あんたオレにいいもんくれるのか

 ひろゆき氏が、正義感を押し付けてくる人とは距離を取って関わらないようにしたほうがよい、という趣旨の発言をした。

「こうしたほうがいいよ」「あれはやめたほうがいいよ」

 そんな感じで、自分の考えをさも正しいかのように押し付けてくるような人物に対して、である。その理由は「あなたのことをコントロールしようとしているからだ」とひろゆき氏は言う。百歩譲ってそのアドバイスが的確なものだったとして、それを判断して最終決めるのは本人である。他人から「こうするべき」「絶対こうしたほうがいいよ」なんて決めつけられる筋合はないからだ。



 今紹介したのはネット記事になっていたものを読んだものだが、そこには読者からのコメントが付くようになっていて、一定数少なくない人間が次のような批判を投稿していた。



●だったら、ひろゆきさんの言っているのも押し付けですよね? 毎回「あーしたほうがいい」「こうしたほうがいい」ってこと言ってるじゃないですか



 要するに、ブーメランだと言いたいのだ。正しい(とその人が思う)ことの押し付けをスルーしていいんだったら、あなたの言うことも聞かなくていいので、もう何か言うのやめたらいかかですか、的な野次である。

 筆者は、これを読んで、日本の国語教育が行き届いていないのを嘆いた。こんな読解力しかない人が増えるなんて……

 ここでひろゆき氏が言っているのは、『意識のベクトルがあなただけに向いている人』のことを言ってると察するべきである。こうしたほうがいい、やめたほうがいいという話を明らかに「あなたに」言ってるケースだと考えるべきだ。

 それがLINEやメール、SNSやブログのコメントでも当てはまる。目の前に相手がいようが、電話やメールなど目に見えない遠いところにいる相手だろうが、とにかくあなた個人に向けて明らかにものを言っている場合である。



 ひろゆき氏の言うことも、私がここで言うこともそうなのだが、特定の個人を明らかに意識して発言はしていない。不特定多数が見るものとして語っていて、誰が読むかなど知ったこっちゃないのである。

 そして、この世界の大勢が私の書いたものを読んで、納得して実践するかも、読んでも同意できず反発しても、まったく関心を示さなくてもどうでもいい。この「どうでもいい」というところが大事なのだ。メッセージは発するけど、それをどう料理するかは読んだ者の自由であり、著者は感知しない。

 でも、ひろゆき氏の指摘した『距離を置いたほうがいい人』というのは、「自分が言ったことを相手が受け入れなければならない、謝罪なり反省なりしないといけない」と考える人である。つまり、「要求してくる人たち」である。

 明らかにあなた個人へと分かるようにモノを言ってきているかどうか。そしてその言葉に「こっちの言うことを聞け」という要求ニュアンスを含んでいるかどうかが問題なのである。その条件を満たさないなら、あくまでも世に溢れている本や、言論の自由に保証された言説であり、いやなら読まなきゃいいし、たまたま間違って目を走らせてしまったなら気分転換でもして忘れなさい、という程度のことなのだ。



 筆者も、長年こういう活動をしていると、色んなことを言ってくる人が湧いてくる。今はほとんどないが、ある程度需要があり活動さかんな時期にはいっぱい言われた。批判というものは、宿命的に建設的な意見になる確率が少ない。



●批判は「カチンとくる」という感情の起爆装置によって生じるケースがほとんどである。その時、9割以上の確率で、その人は「相手の立場に立ってものを考えていない」。なので、その非難や指摘は聞き入れたとしてもただ相手側にしか利のない内容であることがほとんどなので(また、聞いた側が心打たれて「そうですか! その通り」となるものなど砂の中の砂金ほどまずないので)、聞く価値はほぼない。

 ましてや、こちらがダメージを受けるくらいならなおのことスルーでよい。



 北風と太陽、の寓話を聞いたことがないのか、と思うくらいバカな批判をぶつけてくる人がいる。そんな言い方をしたら、普通誰も聞かないよね、っていう。

 逆にさ、それを自分が言われたとしてみ? いいアドバイスいただけた、ってうれしがれる? 自分がそう思えないものをさ、他人にぶつけたらあなたの「相手にこうしてほしい」という望みが達せられる可能性は著しく低下するんじゃ?

 あ、実は改善指摘とは表向きで、ただ相手を貶めたいだけなのか。それだったら有効だけどね!(笑)



 たとえばそのへんの八百屋さんや肉屋さんや花屋さんで、値段がどうのディスプレイがどうの、店内環境がどうのとあなたなりに感じたことを店主に言ってみなさい。

 あなたは、八百屋も肉屋も花屋も体験したことがない。だから、その言うところは「まったくその立場を分かっていない」ところのものである。やはり、聞くに値する意見というのは、相手と同じ立場をまさに体験するというのは一番の理想ではあるが、そんなことは難しいのでせめて「心の中で一度でも、相手側の立場や心情を想像して(思いやって)考える」ことをしていただきたい。

 それができれば、世に溢れる罵詈雑言の半分は減ってくれるのではないか。もちろん、その立場をまったく知らないからこその、縛られていないからこその「いい意見」というのはあると思うが、そんな滅多やたらにないものを論じても仕方がない。



 筆者は、的外れな批判や心に響かない小言をいただいた時、次のように思うことにしている。



●あんたオレにいいもんくれるのか?



 この世では、お店屋さんは「いらっしゃいませ」と、自分ところにお金を払ってくれる人にのみいい顔をする。これは当たり前で、何も間違っていない。道を素通りする、何も買わないお客にサービスしなくて当たり前である。

 私も、個人セッションをわざわざ申し込んでくれた人や、本を買いました、で読んでこう思いました……という人の話は聞く。(というか総じて聞きやすい)でも、汚い言葉の数々を言う人間は高確率で本も買ってないし、1円も私に落としたことのない、ただ私がきらいなだけの人たちである。そもそもが悪く言って私にダメージを与えることが目的なので、表面的な批判は気にするだけ損だ。

 あまりスピリチュアル的な言葉に聞こえないだろうが、あなたの人生に何ら責任をもとうとしない人間の言うことなど無理に聞かなくていい、ということである。

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