第16話 うし

 レベッカの悲鳴が聞こえたのかドタバタと地下室の扉が蹴破られる勢いで開いた。


「どうした! なにかものすごい悲鳴が……」

「あ」


 エドワードと目が合った。

 両手の拘束が解かれた僕と、僕の近くでビクビクと体を痙攣させているレベッカ――なんだこのすごいギリギリな表現。


 それはともかく、そんな光景を目の当たりしてしまったエドワードは、しばらく口を半開きにポカーンとしていたのだがすぐに眉を顰めた。


「き、貴様! 俺様の妹に一体なにをした!」

「……マッサージ?」

「なぜ疑問形なのだ……?」


 エドワードは気を取り直すためか、こほんと咳払いする。


「く、くはは! ただの人間と侮っていたがなるほど黄昏皇女のお気に入りなだけはある。貴様、さては実力を隠していたな?」

「そんな事実はないんですが」


「くはは! とぼけても無駄だ! レベッカを倒すとは見くびっていたよ。悪かったな。貴様は黄昏皇女のお気に入りに相応しい実力を持っているみたいだ」

「過大評価はやめてくれ」


 切実に願ったがエドワードは相変わらず僕に耳を傾けず、一人でスラスラと話を進める。


「くはは! いいだろう! レベッカの代わりにこの俺様が相手をしてやろう!」

「僕をシチューに納める話はどこに……」


 あ、間違えた手中だった。

 そんなくだらないことは置いておいて……とても困ったことになった。

 エドワードは僕の話を聞かないし、レベッカは相変わらず「アヘアヘ」言っていて、とっても困った。


 どうやってこの場を切り抜けるか……。

 ぐるぐると打開策を考えていると、再びドタバタと地下室の扉が開け放たれた。

 現れたのは、いかにもエドワードの配下っぽい男だった。


「エドワード様! た、大変です!」

「む? なんだ。俺様は今忙しい!」


「大変なんですよ! い、今……黄昏皇女が――」

「見つけたわ」


 と、男が言いかけたところで上から被せるように凛とした声音が地下室に響き渡る。

 見ると、地下室の門口にルーシアが立っていた。

 黄昏色の髪に電気を走らせ、ルビーの双眸を紅蓮に燃やす――憤怒に身を任せたルーシアが立っていた。


 うわぁ、怒ってるなぁ。

 エドワードは突然ルーシアが現れたことに驚いて目を白黒させる。


「なっ……黄昏皇女⁉︎ なぜここに……」

「なぜ? 決まっているでしょう? それを取り返しにきたのよ」

「おい。僕をそれ呼ばわりか」


「当たり前よ。お前は私の物だもの。そして、お前の物は私の物。私の物は私の物よ」

「理不尽」

「それより、そんなところでいつまでも寝ていないで、さっさとこっちにいらっしゃい」


「足が拘束されて動けないのが分からないのか」

「拘束? 鎖で繋がれているだけじゃない。そんなもの引きちぎればいいだけよ」


 脳みそが筋肉すぎる。


「き、貴様ら! 俺様を無視するな!」

「あら? いたの? 存在感のない男ね。えーっと……なんと言ったかしら? パパイヤロード?」

「ヴァンパイヤロードだ!」


「そうだったわね。ヴァンパパイヤロード」

「ヴァンパイヤロードだって言ったばっかりだろうが!」


 そうだよな。ルーシアって面倒くさいよな。分かる。分かるぞ、エドワード。

 僕は理解者ができた嬉しさでついつい笑みをこぼす。

 それが気に食わなったみたいで、エドワードがギロリと僕を睨んだ。


「なにがおかしい!」

「なんでも」


 僕はそっぽを向いてシラを切った。


「くそ! 俺様をバカにしやがって!」

「あら……バカにしているのはどっちかしら。この私の所有物を勝手に持っていったお前の方がずっと私をバカにしているわ」


 ビリビリと、地下室内に電撃が走る。


「お前には牛がお似合いよ」


 そう言って、彼女がヒールの踵で床を叩くと、地面から金属製の牛が出現した。


「な、なんだそれは⁉︎」


 などと、エドワードが驚いた一瞬で、彼はパカッと開いた牛のお腹から出てきた鎖に体を絡め取られ、そのまま牛のお腹の中に引き摺り込まれる。

 そして、牛の立つ地面から炎が吹き出し、牛が熱されると――。


『モオオオオオオオッ!』


 雄牛の鳴き声が、地下室一杯に轟いた。



 後日談というか……まあ、そんな感じの話をしよう。

 ルーシアに助けてもらった後、地下室を出たら真っ黒に燃えた屋敷の跡地が視界に広がっていた。


 おそらく、ルーシアが地下室へ来る前に焼き払ったのだ。

 僕はいつもの如くルーシアのお茶を用意し、テーブルに湯呑みを置く。

 ルーシアは相変わらずボロ椅子の上に脚を組んで座り、ズズッとお茶を啜った。


「それで? エドワードはどうなったんだ?」

「私の物に手を出したんですもの。一族郎党ぶっ潰したわ」

「やりすぎだろ……許してやれよ。ちょっとした出来心だったんだと思うぞ」


「ねえクロ。忘れているかもしれないから一応言っておくけれど、私は魔王の娘なのよ? 次期女王なのよ? その私に粗相して罰がないわけないでしょう?」

「それを言ったら僕、何百回死んでるんだろうなぁ」


「ふふ。なら、殺されないようにせいぜい私の機嫌を取り続けることね。クロ」

「……」


 僕は包丁で野菜を切りながら天井を仰いだ。

 はやくこいつ帰らねえかなぁ。


「ああ、そうだ。女王で思い出したんだけれど」

「あら、なにかしら」

「ほら、今の女王。お前のお母さんって今なにやってるんだ?」


「お母様? お母様ならまた世界を飛び回っているんじゃないかしら」

「ふーん。じゃあ、最近会ってないんだな」

「ええ、そうね」


 ルーシアは答えながらお茶を啜る。

 僕はそんなルーシアを尻目に、彼女の母親のことを脳裏に思い浮かべた。


 アスタリア・トワイライト・ロード。

 あの魔王や暴れん坊将軍よろしくルーシアですら頭の上がらない、この魔族国の女王であり――魔王の妻であり、ルーシアの母親にあたる人物である。

 現在は、外交で国を魔族国の首都から離れており、ほとんど家には帰って来ない人だ。


 そして僕は、この人がとても苦手だ。

 アスタリアさんはルーシアから戦闘力を奪った代わりに知性を上げて、ついでに傲慢さを底上げしてプライドで全身を塗りたくったみたいな人だ。


 つまり、やべぇ人だ。

 とにかく厳しい人で、ことあるごとに娘のルーシアに英才教育を施そうとする鬼だ。

 幸いあまり家にいない人だったけれど――アスタリアさんが家にいる間、ルーシアも魔王もそれはそれは大人しくなる。


 僕が苦手としているのはディオネスの時と同じで、アスタリアさん方がプライド僕みたいな平民をあまり好ましく思っていないらしくて、ルーシアと僕が一緒にいることを快く思っていない。


 ふと、昔のことを思い出した。

 僕とルーシアが、仲良くなってきた頃こと。


『ねえねえ! クロ! 私、電撃魔法を覚えたのよ! すごいでしょ?』

「へぇ、。どんな魔法なんだ?」

「えっとね〜」


 魔王城の中庭。

 草花に囲まれたそこで僕とルーシアは遊んでいた。

 普通は僕みたいな一般庶民の子供が入れるわけがないのだが、魔王の特別許可で入城を許可されていた。


 というのも、この頃から魔王の娘の片鱗を見せていたルーシアは、次々に魔法を覚えていって、もはや幹部レベルでも彼女を御せなくなっていた。

 覚えたての魔法をぶっ放して魔王城を壊したりなんて日常茶飯事。


 ただ僕と一緒にいる間は大人しいということで――つまり、口では言ってこなかったがルーシアの世話係を押し付けていたのだ。


 思い出したらムカついてきたが……それはともかく。

 しばらく二人で遊んでいると、そこにアスタリアさんが現れこう言った。


『ルーシア。いつまで遊んでいるの? 早くお部屋に戻ってお勉強なさい』

『あ、お母様! お母様! 聞いてください! 私、電撃魔法を覚えたのです!』


 と、ルーシアは嬉しそうにパタパタとアスタリアさんのもとを走り寄り、得意げにそんなことを言った。


 誰がどう見ても、子供が親に「すごいわね」と、褒めてもらいたい言動なのだが――この時アスタリアさんはなにを思ったのか、自分の額に手を当ててため息を吐いた。


『はあ……だから、どうしたというの?』

『え? あの……私、新しく電撃魔法……』

『そんな些細なことで私の時間を取らないで。くだらないことで喜んでいる暇がのあるなら、もっと自分を磨きなさい』


『え、あ……お母様……私……』

『いいわね?』

『……はい』


 ルーシアが俯き、とぼとぼと城の方に向かって歩いていくのを見て、アスタリアさんは僕をキッと睨んだ。


『クロちゃん。あなたも、もう用がないなら帰りなさい。ここは魔王城。本来なら、あなたが立ち入っていい場所ではなくってよ』


 これはもう遠い昔の記憶。

 アスタリアさんにとっては些細な出来事――けれど、僕にとっては印象的でルーシアの寂しそういな表情が、しばらく頭から離れなかった。


 それから、アスタリアさんは仕事であまり家には帰ってこなくなったけれど、たまに帰ってきたかと思えばルーシアに説教ばかり。


 あれをやれ、これをやれと、ルーシアに厳しく――冷たく当たっていた。

 その度、ルーシアは寂しそうにしていたことを僕はよく覚えている。


「クロ……? クロ?」

「ん?」


 ふと記憶の海から戻って来るとルーシアが不思議そうに首を傾げていた。


「なにか思い詰めたような表情をしていたけれど、なにを考えていたの?」

「いや、別に」

「そう? ならいいけれど」


 ルーシアはふっと柔らかな笑みを浮かべて、お茶の注がれた湯呑みに口をつける。

 まあ、今この時くらいはこいつが寂しくならないようにしてやるか。

 そんな感じで僕がもう少しだけルーシアに優しく接してやろうと思ったところで、


「クロ。お茶がなくなったのだわ。早くおかわりを用意なさい」

「……」


 やっぱりこいつ早く帰らねえかなぁ。

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