第81話 黄昏時の魔王城

 そんなところに、


「ずいぶんとだらしない表情を浮かべているようだね? クロくん」


 どこからともなくアイリスさんが現れて声をかけてきた。


「あ、アイリスさんだ。こんにちは」

「うむ、こんにちは。見ていたよ。いや〜よかったよかった〜。無事にクロくんとお嬢様の関係が進展しているみたいで」

「盗み見なんて行儀が悪いですよ」


「盗み見とは人聞きが悪いものだ。私はたまたま通りがかっただけさ」

「そうですか」

「しかし、ちょうどいい。クロくんに話があったんだ」

「僕に?」


 聞くと、アイリスさんは頷いた。


「ほら、温泉国へ行く前に話したじゃないか。死なずの研究のこと」

「あー言ってましたね」

「くれぐれも気をつけるように言ったはずなのに、ますますお嬢様が死なずの研究に興味を持つような展開にしてどうするんだい?」


「え?」

「聞いたよ? あのグレイという娘、死なずの研究についてかなり詳しいみたいなじゃないか。お嬢様が彼女を配下にしたのは、そういう意図もあると思うんだ」

「……」


 言われてみれば、たしかにそうだ。

 勘違いとはいえルーシアが自分に喧嘩をふっかけてきた相手を簡単に許すわけがない。

 あまつさえ、それを配下に加えるなんてことは今までのルーシアであれば考えられない行動だ。


 優秀な人材を――なんてのは方便で、本当は死なずの研究に関して、情報収集をする意図が含まれていたとしても不思議ではない。

 まあ、憶測にしかすぎないけれど。

 僕は心配そうにしているアイリスさんに向かって頭を振った。


「考えすぎですよ」

「そうだといいのだけれどね……。まあ、なにはともあれご苦労様。反魔族国勢力に関してはこっちに任せて、クロくんはゆっくり休んでくれたまえ」

「そうさせてもらいます」


 言うと、アイリスさんは笑みを浮かべてどこかへ歩いていった。

 僕は今度こそ城門から外へ出て、魔王城を後にする。

 外に出ると、空はすっかり黄昏に染まっていた。


 ひとまず、ルーシアが魔王と話をしている間、手持ち無沙汰なため待っているだけというのも退屈だ。

 少し魔王城の周りをぶらぶら散歩でもするかと思い立ったところ、ふと魔王城と市街地を繋ぐ橋の上に、沈みゆく夕日をぼーっと眺めているディオネスの姿を見つけた。


 黄昏に輝く空と彼女の健康的な褐色肌は妙な親和性があった。

 あのディオネスが橋の上で夕日に向かって黄昏てるなんて珍しい。

 だからだろうか。


 いつもならディオネスを見かけても僕からはあまり声をかけないのだが、珍しく黄昏てるディオネスに好奇心が勝って声をかけたくなった。


「お前が夕日に向かって黄昏てるなんてらしくないな」


 と、彼女の背に声を投げると、彼女は首だけわずかに振り向いて僕を一瞥した。


「……なんだ。貴様か」

「なんだとは酷いな」

「どこの無礼者かと思えば貴様か」

「……」


 相変わらずの無機質で、抑揚のない声音でそんなことを言ってきた。

 僕は人ひとり分の間を開けてディオネスの隣に立つ。

 ディオネスはそれを鬱陶しそうにしながらも邪険にすることはなく、ため息を吐くだけで何も言わなかった。


「……私とて、たまには黄昏たくなることもある」

「そうなのか。悩みがあるのなら聞くけれど。と言っても、聞いたところで悩みを解決できるわけじゃないから、文字通り聞くだけになるけど」

「悩み……。私は別に悩んでいるわけではない」


「そうなのか」

「ただ、少し不安なだけ」

「不安?」


 意外な言葉に僕は首を傾げた。

 ディオネスはぼーっと夕日を眺めながら続ける。


「私は戦闘民族。戦うために生まれた。それ以上でも以下でもない。だが、時代は変わる。戦乱の時代は魔王様が世界統一を成し遂げたことで終わろうとしている。そうすれば、次に来るのは平和な時代。そうなれば、戦うしか能のない私は必要ではなくなる。要らなくなる。私の居場所がなくなってしまうんじゃないかと」

「だから、不安ってことか」


 ディオネスは静かに頷いた。


「ふっ……笑たければ笑うといい。こんなことで思い悩む程度の低い女だと」

「別にそんなことは思わないけれど。お前の悩みは誰もが抱く悩みだろうしな」

「そう……なのか?」


「うん。自分の存在価値を問いたくなるのは僕だって同じだ。僕はお前みたいに戦う力すらない。なんの取り柄もない普通の人間なんだ」

「そこまで卑下することもないと思うが」

「いいや、僕は本当にダメダメだ。今回それを思い知った」


 僕は温泉国での一件を思い返して自嘲気味に笑う。


「僕に比べたらディオネスは百倍マシだよ」

「しかし、平和な時代に私は本当に必要な存在なのかどうか……」

「そうだなぁ。僕が思うに、平和な時代にこそディオネスは必要だと思うけれど」

「平和な時代にこそ?」


「うん。平和だ平和だーなんて言っても、誰がどこでどんなことを考えているかなんて分からないじゃないか。結局、平和を作るのも、平和を維持するのにも力は必要になるんだよ。抑止力としてな」

「抑止力としての力……か」

「だから、ディオネスが要らなくなるなんてことはありえないだろうさ。むしろ、僕の方が要らない子だろうしなぁ」


「ふっ……そんなことはない。貴様を必要とする者はいる。お嬢様がそうだ。少なくとも世界中が貴様を不必要だと言おうとも、お嬢様だけは貴様を必要とする」

「そうかな。そうだといいな」

「そうだ。きっとそうだ。貴様はそれだけの絆をお嬢様と築いてきたはず。だから、もっと自信を持つといい」


「僕がディオネスを励ましていたと思ったら、いつのまにか僕が励まされていたとは」

「ふっ、貴様に励ましてもらうほど私は落ちぶれていない」

「さっきまで黄昏てたやつが偉そうに」

「う、うるさい!」


 と、次の瞬間――。

 ドカーン!

 という爆発音が轟いたかと思ったら、ルーシアの「お父様のバカ!」などという罵声が魔王城の方から聞こえてきた。


「……」

「……」


 僕とディオネスは頬を引きつらせながら魔王城を見上げた。


 結局、こうなるのね……。

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