第106話 覚醒

 僕はゆらゆらと揺れる感覚に目を覚ます。


「……ん? ここは?」


 目を開けると、僕の視界には暗い地下通路に似た光景が映っていた。


「おお、目を覚ましたか!」


 すぐ横から聞こえた声に振り向くと、僕を見覚えのある鬼が僕を担いで歩いていた。


「ええっと……看守さん……?」

「オデのこと覚えてたか」


 僕が牢屋に囚われていた時、初めて会った鬼の看守さんである。

 状況がいまいち掴めていない僕は、看守さんに担がれたまま問いかける。


「これってどんな状況なんですか……? 僕はたしか、閻魔大王に記憶の本を燃やされて……」

「安心しろ。あの本はお前の記憶じゃない」

「え?」

「あれはプラチナ様があらかじめ用意していたダミーだ」

「ダミー?」


「そうだ。そして、オデはプラチナ様の命令でお前を監獄から逃すよう言われてな。プラチナ様のお力で一時的にお前の意識を奪い、あたかも本を燃やされたことが原因で廃人になったと思わせたのだ。で、気を失ったお前をオデがここまで運んできたというわけだ。分かったか?」


「まったく分かりませんが」

「さてはお前、頭が悪いな?」

「多分、今回は僕の頭の悪さとか関係なしに展開が急すぎるんだと思います」


 僕は額に手を当てて状況を整理する。

 看守さんの話を要約するならば、プラチナが僕を助けてくれたということになるのだろう。


 それは理解した。

 しかし、なぜそんなことをしたのか、理由が皆目検討もつかない。


「どうして僕を助けてくれたんですか?」


 理由が分からず素直に尋ねると、看守さんは答えてくれた。


「お前、無実だったんだろう? 無実の魂が監獄に囚われるのは間違っているからな」

「だから、助けてくれたんですか……?」

「そうだ。すまなかったな……まともに調査もせず、お前を罪人扱いしてしまって」

「……」


 初対面の頃とは打って変わって、なんだか優しい看守さんの態度に僕は首を傾げた。


「謝るくらいなら最初から真っ当な調査をして欲しかったんですが」

「ぐうの音も出ないな。お前の左腕にある呪いを見て、不死教団の一味に違いないと思ったんだ。本当に悪かった」


 看守さんが心の底から詫びているのが伝わり、僕はこれ以上の追及はやめることにした。

 代わりに、この看守さんの反応を見て疑問が浮かんだ。


「生前調査をしなかった理由があるんですか?」

「そうだな。言い訳にしかならないが……生前調査は今、行われていないんだ」

「どうして?」

「調査なしに閻魔大王が審判を下すからだ」


 聞けば、閻魔大王は生前調査なしに自身の裁量で審判を下すのだという。

 しかも、一度下した審判を覆すことはなく、生前調査はまったく意味をなさない状態にあるという。


 いや、生前調査どころではない。

 本来、公平に下すべき審判も閻魔大王の裁量で決められるため、公平性は完全に欠けているという。


 閻魔大王が気に入った者は楽園に送られ、気に入らない者は監獄で永遠の労働力として、罪を贖った者さえも監獄から出すことはない。


「本来の冥界は、そんな場所じゃないんだ。生前の罪を監獄で償った魂は、楽園で安らかに眠る。そういう魂たちが最後に行き着く安寧の地こそが冥界だ。だが、それもあいつが閻魔大王になってから変わってしまった」


 看守さんは悲しげに眉尻を落とした。


「あいつが閻魔大王の座についてから冥界は荒れ果ててしまった。もはや、かつての冥界はなくなった」

「なるほど。それでレイヴンさんはあんなことを」


 僕は顎に手を当てて、レイヴンさんが別れ際に言っていた言葉を思い出す。

 腐敗した冥界のあり方を変える――彼はそう言っていた。

 あの時のセリフの意味をようやく理解した僕は改めて話を戻す。


「それで、結局どうして僕を助けてくれたんですか?」

「さっきも言ったが、罪のない者は本来監獄ではなく楽園に送られるからな。プラチナ様は罪のないお前をこのまま監獄に置いておくわけにはいかないと、オデにお前を監獄から逃すよう命じたのだ」


「それだけですか?」

「ああ」

「……」


 どうやら看守さんも含めて、僕が思っていたよりも良い人なのかもしれない。


「まあ、状況は分かりました。で、ここはどこなんですか?」

「ここは監獄の地下道だな。ここからなら誰にも見つからずに楽園へ出られる」

「なるほど」


「いいか? 今お前は、廃人になって使い者にならなくなったから廃棄処分したってことになっている。楽園についたらくれぐれも目立つことはするなよ? お前を逃したことがバレたらプラチナ様の立場が危うくなるからな!」

「分かりました」


 頷くと、看守さんも満足げに頷いた。


「と、そろそろ自分で歩いてくれ」


 看守さんは言って、僕を下ろした。


「いいか? この道をまっすぐだ。そうしたら梯子があるから、そこを登った先が楽園だ。オデは監獄に戻るからここでお別れだな」

「えっと、お世話になりました」

「ああ。もう戻ってくるんじゃあないぞ? っと、あとこれを渡しておく」


 そう言って看守さんが僕に手渡してきたものは、一冊の本であった。


「僕の記憶ですか?」

「そうだ。大事に持っていろよ」


 僕は看守さんから本を受け取って手に持つ。

 看守さんはこれで用は済んだとばかりに手を振って僕に背を向け、来た道を戻る。

 僕は看守さんの背中に一度頭を下げ、看守さんに言われた通り一人で暗い道を進む。


「ったく、ここに来てからてんやわんやだな」


 勘違いで監獄にぶち込まれて記憶を奪われたかと思ったら、閻魔大王とかいういかにも悪いやつが現れて――本当に冥界へ来てからロクな目にしか遭っていない。


 しかし、ある意味ちょうどよかったのかもしれない。

 今まで考えることが多すぎて、自分が死んでしまったという事実とちゃんと向き合えなかった。


 言い換えれば、後回しにできたのだ。

 だが、こうして一人になって考える余裕ができると――ふつふつと自分が死んでしまった実感が湧いてしまう。


 ここへ来てすぐはレイヴンさんのインパクトが強くて実感が湧かなかったものだが。


「そうだよな。僕、死んじゃったんだよな」


 僕は立ち止まってぽつりと呟く。

 プラチナの話では、過去に冥界と現世の境界線を踏み越えてしまったことが原因でリザレクションが効力を発揮しなかったとか。


 まあ、それはいい。

 まだ希望はある。

 閻魔大王なら僕を生き返らせることができるかもしれないと、レイヴンさんは言っていた。


 あの閻魔大王が僕にそんな融通を利かせてくれるとは思えないけれど、それでも今はこれに縋るしかない。


「なにはともあれ、まずは楽園に行ってクシャナさんって人に会わないとな」


 まずはなにをするにも冥界のことを知らなければなるまいし、シキという人物のことも気になる。

 やることも知りたいこともたくさんで気が滅入りそうだな……。


「いや、弱気になっちゃダメだな」


 僕は気合を入れ直すために自分の手で両頬を叩いた。


「……」


 ちょっと痛かった!


「よ、よしっ。行くか」


 僕は気合を入れて、改めて歩みを始める。

 待っててくれルーシア。

 必ず僕はそっちに戻って見せるから。

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