11:焦燥と不安の狭間で
王城の荘重な通路を、一人の女性が足早に歩いていた。
上半身にほとんどの揺れのないその歩みは、厳粛で冷たい空気を放ち、近寄りがたい雰囲気を漂わせている。前方を凝視して薄い唇をきつく閉じ、胸中に渦巻く思いを抑えようと努力するその姿は険しさを増しており、元々きつい顔立ちを更に際立たせてしまっていた。
カルラは、16歳の時に王城に召し抱えられてから12年間、侍女として王家に仕えてきた。きめの細かい気配りと、完璧主義とも言える神経質なこだわりは侍女としての素養に合致し、彼女に対する周囲の評価は高い。いずれは女中頭になるであろうと目されている。
それだけ高い評価を得ていたからこそ、今回カルラは、柊也付きとなったもう一人の侍女とともに、教皇が行った17年ぶりの召喚者に対する身の回りの世話を、王家より仰せつかった。以後2ヶ月に渡り美香を仮の主人と仰ぎ、献身的な働きを見せていた。
美香の、過酷な運命に対し立ち向かう、健気で一途な姿勢は、王城の人々の心を総なめにしたが、その最もたる例が、レティシアとこのカルラだった。カルラは、10歳も年下の美香が、自分に押し付けられた運命に勇敢に立ち向かっていく姿に心を打たれ、以後、彼女の能力の及ぶ限りをもって美香を支えてきた。美香もカルラの献身的な働きに心を許し、未だに慣れない世界について、何くれとなく彼女を頼っている。その美香の、侍女に対しても気遣う鼻にかけない態度が彼女の心象を更に良くし、すでに彼女の胸中では美香の立場から「仮」の一文字が消えている。
足早に歩くカルラは、やがて一つの扉の前に立つと、二度扉をノックする。
「カルラです。ミカ様、よろしいでしょうか」
「どうぞ」
「失礼します」
中から応えがあり、カルラが扉を開ける。部屋に入ると、応接のソファに座り、前かがみでお手玉をする美香と目があった。テーブルの上には水を張った大きな盥が置かれており、その上にはお手玉を中断され、4つの小さな火球が空中を漂っている。周りを見渡すと、豪勢な部屋の各所に水を張った木桶が多数並べられており、統一された高級な家具が織りなす部屋の雰囲気を台無しにしていた。
「カルラさん、どうしました?」
「ミカ様、まずは、それを下に降ろして下さい」
美香の質問にカルラは答えず、火球を指さした腕を、下に降ろす。この件に限ってカルラにしっかり躾けられた美香は素直に火球を盥の上に移動させ、4つの火球は水面上に一列に並び、櫛団子を形成する。
延焼の危険がないと判断したカルラは、軽く息を吸うと、一気に言葉を紡ぐ。
「シュウヤ様が、行方不明になりました」
ジュッ、という音が響き、団子が消える。辺りにはすえた臭いが漂うが、二人とも気にする様子はない。
「どうして…」
「リーデンドルフ視察中に、賊の襲撃を受けました。乱戦となり、撃退はしましたが、そのさなかにシュウヤ様が湖に転落したそうです。捜索は続いておりますが、未だ見つかっておりません」
カルラの報告を聞き、しばらく呆然としていた美香だったが、やがて腰を上げると、カルラの脇を抜け外へ走り出そうとする。カルラが美香の腕を掴む。
「お待ち下さい」
「いやっ、早く先輩を探しに行かないと!」
「お待ち下さい、ミカ様。ただ今、城内にて救護隊を編制中です。僭越ながら、私から殿下に進言し、ミカ様の護衛のための騎士を参集しております。ミカ様の逸る気持ちはわかりますが、シュウヤ様の手前、ミカ様に万一の事があってはなりません。編制が完了し、ミカ様の護衛体制が整うまで、今しばらくお時間を下さい。もちろん、私も随行いたします」
報告を聞いた美香が振り返って、カルラを見据える。その瞳は不安に満ち、未だ動揺が隠せない。
「どれくらいで?」
「2時間以内には。ミカ様もお召し物のお取替えを。私がお手伝いいたします」
そういってカルラは逸る美香をなだめ準備を促すと、自分も準備に取り掛かった。
***
一行がリーデンドルフに到着したのは、すでに日が落ち、辺りに闇の帳が落ち始めようとする頃だった。この時代としては異例とも言える、たった一人のために編制された数十名の救護隊は、暗闇に負けまいと多数の篝火を焚き、到着も早々に捜索の準備を開始した。救護隊は、漁業や船上輸送を生業にした者達を中心に構成されており、泳ぎの達者な者が多い。5艘の小舟を陸送し、後方には治癒魔法を扱える魔術師等3名を含む、治療・給仕・輜重の支援部隊も用意した、徹底した体制である。また、これとは別に、救護隊及び美香の護衛を兼ね、10名の騎士と20名の兵士が同行している。
指揮本部から一歩隔てた場所に複数の天幕が張られ、その一つに美香とカルラがいた。美香は椅子に座って俯き、両手を組んで一心不乱に祈っている。その背後にはカルラが寄り添い、美香を気遣っている。天幕の周りには5名の騎士が立ち、周囲を警戒する。
天幕の向こうで男達の声が聞こえ、天幕越しに声がかかる。
「ハインリヒ殿が参りました。お通ししても?」
「どうぞ」
美香に代わり、カルラが応対する。戸張が捲れ、ハインリヒが入室する。
「ミカ殿、この度はこのような事になってしまい、誠に申し訳ない」
「ハインリヒ様!一体どうしてこんな事に!?先輩は無事なんですか!?」
「すまない。3倍近い数の敵に襲われ、手の施しようがなかった。シュウヤ殿は敵の一人と揉みあいとなり、そのまま二人とも湖に落ちた。一人はすでに発見されていて、今救護の舟が向かっているところだ」
「発見されていながら、どうして今まで救護できなかったんですか!?」
「それは…」
感情の赴くまま、涙混じりの美香に詰め寄られ、ハインリヒが言葉に詰まる。傍らにいた騎士が代弁する。
「申し訳ない。湖岸から遠く離れており、舟もなく、手の出しようがなかった。泳ぎの達者な者もおらず、二重遭難のおそれがあったのだ」
「あ…、ごめんなさい。動転して失礼な事を申し上げました。謝罪いたします。ハインリヒ様、申し訳ありません」
「あ…、いや、気にしないでくれ」
美香が自分の発言を恥じ入り、ハインリヒに深々と頭を下げる。その姿にハインリヒは慌てて言い繕い、そして動揺のあまり、余計な一言を口走った。
「しかし、転落してすでに6時間近く経過している。しかも、シュウヤ殿は隻腕だ。仮に見つかったとしても、もう…」
「ハインリヒ様っ!そんな事、言わないで下さいっ!」
「あ…、す、すまない」
再び美香に詰め寄られ、後ずさるハインリヒ。美香は再び俯くと、顔を手で覆った。美香を気遣って、カルラがハインリヒに声をかける。
「ミカ様は動揺されております。ここは私にお任せ下さい。ハインリヒ様は、一刻も早くシュウヤ様の無事を」
「わ、わかった。それではミカ殿、失礼した」
ハインリヒは慌てて席を立ち、天幕を出る。騎士が一礼し、後を追った。カルラは、その後ろ姿を見ながら、美香に悟られないよう小さくため息をつく。
カルラは柊也に対する偏見を持たない、数少ない一人だった。美香を介して柊也の考えと地道な努力を知っており、美香との関係も踏まえて、柊也を評価していた。何よりも柊也の前でしか見せない、美香の屈託のない笑顔を見れば、柊也が如何に彼女から信頼されているか理解できるというものである。美香のためにも、カルラは柊也の無事を願っていた。カルラは思考を中断し、美香に声をかける。
「ミカ様、お茶をご用意しますね。それを飲んで、少し気を楽になさって下さい」
***
深夜に入り、一人の遺体が引き上げられた。遺体は、右腕を有していた。
捜索は、篝火が煌々と焚かれる中、夜通し交代で行われ、陸と湖面の両方から続けられた。しかし、翌朝になっても、もう一人は見つからない。
翌日、美香はカルラを通じて指揮本部に掛け合い、自ら舟に乗り、捜索に参加した。一日中舟の上から湖面を見据え、何か手がかりがないか、目を凝らし続けた。さらにその翌日には崖上に張り付き、崖の端から端まで移動して、湖面を見続けた。美香の背後にはカルラと、ヴェルツブルグから駆け付けたレティシアが付き添い、美香の背中を心配そうに見つめていた。美香はその視線に気づかず、湖面と、湖面に浮かぶ舟が素潜りから戻った者の手により大きく揺れ動くのを、交互に見続けていた。
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