22 邂逅

八咫烏が摂津国の集落に戻ると、あれ程生い茂っていた茨の木は僅かばかりとなり、老いた見知った集落の者達が、普段通りの生活をしていた。


その中で、全く変わらない姿が一つあった。

伊賀古夜イカコヤである。


愛しくて愛しくて愛しくてたまらない妻。


八咫烏は、彼女に駆け寄ろうとして、歩を止めた。

共にいるだろう筈の娘の姿が無い事に気が付いたのだ。


伊賀古夜と共に玉造りをしている若い娘の姿はあるが、それは娘では無かった。


近寄る事を躊躇していると、伊賀古夜が八咫烏に気が付いた。


「貴方!湟咋ミゾクイよね。ああ、帰ってきてくれたのね」

伊賀古夜は玉造りの手を止めると、裳を翻して八咫烏の傍まで駆けてきて、抱きしめた。


「生きていたのね。ああ。嬉しい」


伊賀古夜は、八咫烏の胸に顔を埋め、彼の体温をしばらく感じた後、八咫烏の顔を見上げて、にっこりと笑った。


「あ、ただいま」


辛そうな顔をする八咫烏に、伊賀古夜は首を傾げ、夫の身に何事か悲しい事があったのだと思い、身体を離した。


「さ、家に入って。お腹すいてない?」


伊賀古夜は、八咫烏の背中に手を添えて、家に誘った。聞きたい事も言いたい事も山ほどあった。しかし、夫が、あまりに悲しそうな表情をしていた為、伊賀古夜は、それ以上の事を何も言えなかった。


家の中に入り、スープを飲む。

「………勢夜陀多良は…」

と、ポツリと口にした。伊賀古夜は、

「ああ、勢夜陀多良なら、お嫁にいきましたよ」

と、事もなげに言った。


八咫烏の掌から、陶器の椀が滑り落ちた。

「なちーーーーー????」


「何?」と叫びたかったのだが、彼の足に、熱いスープがかかり「熱い!」が上書きされた叫び声となった。

八咫烏は立ち上がると、スープのかかった袴を皮膚から離した。幸いな事に椀は割れなかった。


「あらあら。まぁまぁ。ちょっと待っててください。今、替えの袴を持ってきますね」


「な・な・な・嫁に行ったとはどーゆー事だーー」

袴を脱ぎ、皮膚に染みた液体を拭いながら、八咫烏が聞くと、

「え?だって。あの子ももう40近いですからね。嫁に行ってない方が変でしょう」


娘の年齢が40歳手前だという事に、八咫烏はあんぐりした。

忍穂耳オシホミミから聞いた話によると、茨に覆われていた間は、時間が止まっていた筈だ。自分が高天原に行き、一言主に誓約文を読んでもらう迄に18年が過ぎていたとして、茨のドームが消えてから、既に20年近い歳月が流れていたというのか…。


何やらブツブツと呟きながら袴を着替える八咫烏に、伊賀古夜は、

「そういえば、貴方って神だったんですってねぇ」

と言った。




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