第93話 妹、微笑む

 一万近い不死身の兵士たちを落とせる大きな落とし穴をどうやって作るのかと思って、僕も現場に赴いてみると、ディオネスが「心配ない」と言った理由が分かった。


「すう……はあ……っ!」


 広い平原の真ん中で、ディオネスは深呼吸した後に、槍を持って右肘を曲げ、力瘤を作る。

 すると、ボコっと右の上腕に太い血管が走ると同時に筋肉が膨れ上がった。


「はあああ! 『地崩し』!」


 ディオネスはそう叫び、右手に握った槍を下から上へ振り抜く。

 刹那、蓄えられた膨大なエネルギーが解き放たれ、ディオネスが槍を振り抜いた直線状の地面が深く抉り取られていた。


「さて、これで落とし穴の土台は完成。あとは兵に仕上げさせるだけ」

「……」


 僕は頬を引きつらせた。


「もう本当になんでもありだな」


 これよりも強いガスコインさんってどんなレベルなのだろう。

 もはや想像できない。

 そういえば――。


「なあ、ディオネス」

「む? なんだ?」

「僕、今の『地崩し』って技に似てるやつ見たことあるんだけど」

「ほう?」


「たしか、『国崩し』だったかなぁ。ディオネスは使えないのか?」

「なぜそんなことを聞く?」

「いや、あっちは地割れとか起きてたからさ。その不死身の兵士とやらも、さすがに地割れの中に落ちたら戻って来られないだろ?」


「なるほど。しかし、残念ながら無理」

「なんで?」

「筋肉が足りないから」


 筋肉の問題なのか?


「そもそも、『国崩し』を使えるのは戦闘民族の中でも極少数……貴様が見たのはヴァイオレットのものだな?」

「うん」


「あの筋肉ダルマは兄上の右腕と言われるだけあって強い。戦闘民族の中でも五本の指に入る実力者。正直、兄上だけでも絶望的だというのに、あの筋肉ダルマも相手にしなければならないのは――かなり面倒」

「ふーん?」


「まあ、たとえ『国崩し』が使えても今回は使えない。あれは強力だが、無差別に被害が出る。味方を巻き添えにする可能性がある以上は使える手ではない」

「そっか」


 ともあれ、こうして作戦は順調に進み――翌日。

 時間は正午ジャスト。

 北西砦のある森林部からやや離れた平原にて、魔王軍およそ十万と反魔族国勢力およそ一万が睨み合うように対峙していた。

 僕や黄昏組の面々はその後方で荷馬車に乗って待機していた。


「いよいよか……」


 天候は曇り。

 やや暗い空気の中、開戦の合図は放たれた。


「かかれ!」


 ディオネスの怒号にも似た声が轟くと同時に魔王軍が動き出す。

 それに呼応して敵軍が前進。


「くはは! 動き出したな! おい大将よ! 準備をしろ。予定通りならば、すぐに陽動部隊が不死身の兵士どもを落とし穴まで誘導してくる。そうなれば――」

「そうなれば?」

「俺様たちも出陣だ」

「……」


 僕は荷馬車に荷台で頬を引きつらせた。

 荷台には僕の他にも北西砦へ乗り込む黄昏組のメンバーとディオネスがいる。

 さすがに、みんな戦い慣れしているのか顔色ひとつ変えていない。


「なんだろう。僕、異世界に転移しちゃった気分なんだけれど」

「くはは! まあ、戦いとは無縁の生活を送ってきた大将には、別世界に見えるかもしれんな。だが、これも現実だ。しかと目に焼き付けておけよ? 平和はこのようにして、多くの屍の上に立っているのだ」

「……」


 それから間もなくして、予定通り陽動部隊による誘導が成功し、敵の大多数が落とし穴に落っこちる。

 魔王軍の兵士たちは空かさず上から土をかけ始め、僕たちを含めた主力部隊がディオネスの「進め!」という叫び声で前進を始める。

 エドワードは「シュナイダー!」と手綱を引いて馬車を走らせる。


「さて、ここまでは予定通りですわね」

「こんなにうまく行くもんなのねー。生意気小僧が考えた陳腐な作戦の割には」

「おい、シロ。生意気小僧って僕のことだろ喧嘩売ってんのか。あと、陳腐は余計だ。そんなことは自分が一番よく分かってるよ」


「生意気小僧は生意気小僧でしょ!」

「あはは、君たち、仲良いね? 兄妹みたい」

「「兄弟じゃない」」


 僕とシロはグレイの発言に対して、同時にツッコミを入れた。

 シロは苦々しい顔で続けてグレイにこう言った。


「あとグレイ! それを言うなら姉弟って言ってちょうだい! 兄妹だと、まるであたしがこいつの妹みたいじゃない! あたしの方が歳上なんだから!」

「あ、そうなの? シロの方がやんちゃで子供っぽいから歳下だとばかり思ってた」

「ぷっ」

「今、あんた笑ったわね!? ほんと生意気!」


「わっ! ちょ……アイアンクローをするのはやめろ! 地味に痛い!」

「ちょっとお二人とも! 馬車が走っている最中にあまりお喋りしないでくださいまし! 舌を噛んで死んでしまいますわよ?」

「いや、注意すべきはそこじゃない気が……」


 ディオネスが困惑しているが――それはともかく。


「ふむ。どうやら前方ではすでに我が軍の主力と敵の主力が激突しているようだな」


 エドワードの言葉に顔を上げると、前の方で火柱が上がっていた。

 おそらく軍の前方で指揮を執っているゼディスさんのものだろう。


「ここはゼディスに任せて、私たちは予定通り別行動を始める。エドワード」

「くはは! 合点承知である!」


 ディオネスの指示でエドワードは手綱を引き、僕たちは主力部隊から離脱して別行動を開始。


「くはは! ここまでは予定通りであるな! 予定通り!」

「……さっきから執拗に予定通りって言葉を耳にするんだけれど。この先なんだか不安になるからあんまり言わないで欲しいだけど」

「くはは! 安心しろ大将! それはここにいる全員が思っていることだ!」


 みんなに目を向けると一様に肩を竦めてていた。


「まあ、ここまで予定通りですと……ね?」

「あはは。そうだね。こう予定通りだと、えてしてこの先で予定外なことが起こるものなんだよ」

「つまり、予定通りはフラグってわけ! ちゃんと覚えておきなさい!」

「……」


 三人の言葉に僕は空を仰いだ。

 空が青い……いや、今日は曇空だった。青い空が恋しい。

 と、ここでディオネスから「えっ」と素っ頓狂な声が聞こえた。


「予定通りはフラグ……? そんなバカな」

「おい、エドワード。ここにひとりだけ、予定通りがフラグってことを知らないやつがいたぞ」

「し、知っていたが!?」


「ダウトだぞそれ」

「くっ!? しかし、予定通りがフラグだというのなら、一体この先にどんな予定外が出てくる!? はっ! まさか突然、この荷馬車が爆発をっ!?」

「言うな。それがフラグになったらどうするんだ」

「あら、そんなことを言っていたら、早速予定外が発生ですわね」


 と、レベッカが指を差したのは荷馬車の後方。

 見ると、僕たちの存在に気づいた敵の魔法兵が、僕たちに向かって魔法を放とうとしていた。


 僕たちは現在、完全に主力部隊から離れ、大きく外側から敵軍の内側へ回り込もうとしている最中だ。

 予定外というより、これは予測できる範囲内。

 だから、みんなに慌てたようすは一切なかった。


「くはは! 予定外上等! レベッカ!」

「ええ、分かっていますわよ。追手はわたくしが抑えておきますわ。その隙に北西砦へ」


 レベッカは言って、走る荷馬車の上から飛び降りた。

 追手が現れた場合は順次、ここにいるメンバーが足止めをする手筈になっている。

 僕は走る荷馬車の上でレベッカの背中をじっと眺めながら呟く。


「心配だ。大丈夫かな。レベッカ」

「くはは! 心配するな大将よ。レベッカは俺様の妹なのだぞ? あの程度の輩たちに負けるはずがあるまいよ。そんなに心配ならば、馬車が遠ざかるまでしかと我が妹の活躍を、その目に焼き付けるがいい!」

「……」


 言われた通り、レベッカのこと見ることにした。



 荷馬車から飛び降りた後、レベッカを敵の兵士たちが取り囲む。


「へへ、ずいぶんと可愛いお嬢ちゃんじゃねえか」

「うふふ、敵ながら嬉しいことを言ってくれますのね?」


 レベッカはどこからか扇子を取り出し、口元を隠して妖艶に微笑む。

 その姿に男たちが固唾を吞む。

 レベッカはそんな彼らに向かって、妖艶な微笑みを浮かべながら――。


「『チャーム』」


 ヴァンパイアが持つという異性を魅了し、傀儡にする力を発動する。

 かつてはクロを傀儡として、黄昏皇女を意のままに操ろうと画策したものの、なぜか当のクロには効果がなかった力である。


 レベッカがヴァンパイアクイーンの力を発動すると、彼女を取り囲んでいた男たちが軒並み手にした武器を落とし、魔法を放とうとしていた魔法兵も脱力して、魔法の発動を中断する。


「さて、それではあなた方は全員――自害なさい」


 レベッカの短い命令に傀儡となった兵士たちが笑みを浮かべ、「おおせのままに!」と口々に言って、それぞれが持つ武器などで自害する。

 そうしてものの数秒でレベッカの周囲が血と屍の海と化した。

 レベッカはその中心で、「ふう」と息を吐く。


「……今ならどうしてクロ様にわたくしの『チャーム』が効かなかったのか分かりますわ」


 彼女は肩を竦めて続けて呟く。


「わたくしよりも魅力的だと思う女性に魅了されているのですから、わたくしに魅了されるわけがない……ふふ。クロ様はとても一途な男性なのですね。わたくしも、そんな殿方に愛されてみたいですわ」


 レベッカは自嘲気味に笑うと、再び戦場に戻った。



「つよっ……」


 僕はレベッカが一瞬で周囲を取り囲んだ兵士たちを殺したことに戦慄した。


「くはは! だから言ったであろう? 心配はないとな!」

「……」


 僕は上機嫌に笑うエドワードを他所に、今度からもっとレベッカを敬おうと心に誓ったのだった。

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