20 熊野

「八咫烏。熊野へ行きなさい」

涙をこらえながら高木は、八咫烏に命じた。


天孫の瓊瓊杵ニニギから始まり、火遠理ホオリ葺不合フキアエズと日向を治めていた天照の血統は、ついに大倭豊秋津おおやまととよあきつへと向かった。

出征したのは、葺不合の子の五瀬イツセ御毛沼ミケヌである。


かつて天照は、瓊瓊杵が日向に向かった事で、怒り心頭に発していたが、これは結果的には良い事であった。何故なら、国譲りの後、出雲に満ち満ちていた大地のエネルギーは少しずつ餓えていったからである。

もし、瓊瓊杵があの場所をすぐに治めていたならば、

「天孫の降臨を大地は怒っている」

と、人間達からの誹りを受けていただろう。

大国主が大社に籠り、天孫も降臨しなかった為に大地が疲弊したのであれば、

「尊い者の不在による大地の眠り」

という言い訳が立つというものである。


派遣した瓊瓊杵サポート部隊の根回しにより、彼等は、さくさくと難波国の孔舎衛坂まで辿り着いた。

しかし、この地で五瀬は長髄彦ナガスネヒコの放った矢で負傷し、熊野へ向かう途中で亡くなった。


御毛沼には、日向に手研耳タギシミミという子供がいたが、彼は、

「えーっ。なんでそんな危ない所について行かなきゃなんないんだよー。俺、やだよ。ま、日向の事は俺に任せて、親父は伯父さんと一緒に行ってこいよ」

と、安楽な生活から抜け出す気はさらさら無いようだった。


つまり、もし御毛沼が亡くなってしまうと、天照の意志を組む者は、更に数代待たなければならなくなるのだ。


しかし、瓊瓊杵サポート部隊からの報告によると、大倭豊秋津の大地のエネルギーは、現在、激しく脈動しており、この機を逃すと“天孫”としての威厳を示す事が難しくなるだろう。


御毛沼しかいなかったのだ。



「この仕事を為し終えれば、起請文に書かれたは、成就した事になりますね」

と、高木は言った。


高木の下働きとなって幾星霜。

ついに、下働き下僕から解放される日が来たのである。

ここ数十年は、高木からの命令をこなすのに忙しく、高天原から茨のドームとなった集落を垣間見る暇すら無かった。


葦原中国あしはらのなかつくにに行くのなら、ちょっと集落の様子を見てからでもいいよな)


と、心の中でこっそり思ったにも関わらず、


「ああ。御毛沼達と行動を共にする間は、烏の姿でいてくださいね。決して、人型に戻ってはいけませんよ。それから、時間が空いたからといって、集落に帰る事も駄目ですからね」


と、高木から釘を刺されてしまった。


自由目前。

八咫烏は、一目散に熊野へ向かった。






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