実はそれしかできない

 シリア難民の子どもたちに将来の夢は何か、と聞くと「医師か教師」という答えばかり返ってくるという。

 何も知らないで聞けば「すごいね」「志が高いね」「立派だ」という印象をもつだろう。シリアを訪れた日本人が「子どもたちは偉いですね」と言うと、現地の大人たちは首を振ってそれは違う、と訂正してくる。

 難民の子どもは、親というか大人たちが仕事を奪われて働くことができないでいるため、世の中に色んな仕事があること自体を知らない。だから、人道支援でやってくる医者や教師くらいしか仕事をしている人を見ないため、必然的に答えがそれになるのだという。



 この世界には、常に可能性があふれているように見える。

 無数の選択肢があり、どれでも選び放題なように思える。

 事実、可能性や選択肢というものは無限に近くあるが、それを選ぶ側の人間には「その選択肢を自由に選ぶ力がない」。

 例えばあなたは、お腹がすいたとしよう。さて、今食事をするかそれとも今やっていることがもう少し頑張れば終わるので、もうちょっと後回しにするのか。

 あなたはその二つの内のどちらかを選ぶだろうが、実は選んだとは名ばかりで、実は選んでなどいない。



●最初から、あなたがどちらにするかは決まっていた。



 ただ、意識とか段階思考(論理的整合性を指向した主体的納得)というものが必要なため、「自分はこの状況でこっちを選んだ」という物語が必要なだけだ。

 レストランで膨大なメニューの中からあなたは一品か数品を選ぶだろうが、それも実は数ある中からひとつを選んだのではない。最初からそれを選ぶことが決まっていて、ただ段階的にあなたが「それ以外のもの」を振るい落とすという申し訳程度の「いかにも自分で選んだ感を出すための余分な作業」をしたに過ぎない。



●この世界であなたが何かを選ぶ作業は、決まったある一点に向かうために「いかいしてそこへ至る道を選んだか」という物語を作るための修飾作業である。



 ここまで言い切った話は上級者向けで、そこまで思えない方でもこう考えてはどうだろう。



●この世界では無数の選択肢があるようにみえて、そして選び放題に見えて、実は多くても3か4,大概の場合はふたつにひとつの選択肢しかない。多く見える選択肢のほとんどはあなたの人生には意味のない「ダミー」で、意味のあるのはふたつくらいである。

 しかも少なくない場合としてあるのが、実はそのふたつのうちのどちらかすら「実は決まっていて」、ただうまい言い訳の着地点を探るために(理性がその選択を納得するためだけに)それを選んだ合理的理由を後付けで探し出すだけ、という場合。



 私たちは、イエス・キリストやマザーテレサ、キング牧師やマハトマ・ガンジーなどの人物の伝記を伝え聞いて「偉い」「素晴らしい」と感じる。そして彼(彼女)らと比べれば自分のいかに小さい人間かを思い知ったりする。

 でも、それは違う。彼らは他がなかなかしない「素晴らしい選択」を数ある生き方の中から選び取ったのではなく、実はそうするより他なかった。それしかできなかったのだ。頑張って選んだとか他の誘惑や楽をしたいという弱さをはねのけたとかそういうのではなく、皆その道を突き進むしかないようにレールが敷かれていたのだ。

 だから周囲は「すごい」「偉い」「天才」「聖人」とかいろいろな言葉で彼らの特別性を尊敬の意味で表現するだろうが、実は彼らにしたらそれほど人から褒められるようなことをしている自覚はない。かえって彼らは困惑する。自分はそんなに特別じゃないのにな、ただ普通に(その人にとっては)しているだけなのにな、と思う。



 逆もあって、それが悪い方向に働くことがある。犯罪を始め、この世界の枠組みの中では「感心できないこと」を選択してしまうというようなことだ。

 身もふたもない究極の視点からはそれも決まっているのだが、これを読む者の多くは受け入れられないだろうし、たとえそうかもと思っても実に抵抗のある話だろうと思う。頭の良くない人は、私がこう言うと「じゃあ犯罪を犯すことが最初から決まっているのなら、罰することに意味がなくなりますよね? だってそうするしかないんだから! しょうがないんですよね?」と思う人が出るだろうが、それは本来異なる彼岸と此岸の話をごちゃまぜに考えてしまうことから生じる混乱である。



●TVゲームの中のマリオは自由だ。

 彼にとって、画面の外の自分を操るプレイヤーの存在など意味がないのだ。

 たとえ本当にいたとしても、彼の自由(と思えるもの)にはまったく関係がない。

 考えなくていい。



 あなたが、何かの選択肢で悩む時。

 選択肢が多くて悩ましいように見せかけられているが、惑わされないこと。

 実は、問題の本質はシンプルだ。あなたは気付いていないだけで、実はあなたはどこかでもう「これ」だと思っているのだ。決めているのだ。

 ただ、すぐにそれを認めたくない、あるいはそれが「正解じゃなかったらどうしよう」という心配のために、選択肢を眺めて選びかねているフリをしているだけだ。

 だから戦い方はシンプル。そのホンネで選んでいる何かを気付き認め、あとは「それをするかしないで思いとどまるか」の二択しかない。

 あなたの人生にとって、得なのは、有利なのはどちらか。あるいは、感情がもう他を選ぶことをゆるさないということが分かっているなら、言い訳せずそれを選ぶとよい。筆者は日々、人生の選択肢は常に多くて二択か、かなりの場合実は一択だと思って生きている。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る