成功哲学で成功しても待っているのは

『円安』という言葉が最近のニュースをにぎわせていた。さすがにそんなものはいつまでも続かずまた変化はあるだろうし、実際もう変わる潮目かもしれないという報道も一部ではある。

 にしても、ここまでの数週間で円安というテーマで色々なネット記事が出た。そのなかのひとつに、「円安を逆手に取って儲けて成功」というものがあった。



 確かに日本国内にいたら悲惨だが、日本人が海外に「出稼ぎ」に行くことで、ドルでもらった給料を円に交換するとレートのおかげで大幅増収、というわけだ。その記事では、そうした実例をいくつが挙げて紹介していた。場合によっては、同じ仕事なのに海外でやることで給料が三倍にもなったというケースも。

 何も考えないでこういう情報に触れると、「結構なことだ」「へぇ、できるものならやってみたい」「うまいこと考える人もいるもんだ」という感想になるのかもしれない。それぞれの置かれた立場(現実)の縛りがあるからほいほい実行はできないだろうが、もしやれるもんならやってみたいよ!と思う人は結構いるのではないか。



 でも筆者は、ある視点からそういった幸せのなり方は結局めぐりめぐって不幸を呼ぶ、と考えている。根本的な考え方がまず腐っているのだ。



●成功哲学とは、自分さえよければいいという考え方を、悪く聞こえないようにきれいな言い方をすることに成功しただけのものである。



 円安を利用した「出稼ぎで儲ける」という話で考えてみよう。

 当たり前だが、皆が皆できることではない。海外へ行くということは、簡単ではない。ましてや旅行じゃないのだ。環境が変わる、言葉が変わることへの抵抗があり、身内や友人の反応も気になるところだろう。そのへんをクリアできる人でないといけない。あるいはクリアせずとも「やりたいようにやってしまえる人」。

 そういう問題解決能力の高い、フットワークの軽い行動力のある使える人(有能な人)が海外に流出する。すると日本からそうした人材が抜けると、残りの者で日本を支えないといけない。言い方は悪いが、残り物チームでなんとか回すわけだ。

 もちろん、日本という祖国に愛着がないなら「自分が豊かになるために」出稼ぎに行くのはゼンゼンありだろう。でも、ちょっとでも故郷とそこに住む同胞たちのことを考えたら、もっとべつの在り方を探せないものだろうか。



 現在の日本という国(日本だけでなく先進国は軒並み似たようなもの)のシステムでは、全員が幸せになることはないということが、誰も声を上げないけれど内心では分かっている。この世界は「椅子取りゲーム」。誰かが豊かになり幸せになるということは、限られたその席に座れなかった別の誰かの手からはそれがこぼれ落ちていった、ということである。言い換えたら「目には見えないどこかの誰かの不幸の上に、その幸せは成り立っている」。考えたくないので、誰もがその思考を箱にの中に入れてフタをしてしまっている。

 成功哲学とは、「こうすれば(こういう思考法・意識の在り方をトレーニングすれば)目に見えた成功をつかめる」というものである。筆者も若かりし頃は、「あなたはできる」とか「思考が現実化する」「奇跡は起こせる。障害はただムリだというホンネのみ」とか、そういうことをメッセージする本をむさぼるように読んだ。

 でも、こういった本は買う人皆にいい顔を見せるが、巧みにある重要な事実を隠している。そのことに気付いてからは、成功哲学が示すような成功や幸せに興味がなくなった。



 たとえば、マラソンで1位になるということを願ったとしよう。

 成功哲学やそれ系のスピリチュアルを学び、きっとできると信じそういうスピリチュアルなワークもやり、1位になることを信じて疑わず、ということをやったとしよう。そして一万歩譲って、仮にそれが実現可能としよう。

 でも、この世界には「他人」という存在がいることを忘れてはならない。もし、その他人も同じように真剣に「同じマラソンで1位になることを願ったとしたら」?

 矛盾(矛と盾)という言葉がある。中国の故事が語源で、武器を売る商人が「これはどんな盾でも貫く剣」「これはどんな攻撃でも防ぐ盾」と宣伝したのを聞いた者が、じゃあその剣でその盾を突くと、どうなるか」と聞いたという。

 競争なので、1位というのは一人しかなれない。一位を目指す者が複数いれば、それは争奪戦になる。ならば、たとえその複数人全員が同じ成功哲学を信じ実践して「自分は必ず1位になる!」と信じ切っても、その中のたった一人以外は皆その努力の度合いに関係なく、ただ現実的な因果の結果により願いが叶わない。そう考えると、成功哲学が約束する「あなたは(内容は関係なく何だって)できる。できないと思うからできないだけ」というのは、実に表向きの顔がいいだけの無責任な言葉ではないか。



 海外へ出稼ぎに行って豊かで幸せに、というのは言い換えれば「国内はもう見放した」「どうでもいい」ということである。あなたがその選択をすれば、国内で苦労するシナリオを誰かが担うのである。そして、世の中の枠組みを変えていくべきなのに、「こうすれば(その枠組みの中で)飛びぬけて成功できる」という情報を流布するのは、「世の中を変える気はない。そのやり方を実践できるエリートのみ幸せになればいい」と言うことと同義である。

 成功哲学は、今の世の中の在り方を肯定する前提があっての話であることを忘れてはならない。あくまでも「その世の中を変えることなく、その中でどうやるか」のノウハウなのであり、自分だけが幸せになる教え。



●限られたパイを奪う勝者になるのではなく、そのパイを増やしどうやったらみんなが食べて満足するのか、と考えられる人がこの世に出ないものだろうか?



 筆者は、この世界の枠組みを是としてその中での幸せを目指すより、やはりどうやったらもっと皆が一緒に豊かになれるのか、を考える方がいい。

 私は口と文章力だけで他はさっぱりなので、こうして日々発信することで役目を果たす。あとは、こういった情報に啓蒙されたどこぞの英雄が、世界を変えてくれることを願っている。

 うちには二人子どもがいる。先日、下の弟君の欲しいものをその時の状況の流れで買ってあげたら、それを知ったお姉ちゃんが「なんで弟だけ? 私には?」とスネた。もしこのまま状況を放置したら、まずいことになっていただろう。私はちゃんと後日、同じようにお姉ちゃんにも与えたら機嫌が直った。

 なぜ、この世界から犯罪が無くならない? 詐欺や恐喝、暴力や争いがある? 頭が悪くなければ、今の兄弟のたとえ話で推測できない? 今の世の中は、与えられる者が偏っていて、ない者の鬱屈が様々な形で噴出している。

 この世界をよくする方法は原理としては超簡単なのだが、今まで築き上げてきた土台を容易には崩せないため、難易度が跳ね上がっているだけだ。それを手放す勇気が持てた時こそ、人類の霊的成長の第一歩である。

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