さようなら、王政

第107話 黄昏皇女と自称勇者

 クロが死んでから翌日。

 私の部屋のベッドで眠っている彼は、一向に目を覚ます気配がない。


「……」


 血の気が引いて青くなった唇を見ていると、クロが死んでしまったという事実を嫌でも認識させられる。

 クロから視線を外して顔をあげると、ベッドを挟んだ対面にシロが椅子に腰掛けていた。


 私と同じようにクロの顔をじっと眺めている。

 昨夜、クロの傍らで泣いていたためか目尻が真っ赤に晴れていた。


「聞いたわ。クロがお前の弟だってこと」

「魔王から聞いたわけ?」

「ええ」


 頷くとシロは、「そっか」と天井を仰いだ。


「やっと会えたと思ったんだけどね。なんでこんな……」


 シロは悲しいのか、あるいは悔しいのか唇を力強く噛む。

 今まで生きているのかも定かではなかった弟を探していた彼女にとって、これほど辛いことはないだろう。


「ごめんなさい。シロ」

「え」


 ふと、私がシロに向かって頭を下げると、彼女はハトが豆鉄砲を食ったような顔をした。


「なにかおかしなことを言ったかしら」

「え? あ、えっと……あんたって『ありがとう』も『ごめんなさい』も絶対言わないタイプだと思ってたから……めちゃくちゃ驚いた」


「失礼ね。『ありがとう』も『ごめんなさい』も言えるわよ。ここで働いているメイドにはちゃんと『ありがとう』って言うもの」

「そうなの?」


「ええ。私が『ありがとう』と『ごめんさい』を言わないのはクロだけよ」

「ねえ、その特別扱いおかしくないかしら?」

「どこが?」


「全てがよ。普通は逆じゃないの? クロってあんたの恋人でしょ?」

「そうね」

「だったら、恋人にこそちゃんと『ありがとう』とか『ごめんなさい』って言うべきじゃない?」

「……なぜ?」

「こっちのセリフだわ」


 シロはなぜか呆れた顔で私を見てくる。

 はて、私はおかしなことを言っているだろうか?


「はあ……というか、あたしにツッコミさせないでくれる? あたしボケ担当なんだから!」

「自分で言っていて虚しくならないのかしら、それ」

「う、うっさい!」


 声を荒げたシロを私は「ふふ」と笑い、先ほどの質問に答える。


「クロに『ありがとう』を言わないのは、クロが私のためになにかするのが当たり前だからよ。クロに『ごめんなさい』を言わないのは、クロが私を許すのが当たり前だからよ」

「ねえ、どうしてクロってあんたと付き合っていたわけ? 脅迫?」


「クロには脅迫までして恋人になってもらうほどの価値はないと思うけれど」

「あんた本当にクロのこと好きだったの!?」

「ええ、もちろん。心の底から愛しているわ」

「……」


 即答すると、シロは呆気に取られたようすでぼーっと私を見つめる。

 そんな彼女に私は再び薄く笑って口を開く。


「シロ。私とクロにはそもそも『ありがとう』も『ごめんなさい』も必要ないわ。その代わりに、『愛している』と言っているから」

「うわっ、急に惚気話とかやめて欲しいわー」


 閑話休題。

 シロはやれやれと肩を竦め、話をもとに戻す。


「それで、どうしてあんたがあたしに謝るわけ? あんたが謝る必要はないと思うんだけれど」

「……クロが殺された理由は知っているでしょう?」

「次の魔王の座を狙うやつがクロを邪魔に思って殺したって聞いたわ」


「その通り。つまり、そもそも魔王なんて目指さなければこんなことには……ならなかったから……だから、ごめんなさい」

「むっ。バカにしないで。クロがあんたと結婚するために、自分で魔王を目指したんでしょう? そのことであたしがあんたを責めるわけないじゃない」


「でも、そのせいで死んでしまったのよ?」

「それはクロが自分で決めた結果よ。姉って言っても、この子が選んだ道にとやかく言う資格はないもの。ただ……もっとはやくクロが弟だって分かってたら……」


 シロがこの時、なにを想像したのか分からないが、苦しそうな表情を見て後悔していることは悟った。

 シロはそれを悟られまいとしてか頭を振り、私に向かってこう言った。


「あたしより、あんたはどうなのよ」

「どうって?」


「あんたは恋人を……殺されたんでしょう? あんたの性格だったら犯人を探して徹底的に潰しそうだけど、怒ってるようでも、悲しんでいるようでもないから」

「そう見えるかしら。これでもかなり参っているのだけれどね。魔力の制御もうまくできないから、漏れ出た魔力で外はずっと雨よ」


 窓の外に目を向けると、大粒の雨が降っていた。

 クロが死んだことを知ってすぐは酷い雷雨だったらしいが、今は比較的に落ち着いてきている。


 元々、クロは死と隣り合わせの道を進んでいたのだ。

 いつ死んでもおかしくはない。

 だから、覚悟は――できていた。


「私が犯人を探さないのはね、意味がないからよ」

「意味が……ない?」

「実行犯とそれを指示したやつが別だもの。実行犯を捕らえても意味はないでしょう?」


「それなら指示したやつを探せばいいんじゃ?」

「それも意味はないでしょうね。わざわざ魔王城でこんなことを実行したんですもの。万が一にも、自分のところまでたどり着かないように計画を練っているでしょうから」

「なによ……ずいぶんと弱気ね。黄昏皇女ともあろう女が」


 黄昏皇女か……。

 私はシロの言葉で、改めて自分の身分を認識する。

 私は魔族国の次期王女。

 魔王であるお父様の一人娘――黄昏皇女ルーシア・トワイライト・ロード。


「どうかした?」


 と、顔を伏せて考え込んでいた私にシロが心配そうな顔で聞いてくる。


「大丈夫。少し考え事をしていただけだから」

「考え事ってどんな? 悩みがあるなら、よかったら聞くわよ?」

「そうね……なら、聞いてもらおうかしら。と言っても、これは悩みではないけれど」

「?」


 首を傾げているシロに私は苦笑しつつ口を開く。


「私、最近思うことがあるのよ。もしも、私が王女という身分ではなく、クロと同じ身分だったら……なにも気にすることなく結婚できたんじゃないかと」

「え? 王女じゃないあんたに魅力があるとは思えないんだけれど?」


「お前に話した私がバカだったわ。もう絶対に話さない。口も聞いてあげないわ」

「子供か」


 そっぽを向いた私にシロが「ごめんごめん」と謝ってきたので一応許してあげた。


「まあ、あんたの立場なら一度や二度は考えそうなことよねー。でも、たらればの話なんて意味ないと思うわよ? だってあたしたちは今を生きているわけだし。あれ? 今、あたしめっちゃいいこと言ってない!?」

「たしかにいいことは言っていたわ。最後のがなければもっとよかったわね」


 私はシロからクロに視線を切り替えて続ける。


「私、今の国のあり方って本当に正しいのか疑問なのよ」

「どういうこと? 魔族国はいい国だと思うけれど?」


「そうね。他の国に比べたらいいと思うわ。でも、他と比較したらというだけの話よ。最高の国でも、最善の国でもないわ」

「つまり、なにが言いたいわけ?」


 彼女の質問に私は逡巡してから答えた。


「――この国をぶっ壊したいのよ」

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