背後霊というのはいるか

 筆者は興味がないのでまったく存じ上げないが、元ナンバーワンキャバクラ嬢で実業家の『エンリケ』さんという有名人がいるそうで。

 その方が事業でのトラブルを気に病んでか開運を願ってかは知らないが、人生初の『お祓い』をしてもらったことがネット記事になっていた。そのお祓いを依頼された人物がお坊さんなのか巫女なのか何かのスピリチュアル関係者なのか霊能者なのか、そういう情報は全く載っていなかった。ただその方がエンリケさんに「千人以上の霊がついているのでビックリした」と言ったらしい。

 そのお祓いとやらは一回ではダメみたいで、どうも定期的(月ごと?)にやってもらう必要があるらしい。自動車のオイル交換みたいなことだろうか。

「お祓いする度に良くなっている気がする! 体も心もかなり軽くなってきた。こりゃお祓いは続けた方がいいな~」と、本人はインスタで綴っているようだ。

 このネット記事に対して、一般読者の反応は大きく分けてふたつだ。



①騙されている、あるいは勘違い。根本には、そんなもの(背後霊)などというのは迷信だという思想がある。要するにエンリケさんが「お祓いで良くなった」と感じるのは思い込みというか、プラシーボ効果でそういう気になっているだけで、実はカモられているのだと指摘する。霊感商法に引っ掛かっている、みたいな。

 千人ってどうやって数えたんだ、あんた野鳥の会か何か? というツッコミには筆者も笑ってしまった。



②確かに世の中には詐欺やうさんくさいものがあるとはしながらも、この世界には目に見えない世界にというのはあり、常識を超えた霊的世界は存在はするのだろう、魂というものはあるのだろうという考え方。中には「本物」もあり、あたまごなしにすべてを否定するべきではない、とする。

 世には不思議な体験をする人も実際におり、すべてを「勘違いや思い込み」で片づけることはできない。(霊が)見えない人は否定するが、見える人(霊能者)というのはいて、怪しいのもいるがちゃんと本物もいる。



 筆者がこの問題に対して取る立場は、①と②のどちらでもない。

 私の宇宙観だとこの背後霊問題をどう考えるかと言うと——



●すべては繋がっている、という宇宙観。

 だから死者も生者も、過去に生きた者も未来に生まれる者も、可能性の違いにより別の並行宇宙にいる自分や他人も、すべて。

 それだと、すべての人に自分以外の残りすべての人が付いている(彼らも実は自分自身である)ということになり、それだと千人どころではないが!

 霊能者は勘違いしており、すべての人間が実はついているのに、近視眼的にその全員の中から「近い者しか見通せない」。だから、その見える力により「5人ついています」「百人ついています」「千人ついています」と答えが色々になる。



 だから、どっちも正解であり、また不正解でもあるということだ。

 一人ひとりに自分以外の全員がつながっているのなら、背後霊がいるということにさほど意味はないので、「いない」と言っても問題はない。いなようなものだが、「いる」と表現することは厳密には間違いではない。筆者にとっては、はっきり言ってどうでもいい話。

 でも、中には普通人が悩まないような霊的な領域の問題に関わったり悩まされたりする人生シナリオの人もいることだろう。根本的な解決は、その霊的事象にガチで取り組むところにはないが、その人の命の旅半ばでは、仕方なく分かりやすくそういうもの(拝み屋・霊能者)に頼ってもよい。

 だがそれは絆創膏や痛み止めのように「効果が限定的」なものであり、その目に見えて分かりやい「霊的現象」そのものを何とかしようとするところをいつかは卒業しないといけないことは知るべきだ。



●特定の背後霊があなたに悪さする、ということはない。それはそう見えるだけで、繋がっているすべての同意がないと不可なため、宇宙の意志と考える方がいい。



 このように言うと「では、不幸な現象が起きるのは宇宙の意志だとでも言うのか?」と反発される人もいるだろう。宇宙の意志を神様のようなものと考え、神であるからには正義(善)であり間違いを犯さない存在であり「愛そのもの」であると考えると当然そういう反応になる。

 私の答えは冷たいようだが「そうです」というものである。宇宙の意志とは、我々の個々の都合や幸せ(そんな個別性の強いもの本人以外認識不可)など考えていない。ただ、縁起(すべてがすべてに影響し、動きを決めている)による運営しかしない。私たちのことを考えているいないというより、意識構造自体全く違うため、そういう概念自体がない可能性がある。恐らく善悪というのはこの次元にしかない。

 人間だけが「自分がこうだから作った神もそうなはず」という根拠もなく実証もできていない推測を盲目に信じてきただけ。悟りの視点からは「私たちが幸せを願っているのだから、創造主である神も私たちの幸せを願っているはず」というのは気持ち的に分かる部分はあるが、頭の悪い発想である。



 だから、この件はほうっておくのが一番である。

 一生霊が見えず関わっても来ない人がいて、そういう人は「いない」「詐欺に注意」で正解。でも一定数「見える」人もいて、霊感があることにより特殊な世界を身近にするシナリオの人もいて、そういう人は「霊はいる」「大事に考えろ」でいい。

 ただ、その両者がどっちが正しいかで戦わないで。霊がいる、いないでケンカしないで。どっちも正解で、限りない可能性のあるこの宇宙の一側面を別から切り取ったものにすぎないのだから。

 結論。いる人にとってはいて、いない人にとってはいない。どっちが本当の正解ということもなく、どっちで生きても本人さえいいならどっちでないと損ということもない。だからどっちでも好きなほうを安心して選択されたし。

 ただ、いくら信じてもそこにかけるお金の額だけは、家族や知人に迷惑にならないよう配慮すべし。一般的な金銭感覚を異常に逸脱するものは、筆者も肩を持つことができない。

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