38:ロックドラゴン
「え、何…、あれ…」
ニコラウスの後ろで、美香が呆然と呟く。
森の中から突然、直径2m以上あろうかという岩が宙を舞い、馬達を轢き潰して通り過ぎる。やがて、地響きをたてて着地した岩は、そのまま慣性に流されて転がり、やがて四散すると散弾の様に散らばり木々をなぎ倒していった。
やがて、穴の開いた森の中から、投擲者が顔を覗かせる。それは、岩の塊だった。爬虫類と思しきその姿は、しかし全長が20mほどもある大きな体一面に岩盤が貼り付き、鎧竜を思わせる重厚さを備えている。
「ロックドラゴン…」
ニコラウスの顔が険しくなる。
「ニコラウスさん、ロックドラゴンって?」
「S級、最も強力な魔物の一種です。あの、身に纏っている岩盤が厚く、とにかく硬い。それと、先ほどのロックブレスも脅威です。小回りは利きませんが、アレの侵攻を止めるのは至難です。いわば生きた破城槌と言え、アレがハーデンブルグに来たら、恐らく街壁が破られます」
ニコラウスの説明を聞いた美香は、ロックドラゴンへ視線を戻す。のっそりと全身を現したロックドラゴンは、分散した一行の中央に陣取るように躍り出た。
「輜重を下げます」
ニコラウスが説明を続ける。
「この後、オズワルド殿は、一度だけ足止めを試みるでしょう。幸か不幸か、隊が分かれ、挟撃できる態勢になっています。四肢を攻撃して、足が止まるかどうか。ただ、今の隊の兵装では、おそらく岩盤を抜く事はできません。そうなれば急ぎ撤退し、ハーデンブルグで迎撃の準備を整える他ありません。…輜重!下がるぞ!」
ニコラウスの指示に従い、輜重が撤退を開始する。しかし、森の中での荷馬車の方向転換は骨だ。相手に気取られないよう、目立たないように方向転換を開始した。
オズワルドが率いる左翼とエルマーが率いる右翼がロックドラゴンの左右に回り、各々四肢への攻撃を開始する。騎馬に乗った者はランスを用いた突貫で、徒歩の者は岩盤の隙間に何とか剣を刺しこもうと、切りつける。
オズワルドは馬を降り、ランスを持って右前足に駆け寄る。馬を降りた事で突撃力は無くなったが、馬の突貫ごときで岩盤が抜けるとは考えず、「茨の手」に頼る事にした。走り寄りながら「茨の手」を発動させたオズワルドは、勢いを殺すことなく、そのままランスを岩盤の合間に突き込む。ランスの接触面で旋風が吹き荒れ、小石が多数撒き上がり、岩盤が削られる。
しかし、抜けない。オズワルドのランスは岩盤の中央までで止まると、そこで突き入れる事も引き抜く事もできなくなった。
後方からは魔術師達が様々な魔法を撃ちかけるが、これも岩盤を抜く事ができない。岩の上ではファイアボールが蝋燭の様に体表を照らし出している。
「隊長!ブレスが来ます!」
部下の声を聞いて、オズワルドが顔を上げると、ロックドラゴンの顔前に石が撒き上がっている。地面から吸い上がった石が固まり、先ほどの様な大きな岩塊となって射出されるのだ。首は左を向き始めており、エルマーの方へ射出しようとしている。
「散開しろ!」
ロックドラゴンの向こう側から、エルマーの怒鳴り声が聞こえる。それに呼応するように、オズワルドが声を張り上げた。
「全軍!ブレス射出後に撤退する!馬を失った者を救出しろ!」
オズワルドはそう叫ぶと、突き立ったランスをそのままにして馬へと駆け戻り、後に続く左翼側の騎士達も後退し、馬を失った者達を拾い上げる。
「隊長!」
突然、騎士の一人が叫び声を上げた。その声に反応してオズワルドが振り返ってロックドラゴンを見据え、そして声が届かないにも関わらず、怒声を上げた。
「輜重!退避しろ!」
右翼側へ射出すると思われたロックドラゴンは、真正面を向き、輜重に向かってブレスを射出していた。
「退避!散開しろ!」
日頃のニコラウスとはほど遠い、切迫した声が美香の耳に飛び込む。そして直後に美香の乗る馬が左に転換し、急な制動に彼女は眩暈を覚えた。美香は振り落とされないようにニコラウスにしがみ付き、目を瞑る。
途端、背後で地響きが走り、人馬の悲鳴が交差した。
「ぐわああぁぁぁ!」
「ぎゃぁぁぁ!」
阿鼻叫喚を耳にしたニコラウスは、しかし迷う事なく、声を張り上げる。
「下がれ!散開だ!そのまま散開しろ!」
背後の呻き声をそのままに、ニコラウスは散開を指示する。その中で、美香は体の中から湧き上がる不安と焦燥を抑えきれず、落ち着かなげに周りを見渡した。
輜重隊は、半減していた。ロックブレスに半身を削り取られた輜重隊は、半数の荷馬車が粉々に砕かれ、人馬が肉塊と化している。護衛の騎馬も半数がおらず、残った騎馬達は仲間を顧みず散開を続けている。
その中に、美香の見慣れた、長く美しいブロンドの髪がなかった。
美香は、体に忍び寄る恐怖を必死に払いのけながら、見慣れたブロンドの髪を探し回る。そして、
――― 倒れた馬の下に、美しいブロンドの扇が描かれていた。
「レティシアぁぁぁぁぁっ!」
***
オズワルドは苦悩していた。輜重は半壊し、多数の死者が出ている。何人かはまだ生存している様子だが、ロックドラゴンが輜重へと向かっている。救出は困難。今取るべき事は、残存兵力をまとめ、撤退する事。幸い、馬は生存者を運ぶだけの数は揃っている。倒れた者達を見捨てれば、これ以上被害を拡大する事なく撤退する事は、可能だった。
ただ、倒れた者達の中にレティシアが居た。彼女の生死は判断がつかない。つまり、生存の可能性が残されている。主君の娘を見捨てて隊を救うか、それとも主君の娘を助けるために隊を犠牲にするか。オズワルドは懊悩する。
しかし、オズワルドの決断は早かった。彼は唇が裂けるほど噛みしめると、声を張り上げる。
「全軍、撤退せよ!」
オズワルドに統率された部隊は、これだけの混乱の中でも、オズワルドの指令に忠実に従う。一行は、次のロックブレスを避けるように広がりながら、ロックドラゴンから離脱する。
「ミカ様!駄目です!戻って来て下さい!戻りなさい!」
ただ一人、オズワルドと同じ髪の色と目の色を持つ少女だけが、逆走していた。
***
「…あ…」
気づけばレティシアは、仰向けになったまま、ぼんやりと宙を眺めていた。視線の先には木々が生い茂り、空は見えない。時折、木々の隙間を縫うように、鳥達の腹が掠め、通り過ぎて行った。
周りからは呻き声が聞こえ、遠くでは馬の駆け抜ける音が聞こえる。馬の音は近寄る事なく、むしろ段々と遠ざかっている。
レティシアは体を動かそうとするが、腰から下が動かない。見ると、血塗れの馬が横倒しになり、レティシアに圧し掛かっていた。両手は幸い痛みを感じないが、馬体を押し上げようとしても、びくともしなかった。
やがて、左から馬の駆ける音とは異なる地響きが聞こえてきた。レティシアは地響きのする方に目を向け、そして顔が強張る。
「ひぃっ…」
そこには、ゆっくりとレティシアの方へ歩み寄ってくる、ロックドラゴンの姿があった。
「誰か!誰か助けて!」
レティシアは狼狽し、左右を見やる。とはいえ、馬の下敷きになっているレティシアには、左にロックドラゴンがいる以上、右しか助けを求める方向がない。しかし、右を見たレティシアは絶望する。そこには遠ざかって行く馬の尻だけが見えた。
「あ…」
置き去りにされた事を悟り、涙を浮かべたレティシアの背後で、岩のきしむ音が聞こえる。自分の最期を悟ったレティシアは、最期の情景を見ようと、再びロックドラゴンへと目を向けた。
ロックドラゴンは、レティシアの方を見ていなかった。ロックドラゴンは胴体をレティシアの方に向けたまま、首だけ横を向いて、何かを見つめている。やがて大きく口を開けると、その口に吸い寄せられるように、地面から石が撒き上がる。
「――― 汝に命ずる」
レティシアの頭上から、聞き慣れた女性の声が聞こえてきた。
***
背後から聞こえるニコラウスの声は、美香には一切届かなかった。周りに鳴り響く馬蹄の音も、至る所で上がる悲鳴や呻き声も、充満する血の匂いも、美香には届かない。彼女の視線はただ一点、駆け寄る先に広がる、ブロンドの扇に釘付けとなっている。
そのブロンドが動いた。右に左に頭を動かし、両手で馬体を押しのけようとしている。レティシアは生きている。レティシアの生存を知り、美香の体の中を駆け巡っていた恐怖が霧散する。そして空になった血管に流れ込んだのは、ロックドラゴンに対する、熱湯の様な激情だった。
美香は体から溢れ出る激情をそのままに、こちらを向いたロックドラゴンを睨みつける。山のようなロックドラゴンとただ一人対峙して、しかし今の美香には一向に気にならない。体長20m?丁度いい。いくらノーコンの私でも、これなら嫌でも当たる。岩盤が硬い?そんなもの、それを突き破るだけの表現で魔法を紡ぎ出せばよい。入学試験より簡単な言葉遊びだ。美欧大学法学部の語彙力をなめんな。
ロックドラゴンが大きく口を開け、地面から石が舞い上がる。ブレスの完成まで、だいたい50秒。何処ぞの空賊の支度時間より10秒も長い。それまでに、先に回答を書き上げ、提出すれば良い。簡単だ、すごく簡単だ。すでに目の座った美香は一呼吸すると、一気に言葉を紡ぎ出す。
「汝に命ずる。大地より鉄を吸い上げ、灼熱を抱いて鋼の錘を成せ。その長さは我が丈を三度重ね、その底は我が丈に並ぶ。錘は四を数え、各々が青炎を纏いて我に従え」
美香の詠唱に伴って大地から黒粉が舞い上がり、渦を描いて漆黒の槍を形作っていく。黒粉は炎を纏って橙色に光り始め、橙の衣を羽織り始めた槍は白煙を吐き、次第に橙と黒のまだら模様を描きながら、巨大化する。やがて、長さ4mを越える長大な円錐が、青炎と白煙を吹き上げながら美香の頭上に4本並ぶ。
そして美香は灼熱の槍をミサイルの様に射出すべく、高くつき上げた右腕をロックドラゴンに向けて振り下ろそうと、口を開いた。
「…あれ?」
――― ミサイルって、何て表現すればいいんだ?
ここに来て突然の語彙の枯渇に、美香は慌てて脳内で辞書を開く。しかし、いかんせん開いた本が六法全書だったので、どのページを見ても相応しい語句が出てこない。涙目の美香の前を、時間が刻一刻と過ぎていく。
「…え、ちょっと待って」
前を見れば、ロックブレスはほとんど完成しており、いつ射出されてもおかしくない。終了の鐘が鳴り、運命の試験官が解答用紙を回収しに来た事を悟った美香は、せめて白紙解答だけは避けようと、思いつくままの言葉を解答用紙に書き殴った。
「―――っ!お、音速でミサイルみたいに飛んでけっ!…あ、ちょっと!今のタンマ!」
脳筋よろしく、右腕を振り下ろしながら口を滑らせた美香は、すぐに前言を翻す。しかし、現実は非情だった。美香から解答用紙を受け取った試験官は、美香の制止の声に耳を貸してくれない。美香の願いは聞き入れられる事なく、解答用紙に書かれた言葉が厳密に履行される事になる。
「…え、うわっ!」
突然、美香は凄まじい轟音と衝撃に見舞われ、後ろに吹き飛ばされた。そのままボールの様に地面を二転三転し、横たわる馬の尻に背中をぶつけて、ようやく止まる。
「痛たた…、ちょっと、音速とかミサイルとかで、話が通じるの?」
極度の疲労を覚え、馬を背に座り込んだまま起き上がれなくなった美香は、顔を上げると、そのまま固まった。
目の前には、山のようなロックドラゴンの、腹と足裏が丸見えになっていた。そして、先ほどまで自分の頭上に水平に並んでいた黒槍が、何故かロックドラゴンに垂直に突き刺さり、香ばしい肉の焼ける匂いと煙を噴き上げている。その数、2本。まるで鰻の蒲焼の様にロックドラゴンを貫通している2本の槍を見て、美香は疑問に思う。後の2本は何処行った?
直後、ロックドラゴンの向こう側で轟音と凄まじい土飛沫があがり、何本もの木々が舞い上がる。その土飛沫の中を、1本の黒槍がまるでイルカのように飛び跳ね、転がり去っていく。
やがて、巨大な蒲焼と化して無様な腹を晒していたロックドラゴンが、ようやく重力に従い、大きな地響きをたてて地上に戻ってきた。側面に2本の黒槍が突き刺さって火の手が上がったその背中は、巨人に噛みちぎられたかの様に抉れ、大きな歯型が残されている。
…ちょっと、私、何やらかした?
被害者に真実を伺いたかった美香だったが、ロックドラゴンは答えてくれそうにない。答えたくとも、頭がなければ、答えようがない。先ほどまで眼前に広がっていた巨大な岩塊ごと、霧散してしまっている。
そして、頭があった場所の遥か向こうで、最後の黒いイルカが、土飛沫を上げて飛び跳ねていた。
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