第12話 口癖の理由

 さっきまではいなかった。

 大きな門の前にそれはいた。


 現れたのは三つの頭を持った怪物、筋肉隆々の四肢、獰猛な牙、真っ赤に光る眼球、存在そのものが恐怖を体現したかのような――そんな怪物。


 もう頭で考えるまでもなかった。


「っ! 逃げるぞ! ルーシア!」

「は、はいっ!」


 僕はルーシアの手を引いて一目散に逃げ出した!

 しかし、僕たちが十歩走った分を一歩で進む巨大な怪物は、大きな前脚で僕の行手を阻んだ。


『グルルッ』

「な、なんなんだこの怪物!」

「め、冥界の門にはそれを守るケルベロスという番犬がいると本で読みましたわ!」


 ケルベロスが守るのは、正確には冥界の門ではない。

 彼の役割は冥界に足を踏み入れた魂を冥界の外に出さないこと。

 僕とルーシアは踏んでしまった。


 冥界の門を、冥界の地を。

 だから、ケルベロスは僕たちを追いかけた。

 追いかけ回した。


「こいつ……!」


 逃げ惑う僕たちを見るケルベロスの目は三日月に歪んでいた。

 殺そうと思えばいつでもその前脚で押し潰せるのに。

 ケルベロスがそうしないのは、逃げ惑う僕たちを見て遊んでいるからだ。


 やがて、ケルベロスは僕を前脚で地面に押さえつけた。

 ルーシアも、もう片方の前脚で地面に押さえつけられ、僕たちの身動きは奪われた。


「このっ離せ!」


 と、僕が抵抗するとケルベロスの頭が動いた。


『グルルッ』

「っ……」


 ケルベロスの大きな口が開いた。

 僕を丸呑みできるほど大きな口が開いた。


 あぁ、喰われるんだろうな。

 僕は悟って目を閉じた。

 両親に捨てられ魔王に拾われた命。


 いつ死んでもいいと思っていたけれど……いざ死ぬとなると、やはり少し怖かった。

 目を瞑っていてもケルベロスの吐く生臭い息で、少しずつ近づいているのが分かる。

 そして、僕がケルベロスに食われるまで残り数センチとなった時だった。


「やめて! その人を食べないで!」


 というルーシアの叫び声が轟くと同時に空から誰かが落ちてきた。

 その人物はケルベロスの頭上に着地し、


「よっこらっせい!」


 あろうことかケルベロスの首根っこを掴んで自身の何倍もある巨体を、片手でぶん投げて見せた。


『きゃいん⁉︎』


 ケルベロスは悲鳴をあげながら宙に投げ出され、その巨体を地面に横たえた。

衝撃が僕の方まで届いて髪が風で流される。


「フハハ! よく頑張ったな坊主!」


 その声に顔を上げると、僕の目の前に魔王が立っていた。


「魔王……」

「フハハ! 間一髪だったなぁ」

「お、お父様あああ!」


「おおっと、よしよし。俺が来たからにはもう大丈夫だからな」

「……」


 僕は魔王の胸の中で泣き噦るルーシアを見ながら、ほっと安堵の息を吐いた。

 あとで話を聞くとルーシアの叫び声を聞いてから、魔王は迷いの墓地に入ったらしい。


 僕が喰われるおよそ数秒で駆けつけたというのだから、やっぱり人智を超えた存在なんだなとしみじみ感じた。


 まあ、こんな感じで僕とルーシアは出会ったわけで――知り合ってからというもの、ルーシアは頻繁に僕の家まで遊びに来るようになった。


「クロ様〜」

「お、お嬢様! あまり走ると転んでしまいますう!」


 ルーシアが勝手に外へ出ず僕の家に来るのなら行先が分かるだけまだマシとのことで、ゼディスさんやアイリスさんたちが一緒ならという条件付きで、ルーシアが僕のところに遊びに行く許可が下りたらしい。


 そういう理由もあって、僕はルーシアに付いて訪ねてきた魔王軍の幹部七人全員と面識を持つこととなった。


 そうして、ルーシアや魔王軍の幹部たちと交友を深めていたある日のこと。

僕はゼディスさんからこんなことを言われた。


「最近、お嬢様の言葉遣いがおかしくなっていまして……魔王様が『あの可愛かった娘はどこに……』と嘆いておられました」

「へぇ」

「多分、クロ様の影響だと思うんですけど……」


「僕のせいにされても」

「だってお嬢様ったら、最近になって私を呼ぶ時に『お前』とか呼ぶように……」

「違います。そんな疑わしい目で僕を見ても違いますからね? ちがっ……違うって言ってるでしょうが!」


 僕は断固として、自分の影響じゃないと言い張った。



 ふと目が覚めた。


「あらおはよう、クロ。お前にしては早い起床ね」

「……」


 僕のベッドの脇で幼女ではない大人に成長したルーシアが、昨日と同様ボロ椅子に座ってじっと僕の顔を眺めていた。


「おはよう。なんか変な夢を見た」

「夢?」

「ああ。夢というか、思い出というか。昔の記憶。お前と出会った頃の記憶かな」


「ねぇ、私との出会いの記憶が変というのはどういうことかしら?」

「失言した」


 やべっと、思った時にはもう遅い。

 ルーシアは僕の頭を鷲掴みにし、りんごを潰す要領で僕の頭を潰そうと……。


「なにか言うことは?」

「さーせんでした」

「許すわ」


 許された。

 ルーシアはスッと僕の頭から手を引くとテーブルに肘を乗せて頬杖をつき、ベッドに横たわる僕を見下ろす。


「クロ、お腹が減ったのだわ」

「……」

「クロ。聞こえていないの?」


「いや聞こえてる。ちょっと気になったことがあってさ」

「気になったこと……?」

「うん。お前、たまに出る口癖あるだろ? 『〜なのだわ』ってやつ。それって、昔の口癖が残ってんのかなと」


 そう言うと、ルーシアの顔がりんごの如く赤くなった。


「なっ……く、口癖は別にいいじゃない! で、出ちゃうのよ……勝手に……!」

「いや、別に悪いとか言ってないけど」


 僕は言いながら、ゆらりとベッドから起き上がる。


「んじゃまあ……朝飯作るか……」

「あ、今日の朝食はフォアグラがいいわ」

「当店じゃ取り扱ってねぇよ」

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