37:迫りくる脅威

「汝に命ずる。風を纏いし見えざる刃となり、我に従え。空を駆け、彼の者を刻め」

「汝に命ずる。礫を束ねて岩となり、我に従え。空を駆け、彼の者を打ち据えろ」


 魔術師達の詠唱に応じ、様々な属性の魔法が魔物の群れに飛び込む。不幸にも直撃を受けたオークが切り刻まれ、または岩の直撃を受け、脳漿を振り撒きながら仰向けに倒れる。


 残ったオーク達は、原始的な槍を持ち、討伐隊に突入してくる。その前に立ちはだかった騎士達が剣を構え、両者が接触しようとした寸前、オーク達の横合いに馬群が襲い掛かった。


 先頭を走るオズワルドはランスを構え、オークの集団を文字通り貫通して走り抜ける。彼のランスと騎馬に展開された「茨の手」がオークを巻き込み、手足を切り飛ばし、轢き潰して行く。その後ろを十数騎の部下が続き、後にはオークだった多数の肉塊が残された。


 群れの後ろ半分を削り取られたオーク達は、今度は前半分を切り飛ばされる。勢いの削がれたオーク達に対し、徒歩で突入した騎士達が数と武器の性能と彼らの素質に物を言わせ、粉砕していく。跡には一頭のオークも残らず、彼らの飛び散った肉と骨、そして鼻を衝く血の匂いが残された。


「…うぅ…」


 美香は討伐隊の後ろ、輜重と護衛隊に守られる形で、目の前で繰り広げられた惨劇を目の当たりにし、口を抑えて注視する。映画で見た惨劇とは違い、奥行きと匂いと触覚が加わった現実は桁違いのインパクトを与え、喉元に胃の内容物がせり上がってきた。それを美香は喉元で抑え込み、気丈にも目を逸らす事なく、眼前の惨状を見続ける。自分が将たる人間である事を証明するための痩せ我慢が多分に含まれていたが、それでも遠目とはいえ初めて見た惨劇を前に逃げ出さない辺り、十分に傑物と言えた。一方のレティシアも騎士の背中にほとんど隠れたままとはいえ、青い顔で恐る恐る前を見ている。


 結局、オークとの最初の会合は、討伐隊の完勝で終わった。オークが20頭程度で、討伐隊の半数にも満たなかった事、比較的開けた場所で馬が活用できた事もあるが、討伐隊側の負傷者はほとんどおらず、軽傷を負った者もすぐに治癒魔法で復帰する。一番重症だったのは精神的にダメージを負った美香とレティシアであったが、両名とも少なくとも自身で平静を努められる程度には、余裕が残っていた。


 オズワルドは、流石に初戦から美香に戦いを経験させるつもりはなかった。修練を積んだ兵であっても、初陣では強烈な精神的ダメージを受け、一部は錯乱さえする。まずは何回か戦いを見せ、血と惨劇に慣れさせて、様子を見る事にしていた。今回の討伐は、その程度によっては、美香に手を汚させずに帰投する事もやむなしと考えていた。そもそも、美香が「民」であれば、手を汚させるわけにはいかなかった。


 一方のニコラウスは、二人の弟子が青い顔をしているのを、何も言わずに見続けていた。彼はヤギの時もそうだったが、彼女達が自分自身と戦っている時は、手を貸さなかった。彼は多分に適当で時に横着な男だったが、彼なりに確固たる意思と流儀を確立し、自分の信念を持って弟子達を見守り、指導していた。




 ***


 暗闇の中で橙色に光る踊り子が目まぐるしく乱舞し、周囲を明るく照らす。時折、枝の爆ぜる音が聞こえ、小さな花火を撒き散らして観覧者の目を引こうとするが、美香とレティシアは気づかず、膝を抱えたまま、ひたすら踊り子を眺め続けている。ストーンウォールで囲われた野営地では、男達が食後の一時を思い思いに過ごしていていたが、結局一口も食べ物を口に入れる事ができなかった二人は、互いの会話もなく、じっと焚火を見続けるだけだった。


 やがて二人の目の前に、微かにかぐわしい香りの立つカップが差し出される。


「お飲み下さい。少しは気持ちが落ち着くかと思います」


 美香が顔を上げると、そこにはニコラウスがいた。彼の顔は焚火の明かりで橙と黒に色分けされ、微笑んでいるのか憂いているのか、美香には判別がつかない。


「ありがとう、ニコラウスさん」


 美香はニコラウスに礼を言い、カップを口に付ける。熱めのお茶を啜ると、口の中に淡い甘味と苦みが広がり、美香はようやく一息つくことができた。


「焦ったり、背伸びをする必要はありません」


 ニコラウスが焚火を見ながら、独り言のように呟く。


「この行軍はお二方にとって、この先の人生を左右する重要な転機です。ただ、無理に結論を出す必要はありません。あなた方は、兵とは立場が違う。あなた方は周りに流されずに、自分が為すべき事が何であるか、しっかりと見定めて下さい。私もオズワルド殿も、あなた方の足踏みに付き合える程度には、人間ができているつもりです」

「ありがとうございます。ニコラウスさん」


 エゴかもしれないが、美香は、ここはニコラウス達の温情に甘える事にした。何よりも自分の人生である。周りを気遣って、自分が後悔する事だけはしたくなかった。ここで周りに迷惑をかけたとしても、後で利子をつけて別の形で返済すればいい。そう割り切って、美香は自分との対話を続ける事にした。


 一方のレティシアは、もう少し話が単純だった。彼女の目的は、美香と共にあるべき事だった。美香の傍らにいて、美香が感じ、喜び、憂い、悲しむであろう事を共有したかった。いずれ自分が、美香の喜と楽を増幅させ、怒と哀を軽減させる人間になりたいと願っていたが、今は美香と同じ苦労を味わう事自体が、彼女の主目的だった。




 ***


「隊長、見て下さい。あそこです」


 翌日、一行は、鬱蒼とした森から突き出た崖から周辺の様子を伺っていた。オズワルドは、偵察していた騎士からの報告を確認するために、自ら足を運ぶ。


「…」


 遥か向こう、鬱蒼と茂った森の中で、鳥達が一斉に羽ばたいていく。そして、その後ろで、木々が大きく揺れ動き、時折木々が撒き上げられている様子が伺える。枝ではない。舞い上がる木々は、細いとは言え、幹だった。


「…相当大きいな」

「ええ、あれはマズいです。せめて何者が押し寄せているのか、判別だけでもしないと」


 オズワルドの、険しくも形の良い眉が跳ね上がり、木々に埋もれている怪物を睨みつける。このままの方向で進めば、いずれハーデンブルグへも到達しかねない。崖から下りたオズワルドは、待機する一行に宣言する。


「諸君、大物がハーデンブルグに向かっている。我々はこれから相手が何者であるか確認し、可能であれば撃退しなければならない。遊びはここまでだ。皆心してかかれ」

「はっ!」




 それから4時間が経過した。


 一行は輜重を後衛に配置して紡錘陣を組み、騎馬同士の間隔を空けて、索敵を行いながらゆっくりと前進する。森は鬱蒼と茂り、低木や茂みも多い。視界はかなり遮られ、一行は、突然の奇襲もあり得ると覚悟していた。


 その木々の向こうで、幹の倒される音が、かすかに聞こえてくる。


「…偵察を出す。2騎ずつ4組。15分で戻ってこい」


 オズワルドが停止命令を出し、一行に指示する。命令を受諾して一行が動き出そうとした、その時。


「敵襲!ガルム多数!」


 左翼からの報告を聞いたオズワルドは、大きく舌打ちする。


「くそ、こんな時にか!」


 左翼方向を見ると、馬上で剣を抜く騎士と、彼らに向かって押し寄せる黒犬の群れが確認された。


 ガルムは、体長1.5m程度の犬型の魔物で、群れをなす。肉食の獰猛な魔物ではあるが、ファイアボールを射出するヘルハウンドの方が脅威であり、単体であればそれほど恐ろしい魔物ではない。ただ、ガルムは一つ、厄介な素質を持っていた。


「どぅ!どぅ!」

「うわぁ!」


 ガルムが長く尾を引く独特の吠え方をすると、突然、何頭かの騎馬が慌てふためき、騎士達が宥めにかかる。それでも馬達は落ち着かず、何人かは自身の馬に振り回され、落馬する者も出る。


 ガルムの素質、それは「ブラインド」。突然盲目と化した馬達が暴れたのだ。


 ガルムの放つ「ブラインド」は強力なものではなく、ガルムの素質を知っている騎士達にはほとんどかかる事がない。しかし、馬にはかかってしまう。ガルムはこの「ブラインド」を、狩りや敵からの逃走に使っていた。


 何頭かのガルムが暴れまわる馬に襲い掛かり、喉元に喰らいつく。そのガルムの首を、起き上がった騎士が跳ね飛ばし、止めを刺す。


 左翼が混乱する中、中央からオズワルドが一隊を率い、暴れまわるガルムを一掃する。ガルムそのものは大した力もなく、襲い掛かられた騎士達に大きな負傷者はいなかったが、6頭ほどの馬が襲われ、喉元を食い千切られた3頭が立ち上がれなくなった。


 しかし、そんな事は些末だ。襲い掛かったガルムは約15頭。うち8頭を斬り捨て、残りは逃げ去った。


 そう、逃げ去った。馬にも騎士にも目もくれず、「ブラインド」だけかけて、一行を飛び越えて逃げ去ってしまった。これが意味する事は、ただ一つ。


「来るぞ!右翼はエルマー、輜重はニコラウスの指示に従え!」


 オズワルドは、右方向から聞こえてくる木々の悲鳴を耳にし、声を張り上げる。すでに広がってしまった隊を参集する余裕は残されていないと判断し、自身は左翼を取りまとめにかかる。


 その直後、主を探し回る3頭の馬が、突然森から飛び出した巨大な岩に潰され、轢き飛ばされた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る