第58話 地下牢の姫君


 僕が旧人間国に潜入し、マッサージ師として売り込んでから早くも1週間が経った。


 とにかく信用を勝ちとろうと、来る人来る人を僕ができうる最大限のマッサージを施した。


 もちろん、マッサージだけではない。

 マッサージで重要にはコミュニケーションも大事だ。


 マッサージによる効果を最大限引き出すには、相手がどこの部位を痛めているのかなどを正確に把握しておく必要がある。


 相手とコミュニケーションを取りながらマッサージをして、時には愚痴なんかも聞かされながら、時には自慢話をされながら、適当に相槌を打った。


 その結果、この1週間でとにかくたくさんの人をマッサージした。


 おかげでなかなか好感触――割と信頼は得られた


「クロさんは聞き上手」


「クロさんは天才」


 とかなんとか、周りから褒められた。


 なんだろう。


 今までこんな風に認めてもらえたことがなかったから、ちょっと嬉しかった――それはともかくとして。


 見事に信頼を勝ち得た僕はお城に入る許可を得た。


 いっそのこと王様にもマッサージして上手くいけば信頼を得ようと試みたけれど王様には会えなかった。


 まあ、なにはともあれここまでは怖いくらい順調だ。


 お城の中に入れるようになった僕は、さっそく件のエルフの姫についてお城勤めの兵士の人にマッサージ中尋ねてみた。


「あ〜エルフの姫ですかぁ。うほ! そこ気持ちいいっすわぁ〜さすがクロさん……何回受けても素晴らしいマッサージですねぇ」


「褒めてもお金はもらいますよ」


「分かってますって〜。それで、エルフの姫でしたっけ?」


「は。なにか知ってるんですか?」


「ええ、まあ……あれはうちらの生命線ですからねぇ」


「……どこにいるかとか知りませんか?」


「この城の地下には有事の際に王族を逃すための地下水路があるんすけど、そこに地下牢もありましてね? その地下牢の奥にぶち込んでるらしいですぜ?」


「地下牢……」


「そうそう〜。でも、なんでそんなことを聞くんです?」


 僕は少しどう答えるべきか悩んだ。


「んー……ちょっと一目でいいからこの目で見てみたいなと。姫というからにはお美しいんだろうなって」


「あ〜なるほど〜。クロさんも男っすね〜」


「まあまあ……それで、どうにかしてその姫と会ってお話しできないかと」


「それならこの城に神職がいるんで頼んでみたらどうっすか? クロさんなら多分連れてってくれますぜ?」


 神職……?

 神職というとたしか、教会で神の祝福を受けた人のことだっただろうか。


 なんでも聖なる力を扱うことができてアンデットに対して特攻を持つとか……。


 アンデット系魔族の人たちの天敵と聞いたことがある。


 はて、そんな人と地下牢になんの関係があるのかと尋ねたところ。


「知らないんすか? 地下牢には――出るんすよ。マジもんの幽霊が……」



「はっはっは。あなたが今噂のマッサージ師であるクロさんですか。素晴らしい腕前だと聞いておりますよ」


「いえ、それほどでも」


 僕は神職の男に相槌を打ちながら暗い地下水路を歩く。


 明かりとなっているのは男が持つランタンのみ。


 他に明かりはないのだが、時折視界の端で青白い炎みたいなのが現れては消えてを繰り返していた。


 人魂だ。


「いやーそれにしてもここは本当に怨霊が多い……ここはみな怨霊を怖がって近づかないんですよ」


「そうなんですか」


「ええ。普通ならエルフの姫なんて上玉がいれば、男どもが寄ってたかって行くというのに……ここへ入れられたせいか、手を出したくとも手を出せないと男ともが嘆いていましたよ」


 ……まあ、エルフの姫としては辱めを受けずに済むから逆に幸運だったでしょうが。


 男はそう言って笑った。


「というか、クロさんはまったく怖がっていませんが怨霊の類に耐性がおありで?」


「まあ、慣れてるんで」


 アンデット系の魔族とその他のアンデットの違いは、生まれながらにしてアンデットなのかそうじゃないかという違いだけで大きな違いはない。


 その点、魔族の人たちですっかり見慣れているから、人が死んだ霊程度は別に怖いと思えない。


 僕の返答に男は、「肝が据わってますね〜」と再び笑った。


「でも、迂闊にここへ入らないでくださいね? ここの怨霊たちは本気でやばいので、神職である私が側にいなければたちまち襲ってきますから」


「そんな危険な場所にいて、エルフの姫は大丈夫なんですか?」


「ええ。エルフの姫が入れられているのはご加護で守られた神聖な牢ですから。怨霊どもは姫に近づくこともできませんよ」


「なるほど……」


「ここへ姫を入れたのは、万が一にでも姫が逃げられないようにするためなんですよ。ここならば神職以外は無事に奥の地下牢まで辿りつけませんし、姫の牢を逃げ出そうにも外の怨霊に襲われてしまいますからね」


 内から逃げることも外から助けることもできない――なるほど、これはなかなか完璧な場所に閉じ込められたものだと僕は肩を竦めた。


 少なくても僕一人で助け出すなんて不可能だ。


「というか、なんでここはこんなに怨霊がいるんですか?」


「ああ〜それはですねぇ……魔族との戦争が始まったばかりの頃、この場所でとある研究がされていたんですよ」


「研究ですか?」


「ええ。『死なずの研究』です」


「不死身を研究してたってことですか?」


「そうですね。人間よりも魔族の方が遥かに強靭的で強力な存在ですからね。だから、死なずに永遠と戦える不死身の戦士を作ろうとしていたのです」


 しかし、結果はこの通り。


「死なずの研究は失敗……人間を不死身にするのは難しいということでここは使われなくなりました」


「つまり、ここの怨霊たちは当時実験台にされた人たちってことですか」


「お察しがいいですね……その通りです」


 なんとも気分の悪い話だと僕は天井を仰いだ。


 すると、天井にクモみたいな姿勢で天井に張り付いた怨霊が僕を凝視していた。


 目玉が飛び出さんくらいに目を見開き、真っ赤に充血した瞳でじっと僕を見ている。


『ウラメシィ……ウラメシィ……』


「……」


 もしかして僕を呪おうとしているのだろうか。


 だとしたらとんだ八つ当たりである。


 僕が天井に張り付いている怨霊に「うへぇ」と顔を歪ませていると、


「着きましたよ。この先にエルフの姫がいます」


 地下水路の先――地下牢となっている場所のさらに奥。


 そこには男の言う通り、ほんのりと神秘的な光に包まれた一角があった。


「今見えている光が怨霊払いの光ですから、ここから先は安全ですよ」


「そうなんですか」


「ええ。それでは、私はこちらで待ってますから……ご用が終わったらまたこちらに戻ってきてください」


「あ、はい……」


 最後までついて来ないんだと思って一人で先に進むと、背後で怨霊の「んぎゃああ!」という断末魔が聞こえてきた。


 どうやら怨霊を退治しているらしい……。


 僕は気にせず地下牢の奥へと進み――見つけた。


「……誰だ」


 僕の存在に気づいたのか、地下牢の中で座っていた人物が長い金髪の髪を揺らしてこっちを振り向いた。


 腰まで伸びた金髪を頭の後ろで1つに結んだ髪型。


 エルフの特徴的な尖った耳。


 白く透き通った肌は簡素な麻の囚人服だけで覆われていて、見えてはいけないところが見えそうになっている。


 長身で見目麗しい金髪碧眼の美女――まさにエルフの姫に相応しい高貴さを身に纏っていた。


 ただ切れ長な目をしているからか若干目が怖い……。


「……僕はクロ・セバスチャンという名前で……あなたがエルフの姫でしょうか?」


「……私を知らないでここへ来たのか? もしや、ぬしは旧人間国の人間ではないな……?」


「よく分りましたね……」


「ここの人間どもとはニオイが違いからな」


「ニオイ……?」


 僕ってそんなに臭いだろうか。


「まあよい……ぬしの言う通り、いかにも我が森エルフの姫――エルフィーナ・フォレスト・クリーンだ」


 彼女はそう名乗ると立ち上がり、牢の前に立つ僕の近くまで歩み寄る。


「して……クロと言ったな。ぬしは何者なのだ?」


「実はかくかくしかじかで」


「いや、それではまったく通じないのだが……」


「あれ。いついかなる時でも、時間がない時は全てこれで説明を省くことができる『かくかくしかじか』が通用しないとは……」


「なんと……それが噂の『かくかくしかじか』だったか。すまん……我ら森エルフにはその文化がなくてな」


「いや文化の問題なんですかこれ……?」


「というか、ぬし……なかなかいい素材だ……ふむ、受けにピッタリな顔をしているではないか……!」


「ごめんなさい。マジでなにを言ってるのか分からないんですが」


「ふっふっふ……これは妄想が捗る……!」


「ちょっとなにを言ってるのか分かってしまった自分がいやだ!」


「ほほう……? ぬしも我の言葉が理解できる者と見えるな。どれ……我と腐の道を極めぬか?」


「お断りします」


 森エルフの姫は――ちょっとあれな人だったが……それはともかく僕はここまで来た経緯をエルフィーナさんに説明した。


「なるほど……チャリオッツを懐柔して戦争を終わらせようと……」


「はい。それで、あなたを助ければなんとかなるかと思ったのですが……」


「それは難しいだろうな。ここはぬしも知っての通り、怨霊住み着く危険な場所……我をここから出すことは神職以外不可能だ」


「そもそも、地下水路の入り口もちゃんと兵士がいるんで……」


「先ほどの話では、ぬしは本当に普通の人間らしいな」


「はい。本当になにもできないです」


「なら……期待はできねか……」


 エルフィーナさんはそう言って自嘲気味に笑うと、


「……なら地上に戻ってチャリオッツに伝えて欲しい。我のことは気にせず生き残った森エルフたちを連れて魔族国へ逃げよとな」


「……あなたはどうするんですか?」


「人質の価値がなくなれば殺されるだけだろうさ」


「……」


 エルフィーナを見ていると、彼女の肩がやや震えているのが分かった。


 気丈に振る舞ってはいるが死ぬのは怖いのだろう。


 そう思っていたら、


「我のような腐り者はここで腐って死ぬ定め……む? 今のなかなか上手いことを言えていなかったか?」


「ぜんぜん上手くないです。頭の中腐ってるんですか……?」


「腐女子だけに……?」


「今まであえて言わないようにしてたのにどうして言っちゃうんですかね!?」


「いや、我は自分は腐っていることに関しては誇りを持っていてだな?」


「そこにだけは誇りを持って欲しくなかった」


「いやいや、好きな物を好きとはっきり言うのは大事だろう? だから、我は声高らかに言おう……我はBL好きだと!」


「そこだけは身のうちに隠して欲しかった」


「ちなみに、我のお気に入りはチャリオッツなのだが……」


「はいはい……どうせ攻めに向いていて妄想が捗るとかおっしゃるんでしょう?」


「いや、逆に受けもいいではないかと……あの強靭的な肉体からは想像できないだろう?」


「高度すぎてついていけないので話題を変えてもよろしいですか?」


「まあ、待つのだ。実はこういったことを話せる話し相手は珍しくてな」


「そりゃあそうでしょうよ」


「少しでいいから話し相手になってはくれまいか? ここに入れられてからロクに生きている相手と話していないからな」


「……」


 そう言われてみればその通りだ。


 ここにはほとんど人が来ないという。


 食事と水は1週間分をまとめて運ばれてきて、話しをする間も無く帰っていってしまうという。


 というか、自分たちを隷属している相手とそもそも話しをしたくもないし――ということで、生の相手の会話するのはかなり久しぶりとのこと。


「だから無理は承知だ……もう少しだけ我に付き合って欲しい。もしかしたら、これが最期の会話になるやもしれんからな」


「……」


 僕は少し悩んで――エルフィーナさんに付き合うことにした。

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