Q&Aのコーナー第百回  「英雄の数はなぜ少ない?」

 Q.


 世で大きな(良い)ことを成し遂げる人物は少ないですが、なぜ少数にとどまるのですか? 世の中をもっと良くしていくには、そういう人物がもっと当たり前のように出てくるほうがいいように思うのですが、世界を変えるにはその少数で十分、ということなのでしょうか?



 A.


 お菓子作りで、大量にベーキングパウダーを入れたらどうなるか知っていますか? 



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 私はゲーム好きなのだが、好きなジャンルはRPG(ロールプレイングゲーム)である。あなたが剣や魔法を駆使する強い主人公を操って、世界を悪の手から救うのだ。

 思いません? その世界に登場する味方がみな主人公と同等に強くて、しかもうようよいたら、ゲームが楽なんじゃない? でも、それじゃ面白くないか……



 偉人・あるいは聖人と言われる人物がいる。また、大きなことを成し遂げたり、偉大な功績を世に残す者もいる。いわゆる英雄と言われる人物。

 そういう人物は、数えるのに一晩中かかる、ということもない。歴史を紐解いてみても、英雄というカテゴリーで探してもそこまで無数にはいない。世の発展に貢献した偉人と言われる人物も、少なくはないがそこまで多くもない。エジソンとかキューリー夫人とかシュバイツァーとか、小・中学生向けの『偉人伝シリーズ』という本でも、第千巻とかまでないでしょ?


 

 なので、質問者さんは「そういう英雄・偉人レベルの人がレナウン娘のようにもっとわんさかいたら、世界はもっとよくなるのに、そうはいかないのか」と聞きたいわけだ。確かに、人間の理屈では、個人が個人の領域で志を高く持ち、全力で頑張り努力すれば、世の中を変える大物レベルになり、そういった人のほうが「世の普通」になっていく時、世界はがらっと変わるのだ、とも考えることができる。

 皆さんは、ベーキングパウダーという製菓材料をご存じだろうか。クッキーとかふくらますのでおなじみである。

 あれ、配合的にものすごくちょっとでいいのだ。もう、2グラムとか3グラムの世界である。感覚的に、勝手に「こんなちょっとで本当に効くのか?」と疑って量を増やしたら、あとで困ったことになる。本当に、ちょっとが適量なのだ。



●英雄の数は少ないのが適量。



 RPGのゲームも、その世界を救える力をもつのはプレイヤー1人。あるいは主人公に協力する味方キャラ数人。

 筆者は、この宇宙世界をゲームだとたとえてきた。もちろん、個人視点ではその人自身が宇宙の主人公であるが、すべての人間をひとまとめにした地球ゲームというレベルでは、ゲームチェンジャーとなる人物の数は少数となるのだ。

 だから、仮に人類皆が猛勉強して体力つけて心も豊かになって、全員が英雄偉人になれるレベルに到達したとしても、結果突出するのは少数一定に落ち着く。

 これは、神様のようなのがいて神の意志でそう決めているのではない。こいつはOK、こいつはダメ、とか。



●システムである。自動販売機と同じで、ボタンを押せば出てくる。そこに情的要素はなく、すべては機械的に処理される。



 こいつは頑張っているから、とか報われるようにしてあげたい、とかそういう事情を汲んだり同情したりするような話はない。人類程度の頭では到底その仕組みや法則が理解し得ない異次元システムによって振り分けられ、それを理解するスペックを持たない人間だから「この世界は理不尽」と感じるのである。

 宇宙は無感情に、ただ粛々と謎のシステムに従ってすべてを処理するのみ。人間だけが物事にストーリー付けをする能力があるため、センチメンタルで勝手な解釈をほどこすのである。それがさも科学的真理であるように化けの皮をかぶって登場したのが、一部の「これが真理だ」とのたまうスピリチュアルである。新興宗教にもそのようなものが少なくない。



 要は、目に見えないシステムによって調節されるのである。英雄レベルの人間が多いなら、オーデション最終選考で活躍するのはしぼられる。

 逆にあれ、ゼンゼンいないじゃんか! となったら適格者ではないがそれに近い者が「召命・召喚」される。世に、なんで私みたいのが? という「それまで凡庸だった人物が、本人もまごつくままに大舞台へ出る」的なことが起こるのは、適格者がいないため無理につくられるためである。

 英雄・偉人でも一度なればずっとその地位が保たれるわけではない。当然、人の上に立てば誘惑も多いし堕落もする。人間だから寿命でも死ぬし、英雄の補充は死によるものとその人物の資格失効によるメンバー入れ替えの2ケースがある。

 以上のことから、この世界が英雄クラスの人間であふれていたら楽なのにね~! という妄想は残念ながら妄想の域を出ない。実現不可能である。



 ただし、別次元であるとか、この宇宙であっても銀河レベルをまたいだ遠方の星では、違ったシステムで運営されている星域もあることだろう。

 だが、よそはよそ、ウチはウチ!である。むこうがマリオのゲームをやっていても、こっちはドラクエをやっているのである。別の宙域ではファイナルファンタジーかもしれない。だからよその宇宙人を手本にするとかうらやましがったりするとか意味がない。ましてや、別の高度な精神文明の宇宙人と自分たちを比べて、戦争はまだしてるし犯罪はなくならないし貧富の差は拡大してるし……とか卑屈にならなくてよいのだ。

 これは、あくまでよその星ではなく私たち地球人だけのゲーム。どうなろうとも、自分たちの手で責任をもってプレイしていこうではないか。たとえあなた自身が世の認知する英雄ではなくとも。

 小さな視点では、あなたという人の人生そのものがひとつの宇宙であり、あなたがその主人公であり英雄であるのだ。

 あと、「船頭多くして船山に上る」ということわざもある。百歩譲って人類の多くが偉人英雄レベルになると、そういった世界ではまた別の難しい問題が出てきて、結局世界が良くはならないのだ。

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