第2話 サキュバスの暗黒騎士

 ルーシアの肩をほぐしてあげた後、僕は夕食の買い出しのために下町へ足を運んでいた。

 魔王城を中心とした城下町は魔族国の首都なだけに、さまざまな種族が入り混じる貿易の主要都市となっている。

 魔族から獣人族、ドワーフやエルフ……ありとあらゆる人々が忙しなく動き回っている。


 僕はそんな中で八百屋や肉屋で夕食の材料を買う。

 家にいるルーシアのことを考えて、いつもよりも多めに買い物袋へ放り込んでいる。

 いつもよりも一人分商材が多いせいか、買い物袋を提げている左肩が痛い。


「まったく……厄介なものを匿ってしまった」


 一国の王女が家出だ。

 一大事どころの騒ぎじゃない。

 実際、下町には今までよりも警備が多い。


 ルーシアを探しているのだろう。

 ただ、ルーシアの家出は公になっていないみたいで、なにも知らない市民は普段通りの生活をしている。

 まあ、公になったら大混乱になるだろうからなぁ。


「いずれ僕のところにも手が回りそうだし、バレる前に自首しようかな」


 僕の家に、一国の王女が居候してます。

 運が良ければ斬首刑。

 悪ければ磔だろうか。なんにせよ死ぬ未来しか見えない。


 魔王は寛大な人だ。

 種族の違う僕のことも育ててくれたのだから。

 しかし、娘であるルーシアのこととなれば話は別だ。


 あの人はルーシアのことになると脳みそが回らなくなる。

 いわゆる、親バカなのだ。


 親バカな魔王が、可愛がっている娘と男が同棲していると知れば大噴火は必至である。

 遺言は残しておこうかな。


「はあ……」


 そんな具合に僕がため息を吐いていると。


「おや、クロくんではないか!」

「あ、アイリスさん」


 真っ黒な騎士甲冑に身を包んだ銀髪の女騎士――美しき戦乙女と名高い魔王軍幹部の一人であるアイリス・ハートさんが、商店街を歩く僕に気づいて声をかけてきた。


「こんなところで会うとは奇遇だね。夕食の買い出しかい?」

「まあ、はい」


 そう答えると、アイリスさんは僕が肩に提げている買い物袋を覗き込み、「ふんむ?」と首を傾げた。


「随分と食べるのだな? 君は一人で小屋に住んでいたと記憶しているのだが……食べ切れるのかい?」

「まあ無理ですね」

「……」


 正直に答えると、アイリスさんはなにか考え事か顎に手を当てた。

 そして、青い瞳をスッと細め僕を射抜いた。


「もしかして、君の家にお嬢様が来てないかな?」

「来てますね」


 素直に答えた。

 アイリスさんは大きなため息を吐いて腰に手を当てる。


「薄々そうだろうとは思っていたが……やはり、お嬢様は君を頼ったのだね。どうせ君のところにいるだろうとは予測していたけれど、あえて後回しにしていた」

「なぜですか?」


「君が魔王様に殺されてしまうから」

「やっぱり殺されちゃいますかね。不可抗力なんですけど」


 一ミリくらいの希望に縋って尋ねてみたが、アイリスさんは無情にも首を横に振った。

 短い人生だった。


「私としても、赤ん坊の頃から親代わりとして見てきて、友人でもある君が市中引きずり回しから、磔、火炙り、薬漬けの末に、散々嬲られて殺される様は見たくないんだけれどね」


「そんな凄惨な殺され方しますか。僕」

「残念ながら」


 いやだなぁ。

 アイリスさんは、「どうしたものか」と肩を竦めた。


「仮に、お嬢様が君のところに来た時点で私に報せてくれれば、まだ誤魔化しようもあったのだがね。なぜそうしなかった? 賢しい君なら、その思考に至らなかったこともあるまいに」

「別に僕はそんなに賢くないですけど。まあ、それは簡単な話ですよ」


「……というと?」

「僕がルーシアを裏切るような真似、できるわけないですから」


 ルーシアとはもう長い付き合いなのだ。


「幼馴染が僕を頼ってきたんです。あいつは高飛車で傲慢でプライドが高いから、他人に頼み事もお礼も言えないどうしようもないやつですけど」


 そんなルーシアが僕を頼ってきたなら、僕はそれを裏切れないし裏切らない。

 アイリスさんにそれを伝えると、「なるほどな」と苦笑を浮かべた。


「お嬢様が真っ先に君を頼るわけだな。君なら、お嬢様の婿殿に相応しいのだがなぁ」

「え、いやですよ。なんで急にそんな話に……」

「いや、急でもないぞ。魔王城内では、少数ながら君をお嬢様の婿殿にという声が挙がっているのだ」


 嘘だろ。


「な、なぜに。僕は出自も曖昧で、なんの変哲もない人間ですよ。あいつの婿なら、それこそヴァンパイヤロードとかが適任でしょう」

「いやいや、君は自分を過小評価しすぎだ。たしかに、君には特別な力がないし、非力で貧乏な上に顔はショタ受けしそうな可愛い感じだから頼り甲斐なさそうだし。ぶっちゃけ男としての魅力はあまりないのだけれど」


「泣きそう」

「しかし、お嬢様と数十年も寄り添えられるのは、世界のどこを探しても君だけだ」


 ほとんどの男は、お嬢様の破天荒に付いていけず愛想を尽かすか、怒鳴りつけてお嬢様にボコボコにされるかのどちらかだと、アイリスさんは笑った。


「君ぐらいなものだよ。お嬢様があれだけ心を許しているのは。お嬢様は女王として国を引っ張る素質があるが些か未熟だ。そんなお嬢様を支える婿殿が必要なのだ。その点において、君ほどの適任者は他にいない」

「そんな大袈裟な」


「大袈裟ではないとも。少なくとも、君と関わり深い魔王軍の幹部……私を含めて、七人全員が君を婿殿にと推しているくらいだ」

「マジですか」

「マジマジ。だから、自信を持った方がいい。ただまあ……やはり、魔王様は反対みたいだがね」


 僕は空を仰いだ。

 アイリスさんはそんな僕を見て苦笑しつつ口を開く。


「はてさて、まずは目先の問題をどうするべきだろうか。お嬢様を返してくれないか?」

「僕も返却できるならぜひ」


「だろうなぁ。うん困った。無理に連れていけばお嬢様に殺される。連れて帰らなければ魔王様に殺される。おや、私八方塞がりでは?」

「僕と一緒ですね」

「ペアルック……というものか!」


 違うと思う。


「時にクロくん。久しぶりに会ったのだし、これからホテルにでも……どうだ?」

「行かないですよ」

「大丈夫だ。私は年下好きだからな」


 どうしよう。話が通じない。


 顔を赤らめてなにかに期待を膨らませるアイリスさんをじと目で眺めながら、僕は頬を引きつらせる。

 アイリスさんは見た目がクールで真面目そうだが、実は大の年下好きのショタコンだったりする。

 彼女の年齢は三百歳だからほとんどの男は年下で、彼女の守備範囲はとても広かったりする。


「相変わらず君はつれないのだな。お嬢様も連れられないし、君もつれず、魔王様に怒られる私――不憫すぎじゃないかい?」

「ブラックな職場ですね」


「君が私と一夜を共にしてくれればホワイトなのだが……いろんな意味で」

「やかましい」


 そりゃあ、僕だって健全な男子。


 魅力的なアイリスさんの誘いに乗りたい気持ちはある。

 けれど、アイリスさんはサキュバスだ。

 サキュバスは男の精を搾り尽くす魔族であり、その中でもアイリスさんはとんでもないと噂で聞いている。


 多分、僕は一瞬で搾り尽くされ枯れ果てる。

 そんな死に方は……それはそれで大いにありな気がしないでもないけれどいやだ。


「じゃあ、僕は帰ります。帰りが遅いとルーシアが怖いので」

「そうか。もう少し話していたかったがそれなら仕方ない。それと、悪いが私も仕事だからね。このことは報告するよ」


「当然ですね」

「だから、近いうちにお嬢様を迎えに誰かが来るだろう。その時は、迎えの者に手を貸してあげてくれないか?」


 多分、迎えに行った者はお嬢様に殺されてしまうからなと、アイリスさんは笑っていたが全く笑えない。


「いやですよ。敵の味方をしたら僕がルーシアに殺されます」

「はっはっは! それでは私もこの辺で失礼するとしよう! さらばだ!」


 そう言って、アイリスさんは身を翻して帰っていった。

 すごい人……なんだけどなぁ。

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