第96話 VSガスコイン
ガスコインさんがいた。
魔王のように玉座にいるわけでも、ボスらしく砦の一番奥や一番上にいるというわけでもなく。
彼はただ泰然と、砦の上階へ続く階段の中腹に腰を下ろして酒樽に入った酒を、そのままごくごくと飲んでいた。
彼は僕に気がつくと飲んでいた酒樽を置いた。
「くくく。やはり、お前さんが来たか。クロ・セバスチャン」
「……? どうして僕の名前を?」
「俺がお前さんの名前を知っているのが不思議か?」
「そりゃあまあ。名乗った覚えがない」
「くくく。特別なことなない。ヴァイオレットがシキによく似たガキを見たというから、気になって調べただけだ。そしたら、ハチベエのところで偶然バイトをしていたもんだから、ハチベエに会うついでで、お前さんを計りたかった」
「じゃあ、あそこに来たのって偶然じゃなかったのか」
「そういうことだ。だから、俺はお前さんのことを知っている。そして、お前さんじゃあ俺には勝てないことも」
「……」
ガスコインさんはじっと僕を見つめている。
僕は目を逸らさず真っ直ぐに視線を返した。
「シキに似てると言われ期待してみれば、とんだ期待外れだ」
「期待外れ?」
「ああ、だってそうだろう? 骨のあるやつかと思えば、軟弱で貧弱。弱っちい野郎だったんだ」
「勝手に期待されて、勝手に失望されても困るんだけれど」
「くくく、それもそうだろうな」
「というか、最近よく聞くようになったんだけど、シキって誰だ?」
「くくく。知りたきゃ俺を倒すことだな。様式美だろ?」
「……たしかに」
「まあ、満に一つお前が俺に勝てる見込みはないわけだが」
「当然。僕はなんの変哲もない人間で、そっちは三強の戦闘民族なんだから」
「くくく」
ガスコインさんはわざとらしく笑みを溢し、酒樽を置いたまま座っていた階段から立ち上がる。
「来いよ、クロ・セバスチャン。ここの屋上から見る景色はいいぞ?」
「……」
どうぜ拒否権はないと、僕は大人しく階段を登り始めたガスコインさんの後をついて歩く。
少し階段を上ると屋上に出た。
ガスコインさんは屋上の縁で立ち止まったので、僕も倣って隣に立つと、砦の屋上からは戦っているみんなのようすが窺えた。
「どうだ? ここはいい眺めだろう? 戦いのようすが、よーく見える。殺し合う声が、血の飛沫が、よーく見える」
「趣味が悪いんだな」
「くくく。ガキにはまだ分からないか」
「大人になっても分かりたくはない」
下では幾重もの爆発音が聞こえる。
きっとグレイやシロ、エドワードが戦っているのだろう。
三人だけじゃない。
ディオネスもレベッカも戦っている。
僕は戦場から視線を外し、ガスコインさんに目を向ける。
「どうして戦争を?」
「平和な時代とやらが気に食わないからだ。ただ、それだけのことだ。俺は戦闘民族。戦乱の時代を臨んでも、なにもおかしくはないだろう?」
「だから、わざわざ反魔族国勢力という軍隊を用意したってことか」
「その通りだ」
戦争は集団と集団で行われる。
個人と集団では、到底戦争とは呼べない。
ガスコインさんにとって、戦乱の時代を終わらせないために反魔族国勢力という軍隊は必要だったのだろう。
それほどまでに固執する戦乱の時代――はたして、彼が戦闘民族だからという理由だけなのだろうか。
「ガスコインさん――いや、ガスコイン。お前が戦乱の時代に固執する理由って、本当にそんな陳腐な理由なのか?」
「なにが言いたい?」
「別に」
僕がシレッと口にすると、ガスコインは「くくく」と笑う。
「お前がなにを考えているのかは知らないが、俺が戦乱の時代を臨むのは俺が戦闘民族であるからだ。俺の身体は常に闘争を求めている――戦争を起こす理由なんて、それで十分だ」
ガスコインは言いながら、戦場から僕に目を向ける。
「さて、クロ・セバスチャン。戦いを始めよう。と言っても、俺とお前じゃあ戦いにすらならないと思うがな。それでも、俺は俺の前に現れた敵は誰であろうとも殴り飛ばず。それが俺の流儀だ」
「っ!」
ガスコインのセリフを聞いた直後、気がつけば僕はうつ伏せに寝転がっていた。
咄嗟に起き上がろうとするが体に力が入らない。
視線だけ動かすと、僕の腹部から尋常ではない量の血が流れ出ていた。
腹部に触れてみれると、そこにはあるはずの感触がない。
そう――まるで腹部に拳大の穴でも空いているような、そんな感覚。
「っ……!」
「おい、今のはちょっとした挨拶のつもりだったんだがな。挨拶程度で瀕死になってもらうと、流石に困るぞ。なぜなら、これ以上の手加減ができないんでな」
「ぐっ……うっ……」
「くくく。しかし、痛みで泣き叫んでもいいところだが、よく叫ばないものだ。少しでもギャーギャー叫ぼうものなら、踏み潰してやろうと思ったんだがな」
「はあ……はあ……」
我ながら情けないが、痛すぎて叫ぶことができなかっただけだ。
痛くてむしろ意識がはっきりする。
これほど痛い目に遭ったことはない。
ガスコインは地べたで丸くなっている僕の顔を足で踏む。
「弱そうだとは思っていたが弱すぎるぞ。お前は一体、なにをしにここまで来たんだ?」
「……っ! ぼ、くは……! お前に……一言っ! 言いに来たっ!」
「ほう? 一言ねぇ」
ガスコインは興味深そうに頷くと、僕を踏んでいた足を退けるや否や、おもむろに僕の頭を鷲掴みにして体を持ち上げた。
体が宙を浮き、首だけで体を支える状態になったため、首がギチギチといやな音を立てる。
「くくく。面白い。その一言とやらを言ってみろよ」
「ぐっ……!」
体の至るところが悲鳴をあげて、体の内側から燃えるような痛みが継続的に走る。
加えて、ガスコインは徐々に僕の頭を掴む手に力を込めて、僕の頭を握り潰そうとする。
「ほら、どうした? はやく言わないと……このまま頭が潰れるぞ? くくく」
「っ――」
僕は頭を鷲掴みされて視界が遮られながらも、わずかに指と指の間から垣間見えるガスコインの顔を睨みつける。
すると、ガスコインはこれまた興味深そうに頷いた。
「ほう? 死にかけている癖に、いい目を見せる。お前、死ぬのが怖くはないのか?」
「あ、のなぁ! 世の中には……死ぬよりも、怖いことがあるんだっ……!」
僕は鉛のように重い左腕を必死にあげて、僕の頭を鷲掴みにして今にも握り潰そうとしているガスコインの手首を掴む。
「はあっ……! ガスっ……コイン! お前、本当は怖いんじゃあないのかっ!?」
「怖い、だと? 一体、この俺がなにを恐れているというのだ?」
「時代がっ……変わること!」
「なに……?」
僕はガスコインの手首を掴んだ手に、ありったけの力を込める。
「お前は恐れているんだろう!? 不安なんだろう!? 戦乱の時代が終わることに怯えているんだろう!?」
「怯えているだと? 一体、なにを根拠に」
「戦乱の時代が終われば! 平和な時代が来る! そうなれば、戦闘民族である自分の存在意義が、存在価値が、なくなる! 誰からも必要とされなくなる! それが怖いんじゃあないのか!?」
「っ!」
「だからお前は戦乱の時代を終わらせたくなかった! だからお前は反魔族国勢力という軍隊を必要とした!」
「戯言を抜かすな!」
「そう思うなら聞き流せ! それができないってことは図星なんだろうが!」
「お、お前っ!」
「お前は戦闘民族だから、体が闘争を求めてると言った! それだけなら戦争なんて起こす必要はない! お前がどこかの誰かと勝手に戦えば済む話だから! それでもお前は戦争を起こしたかった――それは時代が変わることを恐れているからだ!」
指の間から垣間見えるガスコインの表情が大きく歪んだ。
「その口を今すぐ閉じろ! さもないとこのままお前の頭を握り潰すぞ!」
「やってみろ! やれるんもんなら今すぐやれよ!」
「くっ!?」
ガスコインの方が圧倒的に有利なはずなのに、ガスコインはたじろいだ。
僕は構わず続ける。
「ふざけんな! お前の勝手で何人が犠牲になってると思ってるんだ! 戦場でみんなが必死に戦っている姿を見て笑ってんじゃねえ!」
「このっ……俺は三強のガスコインだぞ! 誰に向かって口を聞いていると思ってやがる!」
「なにが三強だ! そんな肩書きに頼らないと、死にかけの人間ひとり黙らせられないやつが、偉そうにふんぞり返ってんじゃねえ!」
体が痛い。
声を振り絞るほどに全身を激痛が襲う。
それでも僕は止めない。止められない。
「いいかっ! よく聞きやがれ! お前がなにをしようとも、どう足掻こうとも! ルーシア・トワイライト・ロードがいる限り――時代は変わるぞ!」
「――」
言い切った。
言いたいことを言ってやった。
もう声を振り絞る力はない。
完全に出し尽くした。
空っぽだ。
これが僕にできる全て。
ちっぽけで、なにもできない弱い僕ができる最後の抵抗。
もう――満足だ。
僕は目を閉じ、今か今かとその瞬間を待つ。
数秒、数分か――どれくらい経っただろうか。
待てども待てども、その瞬間は訪れない。
気になって目を開けてみると同時に、ガスコインが鷲掴みしていた僕の頭から手を離したため、僕はお尻を地面に強打する。
刹那――全身に激痛が走った。
「いっつ〜!?」
僕は尻餅をついた状態で目の前に立つガスコインに目を向けると、ガスコインはおもむろに背中から地面にドサリと倒れてしまった。
僕は彼の行動を見て呆気に取られてしまった。
「な、なにをして……」
「くくく。いやぁ、なに。いい一撃をもらっちまったからなぁ。だから倒れた。それだけだ」
「意味が分からない……僕はなにもしてない」
「いいや、俺はお前からたしかに図星を突かれた。だから俺は倒れた。致命傷だ」
「……」
僕は唖然と、仰向けに倒れているガスコインをぼーっと眺める。
ガスコインの表情はどこか清々しそうであった。
「くくく。そうか……俺は、時代が変わることを恐れていたんだなぁ。お前に言われて、納得しちまった」
「自分の気持ちに……気づいてなかったのか?」
「ああ、そうみたいだ」
「……」
いつかに日、ハチベエ師匠がガスコインのことを不器用な男だと言っていた。
きっと、そういうことなのだろう。
「あー情けない。三強ともあろう者が、時代の移り変わりを恐れて戦争を吹っかけたなんざ、末代までの恥だ。そう考えたら、自然と俺は負けを認めていた。完敗だ。クロ・セバスチャン」
「完敗って……大袈裟な」
「くくく。なあ、クロ・セバスチャン。どうして、俺自身すら分からなかった、俺の心を見抜いた? 単なる当てずっぽうには見えなかったが」
問われた僕は起き上がっていることもできなくなり、ガスコインと同じように仰向けになる。
「……別に、特別なことはなにも。ただ」
「ただ?」
「ディオネスがさ。同じことで悩んでいたから」
妹のディオネスも、時代が変わることを不安に思っていた。
平和な時代が来れば、自分のように戦闘しか取り柄のない存在は必要なくなるのではないかと。
だから、僕はガスコインも同じように考えていると思った。
それを話すと、ガスコインはげらげら笑った。
「くくく、そうか。妹が同じことをね。ほとんど確証なんてないじゃねえか」
「まあ、そうだけど。でも兄妹ってそんなもんなんだろ? ディオネスとガスコインは似てるなって思ったし」
「どこが」
「不器用なところ」
「……ふんっ」
ガスコインは詰まらなそうに鼻を鳴らした。
「あーあーくだらない理由で負けちまったな。完璧に黒歴史だ。三強なんざ名乗るのも恥ずかしい」
「そうだな」
仰向けになって曇天を眺めていると、ぽつりぽつり雨が降り出した。
「……もう戦争は終いだな」
「……そうしてくれ」
やがて、僕の意識が徐々に遠退いていき――視界は完全にブラックアウトした。
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