10 八咫烏は見た

八咫烏ヤタガラスは、宇宙そらに向かって飛翔した。

今迄、これ程のスピードで空を切った事はない。


急げ

急げ

急げ


彼は頭の中で何度もそう唱えた。

神の時間と人の時間は違う。

だから、一秒でも早く“祟り”を解除して貰わなければならない。


子供が一人でウロチョロとしてたのを、

(親とはぐれたんだろう)

と、声をかけてやったのが運の尽きだった。


ああ、なんで俺は、あのガキの、妙ちきりんな格好を見て警戒しなかったんだろう。

ああそうさ。着てる服は何の変哲も無い“きぬはかま”だったさ。

だが、あのガキは、背中にリュックサックを背負い、腰帯の上から更にウエストポーチを巻き付けていやがった。

ああそうだ。あいつは、コロ付きのトランクスーツ迄引っ張っていたじゃないか。道が舗装されていないから、コロはあんまり役に立たず、後の世でシルバーカーと呼ばれる椅子にもなる手押し車とつなげて、ズルズルと引っ張っている感じだったがな。


手押し車に座って、ペットボトルから取り出したスポーツ飲料をゴクゴク飲んでいる姿に、つい、昔の自分の姿を重ねちまったんだ。


俺はもう、かれこれ10年以上、三嶋湟咋ミシマノミゾクイと名乗ってたのに、あのガキは、八咫烏ヤタガラスの住む集落を探してやがった。


天照アマテラス様の関係者以外あり得なかった。


俺は、あのガキをまいて逃げた筈なのに、

「全く迷いませんでした」

なんて、こまっしゃくれた事をぬかしやがった。


俺はもう、何が何だか解らなくなって、再び、逃げようとしたら、あのクソガキャァ。

エライ事を言ってのけやがった。


事もあろうに、俺の可愛い可愛い勢夜陀多良セヤダタラのホ……に、矢が突き刺さって死んじまうだと。

冗談じゃねぇ。


俺が殴りかかろうとすると、ガキはずいっと自分のウエストポーチを俺に押し付けやがった。


ああ、ちくしょう。

あのガキの満面の笑みと

「おつかい。できたーーー」

と、去っていった姿が忘れられねぇ。


奴のウエストポーチの中には、ぎっちりと手紙が詰まってやがった。

天照様の言い分に、俺も反省しなきゃならねぇ所があった事は否めねえ。


だがよぉ。

勢夜陀多良は、何も関係無ぇじゃねーか。

それなのに、ホ……に矢が刺さるだと。

そんな恥ず可哀そうな目に合うと解って、何もしねーなんて俺にはできねーよ。



八咫烏は手紙を読むと、どうしても捨てる事ができなかった高天原製の黒衣を身に纏い、出会った頃はまだ童女であった愛しい妻に娘の事を頼み、この集落の長である舅に妻子の事を頼むと、およそ十ウン年振りに鴉の形態をとり、高天原たかまがはらに向かって飛び立ったのだった。



かつて知ったる神殿につくと、なにやら重たい空気が流れていた。

鼻をすする音や、漏れ聞こえる小さな嗚咽。すれ違う官女は、目を赤く腫らしていたり、ハンカチで涙を拭っていたりした。


俺が廊下を歩いていても、咎める者が一人もいない。

まるで、人間界の通夜の様だった。


誰も自分の事を気にしないのを良い事に、八咫烏は大広間サロンへと向かった。何もなければ、天照を始めとする様々な神々は、そこで仕事をしてる筈だった。

まぁ、この様子だと、何事かはあったのだろうが、少なくとも遊興にふけっているという事は無いだろう。


大広間には、天照の他に、高木タカギ忍穂耳オシホミミ万幡豊秋津師ヨロズバタトヨアキツシが揃い、大きな鏡の前で涙を流していた。



滂沱の涙を流す 天照は、八咫烏の気配を感じたのか振り返り、彼に抱きつくと、


八咫烏ヤタガラスぅ。瓊瓊杵ニニギが死んじゃうよーーー」


突然、抱き着かれて困惑したが、彼等の見ていた鏡には、葦原中国地上の様子が映し出されていた。


「くっ。思金オモイカネがついていながら、なんたる事だ」

「仕方ないよ。木花之佐久夜コノハナサクヤちゃんは別嬪さんだけど、石長イワナガちゃんを妻にするのは………今の瓊瓊杵には、ハードルが高すぎるよ。僕でも同じ選択をしたと思うよ」

「でも、あの子ニニギお義母様アマテラスの孫なのよ。それなのに、いつか死んでしまうなんて……うっうっ(泣)」


鏡には、老人に怒られて、しょんぼりと山を降りていく忍穂耳によく似た青年が映っていた。


神は死なない。

しかし、八咫烏には、どうしてそうなったのかは解らなかったが、天照の孫の瓊瓊杵に、普通の人間の様に死んでしまう運命が課せられた事だけは解った。

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