18 善言発動

「手紙?」


一言主は首を傾げつつ、手紙を受け取った。


一言主が、天照から“はじめてのおつかい”を頼まれてから、十年以上の歳月が経っていた。神にとって、それぐらいの時間など瞬き程度の時間でしかないが、幼い体で顕現した一言主が、幼児から少年に変化するには十分な時間であった。


天照から預けられた手紙を彼が読んだ時、彼はその意味も解らず、ただ羅列された文字を一音一音読んだだけだった。しかし、十年の年月で彼は単語を覚えた。


「んぎゃぁぁぁぁぁああああ!!!」


独りぼっちの一言主が、何故、その単語をどこで覚えたかというと、禍々しきモノから仕掛けられたハニートラップのせいである。

禍々しいモノは、一言主が少年になると、淫靡なるモノを遣わした。

それは、


「うふ~ん。坊やぁ。恥ずかしがらなくってもいいのよ~~~ん。ほ~ら、私をみて~~ん。うふふ~~ん✖✖✖✖✖✖✖✖✖✖✖✖✖✖✖✖ピーーーーッしてもいいのよ~~ん。あは~~ん。ねぇ。坊やぁ。ちょおだ~~い」


と、刺激が強すぎる体勢をとり、卑猥な言葉を繰り返して、一言主を誘惑した。


美人局つつもたせなどという単語を一言主はまだ覚えていないが、淫靡なるモノの後ろには、強面の禍々しいモノがいることぐらいは容易に推測できた。推測できたからこそ、淫靡なるモノを退散させる事ができたが、その、いかにも柔らかそうな肌や、苦々しくもどこか甘ったるいような芳香や、毒々しくも吸い寄せられるモノへの興味は、日増に膨れ上がった。

しかし、淫靡なるモノが紡ぐ『恥ずかしがらなくていい』という言葉に、

(それに興味を持つ事は、恥ずかしい事なんだ)

と、思うようにもなっていた。


その淫靡なるモノが、しきりに指示さししめした恥ずかしい事の本丸。

八咫烏から渡された手紙には、その部位が燦然と書かれていた。


叫び声を上げて、手紙の細い木板をくうに放り投げたが、人様から届けられた手紙を、差出人の前で地面に落とすわけにもいかない。と、再び、握りはしたものの、


「無理無理無理無理無理無理無理無理---っ」


と、顔を真っ赤に染め、高速で頭を振り、一言主は、手紙を八咫烏に突っ返そうと、真っすぐに腕を伸ばした。


(あちゃーーっ。知恵がついちまってる)

八咫烏は、そう思った。

だが彼は、是が非でもこの手紙を一言主に読みあげさせなければならなかった。


「一言主!」

「はへ?」


いきなりの様付けに、一言主は戸惑った。八咫烏は、片膝をつくと、手紙を持つ一言主の手を両手で握り、


「かつて、一言主様が発せられし言霊は、神の誓約により悪言より善言に転じられました。悪言も一言、善言も一言で言い離つ神になられませ。言霊に宿る霊力を全き事になさる為、否が応でもこの文言を発して下さいませ」


と、昔取った杵柄ともいうべき言葉遣いで、八咫烏は一言主に上奏した。


八咫烏は、一言主にその様な力があるかどうかなど知らない。ただただ、

(ちゃっちゃとこの手紙を読み上げて、娘の呪いを解きやがれ、クソガキ!!)

という想いしかなかった。


それでも、「でも、でも、だって」を続けようとする一言主に、八咫烏はついにブチ切れ


「ちゃっちゃと読み上げやがれ!クソガキぃ!!!」


と、眉を吊り上げて怒鳴った。

その迫力に、「はいーーーーーっ」と、返事をして、ついに一言主は、手紙の文章を読み上げたのだった。



八咫烏は、一言主が読み上げたのを聞き届けると、そのまま、そこに倒れ込んだ。

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