第57話 その頃の幼馴染


 クロが旧人間国に言ってから1日が経った東南砦某所。


 あまり景色がいいとは言えない砦の屋上に、テーブルと椅子を置いてティータイムを楽しんでいたルーシアはソワソワと落ち着かないようすで貧乏ゆすりを繰り返していた。


「……クロ……大丈夫かしら」


 組んでいる脚を組み直しては貧乏ゆすり。

 また組み直しては貧乏ゆすり。

 その繰り返しである。


 それをルーシアの向かいに座っていたベルベットが見かねて声をかけた。


「そんなに貧乏ゆすりをしていると貧乏になりますよ」


「大丈夫よ。お金がなくても生きていけるから」


「お嬢様はそうでしょうけれど……クロくんが心配ですか?」


「ええ、とても心配だわ……クロは頭の回転は早くてもちょっと天然おバカだから、なにかやらかさないか心配で心配で仕方ないわ」


「それブーメラン刺さってますよ……」


「ねえ先生? 私のどこがラーメンなのかしら?」


「お嬢様。ブーメランです」


 自覚がなかったとベルベットは肩を竦める。


「お嬢様だって昔からよく問題を起こしては叱られていたではありませんか。ベルベットの授業も、よくサボってはクロくんと遊んでいましたし」


「そんなこと言って先生ったら、気づかない間に寝ているじゃない。目がとs時ているから寝てるのかどうかも分かりにくいし」


「それは……その……お日様がぽかぽかしていると、どうしても眠くなってしまいまして……」


 ベルベットはルーシアから向けられる視線に顔をそらした。


 そんな彼女にルーシアが呆れ混じりのため息を吐く。


「はあ……心配だわ。クロ……」


「そこまで心配なさらなくとも大丈夫ですよ。彼の筋金入りの無神経さは伊達ではないのをご存知でしょう?」


「それ褒めてないと思うのだけれど……」


 ベルベットはクスクスと口元に手を当てて笑う。


「あ、お嬢様。紅茶のおかわりを淹れます」


「ええ」


 ベルベットはテーブル上のポッドを手に取り、そっとルーシアのティーカップに紅茶を注ぐ。


 ルーシアはその紅茶の香りを楽しみながらソーサーから取って、


「そういえば先生。クロのことが好きみたいだけれど、浮気がダメよ」


「え」


 驚愕してポッドを持ったまま固まるベルベット。


 それを他所にルーシアは優雅に紅茶を楽しむ。


「あ、あの……お嬢様? なんの冗談ですか?」


「冗談? 冗談じゃないわよ。私、浮気を許せるほど寛大じゃないもの。できれば先生を”うし”でどうこうしたくないから……絶対にやめてね」


「いえいえいえ! そこじゃなくてですね!? べ、ベルベットがクロくんのことを好きってところですよ!」


「……違うの?」


「違います! 私、クロくんが赤ちゃんの時から知ってるんですよ!?」


 そんな相手に恋心なんて抱くはずが――とベルベットが続けようとしたのを、ルーシアが手で制した。


「別に隠さなくてもいいわよ。クロが好きなだけじゃ怒らないから」


「だ、だから別に好きでは……」


 ベルベットが否定するもルーシアは聞く耳を持たず、むしろ認めようとしないベルベットに苛立ちを覚えたのか、手に持ったティーカップを乱暴にソーサーへ置いた。


「先生ともあろう人が見苦しいのだわ。私が気づかないとでも思ったの? 私は魔族国を治める未来の女王なのよ?」


 ――国のことはもちろん魔王軍の幹部7人には気を配っている


 ルーシアの意外な発言にベルベットは思わず呆然としてしまったが、すぐに薄く笑みを浮かべた。


 それは差し詰め母親が子供に向ける慈愛に満ちた笑みで、


「……大きくなられましたね」


「ねえ先生。ちょっといい話風にして話題を変えようとしないで」


「あ、バレました……?」


 こうしてベルベットの作戦は虚しく散ることとなり、頬を朱色に染めたベルベットは座っている椅子の上で恥ずかし気に縮こまる。


「うう……そ、そうです……私は年下のクロくんの恋をしてしまったダメな大人です……どうぞ罵ってください!」


「なぜ急にロータスみたいなことを言い出したのか分からないけれど……別に恥ずかしがることなんてないと思うわ。誰かが誰かを好きになるなんて当たり前のことだもの」


「……」


 ベルベットは首を傾げた。


 なんだろう。


 今だ子供の作り方も知らない生娘のルーシアが、大人びた台詞を口にしたことが不思議で仕方がない。


 その不思議な違和感の正体に、ルーシアと長い付き合いであるベルベットはすぐに気がついた。


 ――これはあれですね

 ――自分に恋人がいる人間の余裕みたいな


 そういう感じの余裕というか。

 つまり、「恋人いる私勝ち組だから」的な。


 率直に言えば自慢である。


「ふふん」


「……」


 ベルベットはドヤ顔しているルーシアに顔をジト目で見ながらため息を吐いた。


「とにかく先生。クロを好きなのは別に構わないけれど、もし誘惑したら問答無用だから」


「わ、分かってますよ……なにもしませんから……」


「ふふ……それにしても恋人とはいいものね。なんだか毎日が楽しいの。先生も早く作るといいわ」


「……」


 決定的だ。

 やっぱり、ベルベットをダシにして「私が羨ましいでしょ?」と悦に浸っている。


 なんてたちが悪いのだろう。


「ああ、そういえば先生」


「はい? なんですか?」


「先生はどうしてクロのことが好きになったのかしら? なにかきっかけでもあったのかしら?」


「きっかけですか……そうですねぇ……」


 ベルベットは閉ざされた目蓋の裏側に数年前の出来事が想い起こされる。


 それを思い出したベルベットはクスリと可笑しそうに笑った。


「……? なぜ笑っているの?」


「ああ、ごめんなさい。ちょっと思い出し笑いを……ふふ。ベルベットがクロくんを好きになった理由ですか……」


 別にたいそうな理由があるわけでもない。

 たいそうな出来事があったわけでもない。


「ただ……他人が聞けば些細なことですよ。ほんの些細なことです」


「ふーん……? 話してはくれないのね」


「大切な思い出ほど自分の中に留めて置きたいものですから……それに”恋敵”に話すことでもないかと」


「……」


 ベルベットは言った直後――和やかだった空気が一変。


 やや暗雲が現れる。

 ルーシアは己の首筋に鋭利な刃物を当てがわれた感覚に眉を潜める。


  ――気を抜けば一瞬で首を落とす


 そう言わんばかりの覇気を、ルーシアはベルベットかた感じ取った。


「……そんなにクロのことが好きだとは思わなかったわ。まさか私に歯向かうなんて」


「申し訳ございません……でも、クロくんに迫るつもりはありませんよ? だって、クロくんの目にはお嬢様しか映っていませんから……」


 だというのに、一体なにが不満なのか。

 こういう形でベルベットに釘を刺す必要など、どこにもないというに。


 それをベルベットが尋ねると、ルーシアは不安げな表情で自分の肩を抱いた。


「……不安なのよ。だって、私はこんな性格だから『ありがとう』も『ごめんなさい』も素直に言えないし……いつもクロには迷惑かけてばかりで……いつか嫌われないかって……」


「お嬢様……」


 自覚あったんだ……。


 内心でそう呟いたベルベットだったが、当然口には出さずに呑み込む。


「お嬢様? クロくんはそういうところも込みでお嬢様が好きなんだと思いますよ? だから、そんな不安にならなくても……」


「今はいいのよ? でも時間が経ったらどんどん飽きれられるんじゃないかと思うと怖いのよ……。もし、私よりも愛想がよくて可愛い女が現れたらと思うと……気が気じゃないわ」


「……」


 なるほど。


 たしかに、ルーシアの心配も一理あるかもしれない。


 魔王軍の幹部に共有されているクロの個人情報――クロは巨乳でスタイルがいい女性が好き――という観点からルーシア以上のバストとスタイル。


 それに加えて、素直で愛想のいい女性が出てきたら簡単に鞍替えする可能性も――なきにしもあらずな気がしないでもない。


 ちょっとベルベットとルーシアのクロに対しての信頼度が低い気がするが……sれはともかく。


 ベルベットは少しだけ思考を巡らせてかたこんな提案を出した。


「……なら、クロくんが無事に任務を達成して帰ってきたらご褒美をあげてみては?」


「……ご褒美?」


「はい」


 ベルベットは涙目のルーシアに苦笑しつつ、ご褒美について説明するのだった。

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