2:右腕喪失

 後頭部に不快な硬さを感じ、柊也は目を覚ました。


 目の前には、灰色のレンガで彩られたドームと、ステンドグラスが見える。左手が何かを掴んでいる事に気づき、左を向くと、こちらに顔を向けて目を閉じた美香が横たわっている。美香の右腕を掴んだままだ。


「古城」


 美香を揺り起こすため身を起こそうとした柊也。しかし。


「あれ?」


 右腕に力を入れても起き上がれない。右腕を持ち上げてみようとした柊也だったが。


「あれ?」


 右腕が見当たらない。


 右腕を顔の前に持ってきたつもりなのに、見つからない。思わず右肩を眺めると、肩口からスッパリ切り取られたように、右腕がない。


「うわああああああああああっ!腕がっ!俺の右腕がっ!」


 襲い掛かった絶望に震え、柊也は飛び起き、右腕を振り回す。振り回したつもりで体を動かす。しかし、さっきまであった右腕は跡形もなく、ただ肩口の筋肉の移動が見えるだけ。


 痛みはない。右腕が動いている感触もある。しかし右腕が見当たらない。


「う…ううん。…あれ?…先輩?どうしたの?」


 柊也の悲鳴を聞き、美香が目を覚ました。怪我はないようだ。


 未だ状況を理解できず、寝ぼけまなこの美香に対し、柊也は呆然とした顔でつぶやいた。


「俺の、…右腕がない」





「お二人とも、お目覚めでしょうか」


 第三者の声が聞こえ、美香が振り向く。柊也は呆然としたままだ。


 そこには、黒と金を基調とした厳かな雰囲気の衣装と金の冠を身に着け、金の錫杖を持った老人が、複数の男女を背に、佇んでいた。


「あ、あの、あなたはどなたですか?」

「初めまして。私の名は、フランチェスコ・ランベルク。ロザリア教の教皇を拝命しております」




 ***


「まず最初に、お二方には驚きの念と混乱を抱かせた事を、お詫び申し上げます」


 そう言って深々と頭を下げたフランチェスコは、話を切り出した。


「ここはエーデルシュタイン王国の首都、ヴェルツブルク。ロザリア教の聖地でもあります。エーデルシュタイン王国をはじめとする周辺国はロザリア様を奉じ、長年に渡り、一致団結して北のガリエルと熾烈な戦いを続けております」

「北のガリエルは氷と死の象徴であり、火と生を慈しむ我々は強大なガリエルに対し果敢に立ち向かっておりますが、戦いは厳しさを増しており、昨年も北方にある2つの島が氷に閉ざされました」

「このままではいずれ、この世界は氷に閉ざされてしまう。そう危機感を抱いた我々は、古から伝わる召喚の術を用い、この危機を跳ね返すことができる強大な力を持つ者を喚び出す事にしました。その結果、降臨されたのが、あなた方お二人なのです」

「どうかお二方には、この世界を救うべく、力をお貸しいただけますよう、お願い申し上げます」


 こう説明を終えたフランチェスコと背後に立つ男女は、再び柊也と美香に対し、頭を下げた。


 美香は一瞬、柊也に目配せをするが、柊也は話を聞いているものの呆然としたまま動きがない。止むを得ず、美香が応対する。


「え、で、でも、私達、ただの学生で、何の力もないです…」

「いいえ、それは違います。確かに召喚前は一般市民と変わらない力しか有していなかったかも知れませんが、この世界に召喚された際、ロザリア様から強大な力を授かっております。恐れ入りますが、これからその力を確認させて下さい」


 そうフランチェスコが締めくくると、背後に立つ一人の男が、金属の箱を手に、前に進み出た。


「恐れ入りますが、この箱に御手を触れて下さい」


 言われるまま、美香は箱に右の掌を付ける。一瞬金属の箱に青い線が走った。


「おお…」


 広間に男のどよめきが挙がる。男は最低限の礼儀を持って早足で戻り、フランチェスコに箱を覗き込ませる。


「これは…!『火を極めし者』に『一日の奇跡』まで持つとは!あなたはいわば、この世界で最強の力をお持ちです!」


 フランチェスコは、興奮した声を挙げる。その声を聞き、背後に並ぶ男女も、喜びに沸いた。フランチェスコは美香に足早に歩み寄ると腰を落とし、美香の手を両手で取りつつ伺う。


「あなたのお名前を伺わせていただけますでしょうか」

「あ…、私は、美香。古城美香です」

「ミカ殿ですね。あなたにこの世界にお越しいただけたこと、周辺諸国を代表し、心より感謝申し上げます」


 そう呟いたフランチェスコは涙を浮かべた目を閉じ、みたび頭を下げた。




 ***


 しばらく頭を下げていたフランチェスコだったが、やがて頭を上げると、柊也の方を向き、声をかける。


「恐れ入りますが、あなたのお名前も伺わせて下さい」

「…柊也。笠間木柊也」

「シュウヤ殿ですね。失礼ながら、その腕はいかがされましたでしょうか?」


 そう尋ねたフランチェスコに対し、柊也は激情を吐きつける。


「ないんだよっ!なくなったんだよっ!あんたらが俺達を召喚したせいでっ!」

「先輩っ!」


 慌てて美香が駆け寄り、柊也を抱きしめる。それでも柊也は、フランチェスコを射殺すかのように、睨み続ける。


「それは…」


 フランチェスコは絶句した。


 フランチェスコが知る限り、過去に行われた召喚魔術において、召喚された者に危害が生じたことはない。前代未聞の出来事である。


「私どもが行った儀式が、あなたに取り返しのつかない不幸を招いてしまうとは。ロザリア様に代わり、伏してお詫び申し上げます」

「猊下!」


 背後の男女が慌てて駆け寄る中、フランチェスコは柊也の前に躊躇いなく身を投げ、頭を下げる。


 高貴と思しき老人に土下座された事で、柊也の激情は空を切った。この老人に罵詈雑言を投げつけても、右腕は戻らない。柊也は、行き場のない怒りを抱きながらも、この老人に激情を吐きつけた事を悔やみ、視線を反らした。


「恐れながら…」


 横顔を向けた柊也に対し、フランチェスコを介抱する一人の女が、言葉を投げかける。


「もしかすると、シュウヤ殿の召喚がまだ完了しておらず、右腕が元の世界に残されたままの可能性も考えられます。私どもも前例のない事で、何のお力添えもできませんが、右腕を引き抜く事はできませんでしょうか?」


 そう問われた柊也は、しばらく女を見つめると立ち上がり、フランチェスコから見て左に体を向けると、弓を引くように脇を締め、右腕を引いてみる。抜けない。


 今度は右上腕の辺りに左手を添え、右腕を押さえつける動作をして引いてみる。抜けない。左手も空を切る。


 さらに左手の親指を曲げ、中にねじ込むイメージで動作を繰り返す。抜けない。親指も引っかからない。


 美香にも手伝ってもらい、右腕を引き抜く動作を繰り返した柊也だったが、結果に変わりがない事を知ると、床に座り込んで胡坐を組み、下を向いてしまう。フランチェスコが、柊也の頭頂部に声をかける。


「傷口を見る限り、肉や骨が見えず、暗黒が広がっています。シュウヤ殿が痛みを覚えていない事や、右腕を動かす感触が残っていらっしゃることを踏まえますと、やはり召喚が完了しておらず、元の世界に右腕が残されていると考えるのが妥当かと思われます。私どもにとっても前代未聞の事ではございますが、古文書を調べ、何かしらの手がかりを得たいと存じますので、今しばらくお時間をいただけますでしょうか」


 フランチェスコの言葉を受け、柊也の頭頂部が上下した。


 下を向いたままの柊也に対し、男が一人歩み寄り、膝をついて金属の箱を差し出す。


「悲しみにくれる中、誠に申し訳ありません。恐れながら、この箱に御手を触れていただけますでしょうか」


 柊也は下を向いたまま、左手を箱に添える。再び金属の箱に1本の青線が走り、


「え…」

「猊下、これは一体…」

「まさか…、いや、しかし。…そうとしか考えられない」


 箱に表示された結果を見てフランチェスコはそう呟くと、男と顔を見合わせ、次いで柊也の頭頂部を見つめる。


「残念ですが、シュウヤ殿は、ロザリア様から何も授かっておりませんでした」


 そうフランチェスコから告げられた柊也は、ようやく、力なく顔を上げるのだった。




 ***


「あの…」


 儀式が終わり、二人に宿泊施設があてがわれる段になって、美香がフランチェスコに声をかける。


「何でしょうか、ミカ殿」

「あの、私達は元の世界に戻れるのでしょうか?」


 そう問われたフランチェスコは目を閉じ、ややうつむいたまま首を左右に振る。


「誠に申し訳ありません。これまでに召喚された方々も含め、元の世界に戻る事は、一切叶いません。ミカ殿、シュウヤ殿には、ここに居る限り生涯に渡って、私どもができうる最大限のおもてなしをさせていただきます」


 そう答えた後、フランチェスコは一礼し、建物の出口へ向かう。


 右手を宙に浮かし、口を半分開いたまま動けなくなった美香と、再び下を向いたままの柊也を残して。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る