そのシャツは誰が縫うんだい PartⅡ

 お題に関して、なぜ PartⅡなのかというと、実は数年前にその題で書いた記事があると確認したからだ。これだけ膨大な記事数を書いてくると、知らずにお題が被る、同じタイトルの記事が2、3あるなどありそうである。

 ご存知、ジブリの名作ラピュタの、主人公パズーの仕事上の『親方』が、筋肉自慢でシャツをビリビリに破いた時、奥さんは「あなたすごぉーい かっこいい!」などという言うどころか、ただ冷たく「一体誰がそのシャツを縫うんだい?」。



 ネット記事で、ちょっとオバカなものを見つけた。

 世論では、そのほとんどが「少子化はまずい」「日本は終わる」という論調だが、この記事では「少子化は実はよい面もあるのではないか」といった逆張りだった。筆者も、逆張り記事と思われても仕方のないようなことを言うこともあるので人のことを言えないが、それでもこの記事はダメだった。根拠の提示が弱いのだ。なぜ少子化が良いと言えるのか、に関する論理展開が幼稚だったからだ。

 詳しくは書かないが、その記事での主張を二つほど挙げてみる。



●カナダとかを考えると、日本は土地あたりの人間の数が多すぎる。だから、土地当たりの人の数が減ると、逆にカナダみたく自然界で「ちょうどいい」と言える数になるんではないだろうか。少子化は、人間の数が地域の面積当たりで「適正数」になるよい機会なのでは?



●人口が減ると、空き家が出る。すると、家があまり価格が下がり、マイホームなど夢のまた夢だった人たちも、安くで家を持てる時代が来る。チャンスですよ!



 今挙げた「少子化が歓迎できる理由」が、どれだけアホな理由か分かりますか?

 まず、カナダとの比較からして間違っている。それは、やってはいけない。

 カナダは、自然の推移でその人口になっている。こっち(日本)は、一度人口が爆発的に伸びた(ベビーブーム)時があり、その人口の受け皿が一度整えられている。その人口が増える(あるいは保たれる)ことを想定されて、家やマンション・インフラ設備や商業施設なども建てられた。日本が直面しているのは、人が減るとその人口の多かった時代に対応すべく組まれた環境やシステムは魔法で消えるはずもなく、そのまま残るということである。さて、それを全部きれいに取り壊して、また少子化時代に合うように街を「再構築」するのか? どの予算で、誰が働くのか?

 自然にそうであるものと、一度見込みを踏まえて作ったものが要らなくなる状況とを同列に語ってはいけない。比較して論じるなど愚の骨頂。



 筆者は、空き家管理というものを仕事の一環でしたことがある。

 不動産業者が抱える「空き家」を、ただ放置していたら荒れ放題になる。誇りだってたまるし、下手したら木材部分が腐ったり窓サッシが錆びたり、畳に虫が湧いたりする。だから、空き家だからと放置せず、定期的に清掃・管理する。

 これが、結構な労力なんです。何で私は、お金がなかったとはいえこんなきつい仕事を月11万で、ボーナスなし交通費満額出ないという条件でやってしまったのだろうかと思う。管理していた空き家は、私の担当分だけでも、少なくとも15軒以上はあった。

 少子化バンザイ家が買えるぜ、の著者はこの点を忘れている。一体誰が、その膨大に現れる「空き家」を管理維持するのか? きっと、現状の不動産会社の手にあまり悲鳴があがるだろう。だから、「おお家が安いぜ!」と見に行くと、目も当てられないお化け屋敷になっているかもしれない。その修繕、回復を自分でやれとなってもどれだけお金がかかるか。また、少子化なのでお金があっても「その労働をやる人がいない・カネがあっても雇える人間がいない」ということに。

 まさに、少子化になったら多すぎる人の数が適正になりーの家があまり選びホーダイの、と言ってもその裏で噴出する問題が大きすぎるのだ。まさに「そのシャツは誰が縫うんだい?」状態なのだ。



 私は、国が少子化対策をアホで失敗し続けているのではない、と考えている。

 彼らはアホだが、有名大学を出ているエリートだ。本当のアホではない。知的には、何をしたらいいかなんて分かっている。



●国はおそらく、少子化を目論んでいる。


 

 多分、それこそが真の望みだ。でも、気取られると色々面倒ゆえ、表向きは「少子化は問題ですね!」と調子を合わせ、すんません頑張ったんですけど結果こんなことです、テヘペロッと演技をしている。

 でないと説明付かないでしょ? 頭のいい人の集まりが、とんちんかんな少子化対策しかしないなんてのは、考えられるのは確信犯である。あとあと中国かどっか大国に売るつもりなのか(その算段でももうできているのか)、明け渡しやすいように人を減らして「整地」みたいなことをしているのか。それは分からないが。

 私はもう、国は「少子化でいいと思っている」という前提で捉えている。だから国を「間違っている」とは責めない。だって間違うことを意図しているのだから。責めるのではなく、今の日本をなくそうとしている国と「戦う」と言ったほうがいいかもしれない。

 私一人では何もできない。体も悪いし、外に出かけにくい。こんな私でもできるのはこうした「発信」である。こんなものの見方もできない? こう考えられなくもないんじゃない? そうした文章を日々綴っていくことで、誰かの目に留まり、その人が志をもって動くきっかけにさえなれば、と思って今日も心に浮かんだことを書きつけるのだ。

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