第3話 甘党の幼馴染

 そんなこともありつつ家に帰ると、ルーシア・トワイライト・ロードが、たいそうご立腹なようすでボロ椅子の上にふんぞり返っていた。


「遅い」


 お前の分の夕食をわざわざ買ってきた相手に言うべき台詞だろうか。


「すんませんね」

「誠意の感じられない謝罪ね」


 ガタッと、彼女は立ち上がりヒールの踵でボロ床を叩きながら、僕の目の前まで歩いてきた。


そして、おもむろに僕の前髪を掴むルーシア。


「え、な、なに……?」

「すんすん。女の匂いがする。いえ、臭いがするのだわ」


「え」

「一人……」


 僕が会った女性といえばアイリスさんだ。


「いえ、二人かしら」


 そういえば、八百屋のおばちゃんも女性といえば女性だった。


「ちょっと待てルーシア」

「遺言なんて聞きたくないわ」


「それを言うなら言い訳だ。言い訳はともかく、せめて遺言は言わせてくれ。遺言がダメなら、せめて言い訳をさせてくれ。というか、死ぬのは確定なのか?」


 慌てて捲し立てると、ルーシアは「特別に許可してあげるわ」と、僕の前髪を掴んでいた手をスッと引かせた。

 突然解放された僕は、バランスを崩して尻餅をつく。


「……今、許可してくれたのはどっちだ? 遺言? それとも、言い訳?」

「言い訳よ」


 よかった。遺言なら、もう殺されるのは確定していたけれど、言い訳なら生存の余地がある。


「アイリスさんにた偶然会ったんだ。買い物している時に」

「それだけ?」


「それだけ」

「ふーん」


 ルーシアは腕を組み、コツコツと踵でボロ床を叩く。

 その仕草は、ルーシアがギロチンを出現させる時のものに似ていたから、思わず体を強張らせてしまう。


 しかし、ギロチンは出てこない。

 どうやら、これは彼女の癖の方らしい。


 昔から事あるごとにギロチンを出していたからか、考え事をしている時も自然に踵で床を叩く癖があった。


 ルーシアはしばらくそうしていたが、やがてなにかに納得したみたな顔をして、踵を返してボロ椅子の上に戻った。


「お腹が空いたわ。クロ。ディナーの準備をなさい」

「……」


 なんて自由人なんだこの女。

 返事もそこそこに、僕は恨みがましい目をルーシアに向けてキッチンに立つ。


「そうだ。私は辛い物が好きだから、辛くしなさい」


 背後からルーシアのそんな注文が聞こえた。


「辛い物……?」


 おかしいな。

 ルーシアは極度の甘党で、辛い物と苦い物は苦手だったはず。


 とはいえ、ルーシアの命令に異を唱えられるはずもなく。僕は「へいへい」と返事をした。

 そういえば、床下に唐辛子かなにか入っていた気がする。


 以前、興味本位で料理に使って以来、辛すぎて床下に眠らせていたはずだ。

 思い出して、床下を開いて確認すると――見つけた。


 まだ、期限も問題なさそうだったので、これを料理で使うことにする。

 夕食はルーシアの希望で僕の得意料理であるカレーとなった。


 辛口ベースのソースで、さらに唐辛子を突っ込んだので相当辛くなっているだろう。

 そうして完成したのが、真っ赤になったカレー。


「やばい。やりすぎた」


 まあ、辛いのが好きらしいし……別にいいか。

 僕は軽い気持ちで辛口カレーをルーシアの前に置いた。


「おいしそうね。クロにしては」

「最後が余計すぎる」


「クロ。食べさせなさい」

「はいはい」


 仕方ない。

 僕はルーシアの首にナプキンをかけてやり、カレーが飛び散っても彼女のドレスが汚れない配慮をしてやる。


 続いて、彼女の背後に立ちスプーンを手に取った。

 そして、スプーンで赤々としたカレーと銀色の白米を掬い、少し冷ましてから彼女の口元まで移動させる。


「ほら」

「あーん」

「……」


 恋人同士がやるそれに近い行為かもしれないが、僕からしたら猛獣に餌付けしている気分に近い。

 スプーンを彼女の口の中に放ると、彼女は口一杯にカレーを頬張る。


「ふむ。なるほど、おいしっ……⁉︎」

「ん? どうかしたか?」


「い、いえ。な、なんでもないわ。次」

「お、おう?」


 なぜだか、ルーシアのようすがおかしい。

 僕はルーシアの背後に立っているから顔色を窺うことができず、ただ言われた通り次のカレーをスプーンで掬う。


 それを彼女の口の中に運ぶと、


「っ……!」


 ルーシアは声にならない悲鳴をあげて足をバタバタし始めた。


「お、おい? 大丈夫か?」

「ら、らいひょうふよ」


 大丈夫じゃなさそうだった。

 しかし、彼女に「次」と言われてしまうと手を止めることもできず、僕はなんども彼女の口にカレーを運ぶ。


 その度に、ルーシアから悲鳴が発せられ体も悶えさせて苦しそうだった。


「なあ、もしかしてまずいか? それなら無理して食べなくても……」

「ま、まずくないわ。クロのりょうひよ……? まずいわけがないひゃない」


 それなら、なぜルーシアの呂律が回っていないのだろうか。


「い、いいはら……はやく食べさせなはいよ」

「いや、無理して食べるなよ。まずいんだろ?」

「らひゃらまずくなひっていってるひゃない! クロのご飯はほいひいの! 絶対のこひゃない!」


 若干、なんと言っているか分からないが……そう言ってくれるのは素直に嬉しかった。

 たまにこういうところがあるから、憎めないんだよなぁ。

 しかし、そうはいってもこれ以上食べさせるわけにはいかない。


「もういいよ。その気持ちだけで十分だから」

「なっ……た、たべはへなひゃいよ! ギロひんよ!」


「ギロチンでもなんでもすればいい。僕はお前が無理して、僕の料理を食べる方がいやだ」

「ら、らから無理なんへひてない!」


 そう言って、ルーシアが振り返った時、彼女の唇がたらこ唇みたいに腫れているのが目に入った。


「え? なにその唇」

「あ……み、見ちゃいやっ……!」


 ルーシアはそれを見られたくないのかさっと顔を背けた。


「もしかして、思ったより辛かった……とか?」

「うっ」


 図星みたいだ。

 僕が味見した時も、それなりに辛かったけどルーシアほどじゃなかった。


「もしかして、ルーシアって辛いの苦手なままか?」

「そ、そんなことひゃい! だって、家だと辛いの食べられるもん!」


 多分それ宮廷料理人たちが、気を遣って辛さを控えめにして作っているに違いない。


「ごめん……甘党のお前が急に辛いのがいいなんて言った時点で気づくべきだったな」

「ひ、ひはう! いいから食べはへてよ……! 私はクロのりょうひだけはのこひたくないの!」


「ダメだ」

「でも……」

「めーっだぞルーシア。我慢して食べるなんて間違ってる。食事は楽しくとるもんだ」


 少しだけ本気で怒るとルーシアが目をうるうると潤ませた。

 そして、唐突にルーシアが泣き出した!


「うわーん! クロが怒ったー!」



 泣き出したルーシアをなだめてしばらく。


「クロ。髪の手入れをなさい」

「へいへい」


 ルーシアは、すっかりいつも通りに戻っていた。

 まあ、さっきのも可愛いけれど、やっぱりルーシアはこっちの方がいい。

 傍若無人は、彼女にこそ相応しい言葉なのだから。


 僕は彼女の髪を丁寧に櫛ですく。

絹が如き金糸の髪は櫛にまったく引っかかりを覚えないほど滑らかで、しっかり手入れがされている。


「メイドさんたちのたゆまぬ努力を肌で感じるなぁ」

「なにか言ったかしら」

「なんでも。それより、僕はまだお前の髪をとかさないといけないのか?」


「当然よ。続けなさい。それなりに、されている私は気持ちいいし」

「疲れてきた」

「続けなさい」


 例の如く拒否権はないわけで、僕は肩を竦めた。

 僕が彼女の髪をすいている間は少なくともうるさくないため、ある意味では悪くないかもしれない。


 しばらくそうやって、彼女の髪をすいていると……コンコンっと、玄関の戸が叩かれた。

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