年収200万生活
最近話題になっているのが、『年収200万で豊かに暮らす』という言葉だ。
このワードがトレンド入りし、賛否両論渦巻いている。
筆者が炎上の渦中にある書籍を調べると、この本だけではなく「年収200万」という言葉がタイトルに含まれる本が他にもいくつかあって、それなりに注目もされているというところに驚いた。
年収200万は豊かなのか、ということに正解はない。
あなたが「背の高い男子」という言葉だけ与えられたら、どういう人を思い浮かべるか? イケメンかもしれないしそうでないかもしれない。高校生くらいの年代の男性を思い浮かべる人もいるかもしれないし、成人男性を思い浮かべる人もいるだろう。「人気歌手」という言葉だけを聞いても、皆違う人物を思い浮かべるだろう。
どうしても、一人一人のこれまでの人生経験(記憶データ)の振り返りで決定するので、皆違うものを思い浮かべることになる。これと同じで、年収200万という言葉を聞いても、皆が勝手に自分の経験やその言葉に持っているイメージを元に、自分なりの「年収200万」を思い描く。
賛否様々な意見が出るのは当たり前で、一番の正しさを競うのはアホでしかない。美術館の絵全部に「一番上手な絵から最下位までランキング付け」するのと同じで、本来比べられないものを比べるのに似ている。
純粋に年収200万で、心配してくる親・親友もなく頼れる人間関係がないまま暮らし、情弱でしかもシングル家庭で貯金もない。これだったら悲惨だ。
ただ、年収200万でも持ち家があり、近所に両親が健在で何くれとなく小遣いをくれたり、いっぱい作ったからと夕食のおかずをくれて食費が浮いたり、それまでの貯金があったり。役所や福祉支援制度をまめに調べ利用するフットワークがあったり。
ただ年収200万という言葉ばかり独り歩きし、それぞれがそれぞれの人生観・幸福感をぶつけあっているだけになっている。年収200万を豊かというが、そもそも節約したり発想を変えて豊かだと「思おう」としている時点で、すでに豊かではないんじゃないか、という意見もある。本当に豊かなら、素直に豊かだと思えるはずであり、物事の良い部分を見ようなんてひと工夫はいらないのだ、と。
また、それを豊かだと言って認めてしまえばどうなるのか。戦うことを諦めたら、庶民は国にいいようにされてしまう。極端な富裕層はそういうスケープゴートによって身を守られ、自己責任による当然の権利として放置され続け、貧富の差が拡大・維持される。ジェニファー・ローレンスの「ハンガーゲーム」という有名な洋画があるが、あれみたいな世界になる。
『郡盲象を撫でる(評す)』という有名な言葉がある。
それと同じで、皆それぞれに年収200万という名の象を撫でて、象は鼻が長い、象は皮膚が固い、牙が長いと言う。そのすべてがある意味正解なのだが、かといって絶対の正解(完璧に言い表している)でもない。
悟りというものもそうである。スピリチュアルというものにもそういうところはある。皆それぞれ「悟りとは何か」を論じ、「真のスピリチュアリティとは何ぞや」ということを言いたがる。支持を得たら書籍化し、そういう人が小一時間しゃべれば結構なカネになったりする。
●この世界でどんな意見を持とうが、どんな人生観世界観をもとうが勝手だ。
ただし、自分が一番正しいと思うのはお勧めしない。
そこまでいかなくとも、相手の意見より自分の意見のほうが優れている、と感じるのも危険だ。
ただし、時として「相手の意見より自分の意見のほうを上位とする」ことが許されるケースがある。相手に対する自分の優位性を主張していい場合がある。
不当な理由で、あなたとあなたの大切な人の命や生きる権利が傷つけられる場合である。その時は、堂々と自分の正当性を主張し戦え。
ただ、実害のない範囲では、あなたにとって多少アホな意見が世に飛び交っていても「ハイハイ」と話半分に聞いて放っておくとよい。筆者のように日々の世のネタを記事にする人間には難しいが!
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