それでも人生は続いていく

 NHKの朝ドラ『カムカムエブリバディ』がついに終わりを迎えた。

 筆者はもともと朝ドラに興味はなかった。だが、結婚すると奥様が絶対欠かさず見るため、ごはん時に流れているのをあえて意識に入れない努力をするのもアホらしくて受け入れて見ているうちに、作品によっては興味をもつようになった。

 ここ数年で気に入って見たのは『おちょやん』『スカーレット』だろうか。『半分、青い』と『なつぞら』はあまりのめりこめなかった。なつぞらなどは昔のアニメが多数登場するという筆者のツボ押さえまくりなはずなのに……

 今回の記事の題材であるカムカムは、奥さんにつられて見るようになった朝ドラの中でもっとも推しの作品となった。



 三世代の女性を主人公に据えた、新しい試みがなされた。

 駆け足感は指摘されるが、言われるほどは気にならない。

 最後の親子の和解というかハッピーエンドは予想されて当然のものだが、予定調和とはいえ胸アツである。『暗闇でしか、見えぬものがある。暗闇でしか、聴こえぬ音がある』という作中の時代劇のセリフはなかなか深かった。

 全編を通して筆者が個人的に名言だと思うのは、オダギリジョー演じる錠一郎のセリフ「それでも人生は続いていく」というセリフだ。

 これはどんな場面で言われたセリフかというと、ひなた(川栄李奈)の弟・桃太郎(青木柚)が長年恋心を抱いてきた年上の女性の結婚が決まってしまったことを知り、自暴自棄になる場面。



 筆者の人生も、まだ先はあるがここまでも実に色々なことがあった。

 それはこれをお読みの皆様もそうだろう。

 賢者テラとして活動し始めた時。悟りというものを得たあの瞬間は、本当にすべてが分かった気になった。今後、知る必要のある知識や境地があるなど思えなかった。それは、救世主活動を開始した時点のイエス・キリストもそうだろう。だからこそ人々に説教をして回るということができた。

 しかしイエスは、十字架上で『自分にはまだ分かっていないことがある』ことを知るのだ。まさに先ほどの「暗闇でしか、見えぬものがある」ということに気づく。

 スピリチュアルでは、光だけに焦点を当て闇は敵視する。敵視まではしなくても、克服したり無くす対象として扱う。自分の生活にそういったファクターが関わってこないことを願う。

 キリストの最終的な悟りとは『ある時点で自分は悟ったと確信しても、この世界においては人生が続く以上まだ先がある』と知ることである。それでこそ、覚者と言われる人物は謙虚になる。



 うれしいことも悲しいことも。

 つらかったことも、心に何らかの影を落とす出来事も——

 それらもすべて背負ったままで、また新しい朝が来る。その繰り返し。

 そう。その日何があったとしても、また明日が来るのだ。

 賢者テラは、悟りは分かったが覚者ではない。覚者というものを、常に悟りの境地から物事を例外なく判断し、決してブレず人々の模範的人物・指導者にふさわしく在り続けるものだと定義するならば、私は思いっきりそこから外れる。

 禅や悟りなど究極どうでもいい。ただ大事なのは、生きる以上『それでも人生は続いていくんだ』という当たり前のことに自覚的であるということ。そして願わくば皆さんに、どんなに辛くとも自殺という手段は選ばず、とにかく鼻から息ができている状態でこの世に居続けてほしい、ということだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る