チャネリングになぜ価値があるのか

 筆者が過去、トランプ大統領が誕生した頃に、彼について「危険である」「あまりよいことではない」という意見を発信した時のこと。

 それに触れたある人物が、「あなたがあまりにもお分かりでないようなので、教えてあげます」という感じのメールを送ってきた。

 その人物はどうもアメリカ在住で、かつ政治の世界に無縁ではない立場にいらっしゃるようだった。当時世間的に流布していた「トランプ怖い・大丈夫か」的な情報や噂は根も葉もないものだ、と。

 自分は立場上誰よりもちゃんとしたことが言える、と。その人物の見解ではトランプ氏は「素敵な人」で、何ら心配することも要らないどころか、期待できると。

 世間的な不安をそのまま鵜呑みにしているあなたが可哀想なので、おせっかいながら指摘してあげます、というような雰囲気の文章だった。私はざっと読んだが、何も心動かなかった。メールの人物が指摘する通りに私が「全然見当違い」だとも思わなかった。

 それは、ある理由による。



 筆者は政治評論家でも、学者や報道関係者でもない。事件などを追うジャーナリストでもない。

 後ろの百太郎の言うことを、文章で通訳するヘンなやつだ。スピリチュアル業界であえて一番近い言葉を探すと、『チャネリング』というものになる。

 チャネリングとは、自分たちの住む次元を超えた、通常では知り合えない存在から通常知り得ない情報をキャッチすることである。

 その場合、「相手の事情を事細かに知っている」ことが、必須要素ではない。

 だって、ダイレクトに伝えられるのだから、何かの対象を良く知って研究してないとちゃんとしたことが言えない、という話にはならない。むしろ、チャネリングにおいてはチャネラーが幼ければ幼いほど「チャネリング先に関する情報がもともとありすぎても、それが潜在的先入観となって、内容が歪む場合もある」という危険がある。だから、チャネリングの場合「相手を知らなければ知らないほどよい」のだ。



 私は、ここで述べることすべてが「うしろの何か」によるもので、例外はないと言ってきた。ゆえに当時のトランプ氏に関する話題も、厳密にはそれである。

(一応、政治的意件を述べる際のエチケットとして、「あくまでも個人的見解です」という注釈は載せているが、実はそれほど個人的でもない)

 だから、私が個人的にトランプ氏をよく知り得ない立場でも、チャネリングであれば成立するのである。なぜなら、チャネリング先だけが問われるだけで、私はその内容に勝手に介入しない。

 そもそもチャンリングを信じない(スピリチュアルに興味がない)人なら、私の言っていることはまるで価値がないだろう。それこそメールの送り主のように「こいつ、よく研究しているわけではないな。本場アメリカで彼に接近できる私からしたらちゃんちゃらなってない意見だ」と思われるわけである。

 だが、ここで一言いいだろうか。



●事情を一番よく知っている人物が、もっとも真実に近いとは限らない。

 むしろ、最も近いからこそ、見誤っている場合がある。

 彼ほどに事情を知らない第三者のほうが、事態をちゃんと見れることもある。



 例として、例えばある国王の側近中の側近がいるとする。

 二人は幼馴染で、ずっと一緒に育ち、大人になったら共にまつりごとをしてきた。

 その側近が、王が悪いうわさで窮地に立った時「王はそんな人物ではない。それは、子どもの頃から王を見てきた私が一番よく知っている。確かだ」と信念をもって言ったとしよう。

 でも、最後の最後でやはりその信頼を裏切られて、愕然とする。

『砂の塔』という菅野美穂主演のサスペンスドラマでも、育児日誌を幼少時から細かにつけてきたほどの「育ての親」が全然子どものことが見えておらず、長い間行方知れずだった「生みの親」のほうが、子どもの危機をかぎつけ育ての親よりも先に助け出す、というストーリーが描かれていた。

 皮肉だが、一番見えているはずの者が見えず、知らないはずで見えてなさそうな人物が適切な判断をすることもあるのだ。



 今の話の子の親も、今回のメール主も思っているんだろう。

「この子のことは、私が一番よく分かっています」

「政治のことなら、あんたよりも私の方がもっと情報を持ってますし、正しく判断できます」

 じゃあ、チャネリングって一体何のためにあると思う?

 対象を一番よく研究して、一番情報を持っている者がいつでも正しい——。

 もし、これが本当なら、世界はこれほど混乱していない。

 混乱の原因は、そういう「一番よく知っているはずの者が、その思い込みから実は一番真実から遠い者になる」可能性が、ところどころで実現してしまっているからだ。「盲人が盲人の手を引く」という構図になっている。

 実は、一番情報を持っている人が一番分かっていないことがある。だから、チャネリングに値打ちがあるのだ。



●チャネラーがチャネリングした内容に関して、それは自分で考えたわけでもないから「一切の主観や私情が排除されている(手を加えず、正直に発表すればの話)」点において、個人が情報を分析して私見として述べるのに勝ることがある。



 もちろん、チャネリング先がダメダメだったら、情報も価値がないのだが。

 筆者も、自分のうしろの何某が完璧なヤツだとは思っていない。だた、長年の付き合いで信頼は寄せている。

 だから、自分はよく知らないことであっても、堂々と語るのである。

 もちろん、トランプ氏に関する私の見解のほうが、メール主よりも正しいとか、私が文句言われるのはおかしい、とか言いたいわけではない。

 ただ、対象に関する情報を最も集め、もっとも研究した者でなければ正しいことは言えないんだとしたら、この世界は大変なことになる。なぜなら、人間という生き物はそういう「極めた人物」ですら判断を誤ることが起きるものだから。



 だから、チャネリングがある。

 それは、話者が必ずしも話の内容に精通していなくてもいい、という長所がある。

 知らないからこそ、「これはおかしい」とか、自分の考えが出てきてメッセージを修正したり削ったり、ということが起きにくい。ただそのままを語れる。

 もちろん、チャンリング先が確かかの証明や保証はできない。だから、知らないくせに政治的意見言いやがって、とか言うのなら、もう私の記事は読まなくていい。そんなあなたを説得するすべがないので、ただ放っておいてほしい。

 あなたがチャネリングなぞ世迷言だ、と言うなら、私とあなたは一生関係することのない他人でしょう。それをして、その根拠のない言葉に信頼を寄せている私など、理解できない人種でしょう。

 でも、そこに希望を見出し、拠り所とし従い、人生を懸ける者もいるのです。その自由を認めてやってください。反社会的行為をするわけではないのだから。



 筆者が以前トランプ氏に関して述べたのは、「地球ドラマ内における、脚本としての役割」「次の新しいものに変化するための、以前のものを破壊する役割を担った使者」であるということで、平面的な、政治的ニュースや情報を完璧に知っていて下す判断とは一線を画する「もっと高い視点からの話」なので、「それは現地のリアルな情報がよく分かっていないのでは」という批判は的外れなのである。

 むしろ、お言葉を返せば「自分は誰よりも情報を持っているので正しいと思っている」その人物のような人こそ、足元にお気をつけあそばしたほうがいい、ということだ。情報戦という地のレベルでは、いくらでも誤る危険があるからだ。

 そもそもトランプ氏に好意的である、というそれだけでも無数のバイアスがその判断に影響を与えてしまうことも見逃せない。



●チャネリングの長所は、その人物が正直でさえあれば、ものを良く知ってなくても構わない、という点。(ただしボキャブラリーが乏しいととっても辛い!)

 もちろん、チャネリング先が確かかどうかという問題はついてまわる。だからあとは個人の感覚で、責任で、これはと思ったものを採用するしかない。

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