第4話 ポンコツ魔王秘書

 はて、こんな時間に来客とは珍しい。

 陽はすっかり沈み、闇夜に輝く月が綺麗な夜の来客。

 

 どうせルーシア関連の来客だろうなーと思いつつ彼女に一言断りを入れて、髪をすく手を止めさせてもらった。

 そして、「はーい」と言いながら玄関をちょっとだけ開けた。


「こんばんは」


 玄関を開けた先に立っていたのは仕立てのいいスーツを身に纏い、タイトスカートから伸びる脚が黒いタイツによって覆われた――できる女性だった。


 真っ赤な髪は短く整えられ、丸い淵のメガネの奥で紅蓮の瞳が僕を映していた。


「えっと……こんばんは。ゼディスさん」


 彼女の名前はゼディス・リノワール。

 魔王の秘書をしている魔王軍幹部の一人だ。

 言うなれば、彼女は魔王軍幹部の指揮官に当たる人だ。


 率直言うとめちゃくちゃ強い上に頭もいい。

 アイリスさんの口ぶりから今夜中に誰かが来そうな予感はしていたが……。

 ゼディスさんはメガネをクイッと人差し指で押し上げ僕に耳打ちする。


「ここではなんですし、外でお話しいたしませんか」

「……分かりました」


 僕は促されるままゼディスさんに連れられて外へ出る。

 外は真っ暗でほとんどなにも見えなかったが……ゼディスさんが指を鳴らすと同時に、僕とゼディスさんの周囲に火の玉が出現して視界が明るくなった。


「さて、改めてこんばんは。クロ様」

「こんばんは。ゼディスさん」


「用件はお察しの通りです。お嬢様を連れ戻しに参りました」

「でしょうね」


 淡々と用件だけを口にするゼディスさんはとても冷たい印象がある。

 ゼディスさんは目を伏せスッと頭を下げた。


「できれば、クロ様にご協力いただきたいのですが」

「無理です」


「そ、そこをなんとか」

「無理です」


 僕が即答するとゼディスさんが顔を上げた。

 その表情は半泣きになっていて、今にも泣き出してしまいそうだった。


「お、お願いします! もう魔王様がお怒りで! 無理は承知しています。お願いです! お嬢様をどうにかできるのはクロ様以外にいないのです!」


「他をあたってください」

「そんな⁉︎」


 ゼディスさんはもう泣いていた。


「お願いします! クロ様だけが頼りなんですよおおお!」

「僕はなにもできませんよ」


 もう一度そう答えるとゼディスさんは泣き喚きながら僕の腰に縋ってきた。


「お願いします! お願いします! なんでもしますから! 死ね以外なら、どんな命令も聞きますから!」

「……」


 ゼディス・リノワールさんはとっても仕事ができる魔王秘書――というのは表面上の話。


 本当の彼女はこんな感じである。

 普段は取り繕ってできる女を演じているものの、おっちょこちょいだからよくミスするし失敗も多い。


 それが魔王軍の下端たちにバレていないのは、他の幹部たちの献身的サポートによるところが大きい。


 魔王は彼女のダメっぷりを知らないためよく無茶な仕事を押し付けられては、度々僕のところに助けを求めることがある。


「いつも助けてくれるじゃないですかー! お願いですよクロ様ー!」


 助けるというか押し付けられたというか。

 魔族国の重要機密書類を家に持ち込まれ、


「見ちゃいましたね……? 見ちゃいましたよね? じゃあ、もう分かりますよね?」


 などと脅されたら、書類にハンコを押す仕事を手伝ってあげるしかなくなるじゃないか。

 僕は大きなため息を吐いて腰に縋り付くゼディスに言った。


「無理です」

「いやあああ!! 見捨てないでくださいよおお!」

「自分で撒いた種でしょう……それに、今回はいつもの仕事より簡単でしょ。ルーシアを連れ帰るだけなんですから」


「それができたらクロ様を頼っていませんよ!」

「僕に頼られても……まあゼディスさんなら、多分ルーシアを連れ帰ることできるでしょ?」


「え? 無理に決まってるじゃないですか! 私ですよ⁉︎ できる女に見えて実はなにもできない私ですよ⁉︎ クロ様はバカなんですか⁉︎」

「張っ倒すぞ」


 泣きながら訴えかけてきたゼディスさんを僕は冷たく突っぱねた。


「はあ……」


 さて、どうしたものかとため息を吐く。

 すると僕が中々戻って来ないからか、ルーシアが玄関を開けて現れた。


「クロ。帰りが遅いからようすを見に来てあげたわよ。一体なにをしているの? ……ん?」


 スッと、ルーシアの目が僕の腰に縋り付くゼディスさんに向けられる。


「あら、ゼディス」

「お、お嬢様……ご、ご機嫌麗しゅう……」

「……私を連れ戻しに来たのかしら?」


 僕の視界で、ルーシアの怒りメーターが徐々に上がっているのが見える。

ゼディスさんはルーシアの怒気に当てられて体を強張らせた。


「お、お嬢様……あの……ど、どうかお戻りになっていただけないでしょうか……?」

「あらゼディス。遺言はそれで構わないのかしら。ちょっとクロ、そこを退きなさい。私の安寧を脅かそうとするそこの愚か者を排除するわ」

「ひっ⁉︎」


  ルーシアが戦闘態勢へと移行したためゼディスさんが恐怖で泣き出した。

 面倒くさいなぁ。


「なあ、ルーシア落ち着けよ。僕たちに口があるのは話し合いをするためだぞ」

「違うわ。クロの料理を食べるためにあるのよ」


 なんで僕の料理限定なんだ。


「いいから聞けよ」

「いやよ。ゼディスは殺すわ。あとついでにお父様も殺すわ」


 魔王殺すとか勇者かこいつ。

 しかも、ついでかよ。

 と、いよいよルーシアの怒りが臨界点に達しようとした時だった。


 今まで僕の腰にしがみ付いていたゼディスさんが、突然僕の腕を背中に回して拘束――一瞬にして僕はゼディスさんに拘束されてしまった。


「お嬢様! 動かないでください!」


 ゼディスさんはそう言いながら、僕の首元に小さなナイフを突きつける。

それでルーシアの動きがピタリと止まった。


「えー……まさかの人質ですか?」

「クロ様には申し訳ございませんが……」


「生きて解放されますか?」

「多分。少なくても、見せしめに痛めつけなくてはならないかと」


 いやだなぁ。


「ちなみに、どんな感じで痛めつけられますかね。僕」

「えっと……お嬢様への脅しなので、ゆっくりじわじわと火炙りにするかと」


 火炙りかぁ。苦しそうだなぁ。


「あのぉ。できれば、あんまり痛くなくて苦しくないのがいいです」

「ちゅ、注文多いですね? 善処します。さ、さあお嬢様! 大人しく帰らないとクロ様をぶっ殺します!」

「そうだそうだー。大人しく帰らないと僕が死ぬから帰ってくれ」


 痛いのはいやなので、ゼディスさんに便乗してルーシアに向かって帰るよう促す。

 しばらくして、無表情になっていたルーシアが顔を上げたかと思うと――次の瞬間。


 ドゴォンッ!


 雷鳴が轟いた。

 気づけば僕の目の前に、まるで巨大な刃物で大地を切り裂いたかのような……そんな跡ができていた。


 突然の出来事に驚いたのも束の間、ルーシアを中心に大気が揺らいで急激に天候が変化。

 激しい雷鳴が走り出す。


「……私以外がクロを殺すなんて絶対に許さないわ。ゼディス……お前、私を本気で怒らせてしまったようね」


 あ、これアカンやつや。

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