身を屈め、投げ出したままの美香の足と背中に両腕を通し、そのまま軽々と持ち上げた。


「え、ちょっと、オズワルドさん?」


 幼少の時以来、久しぶりに味わうお姫様抱っこに、美香は慌てふためく。その姿にオズワルドは見向きもせず、隊の方向に顔を向けると、声を張り上げる。


「これよりハーデンブルグへと帰投する。重傷者は荷馬車に乗せ、荷馬車を中心に円陣を形成せよ」


 耳元で大声を出され、思わず首を竦めた美香に、オズワルドが顔を向けた。


「血の匂いが拡散してしまっている。急いでここを離脱しないと危険だ。嫌だろうが、しばらくは我慢してくれ」


 いや、お姫様抱っこが嫌なわけじゃないんだけど。そう心の中で呟く美香をオズワルドは馬に乗せて自分も馬に跨ると、美香を自分の前に横座りさせて左手で肩を支え、右手で手綱を掴む。オズワルドの引き締まった体と左腕に固定された美香は、言いようのない発熱に戸惑い、目を白黒させた。


 そのオズワルドの後姿に目を向け、理不尽に膨れるレティシアに、馬を引いてきたニコラウスが声をかけた。


「さ、レティシア様、乗って下さい。出立しますよ」

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