人の振り見て我が振り考える
『人の振り見て我が振り直せ』ということわざがある。
今回の話題は、このことわざの「直せ」という部分を「考える」にしてはどうか、というお話。
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ネット記事で、『挨拶をしない若者に、挨拶をしない理由を聞いてみた』というのがあった。
もちろん若者皆がそうではないが、「気になる程度には」そういう者も見受けられるということで、記者が実際に挨拶しない若者を一人選び、サンプルケースとしてインタビューしてみた、というものだ。
全文は長すぎるので、以下に私なりに言葉を替え、略したものを紹介する。
【記者】: どうして挨拶って必要ないと思う?
【若者】: だって、考えてみてくださいよ。例えば朝会った時にお互いが「おはようございます」とか挨拶したら、それだけで言葉のキャッチボールを1往復するわけですよ。それって、めっちゃ無駄だと思わないですか?
「おはよう」って言葉に意味なんて何もないじゃないですか。用がないんだったら話しかけなかったら、お互いプライベートな時間を守れるんですよ。
【記者】:そりゃ、言葉自体に意味はないかもだけど、そんな数秒のことが面倒なの?
【若者】:毎朝「おはよう」って挨拶する相手に、次の日に「お前死ね」とは言わないですよね。そんなことはまずない。やはり、来る日も来る日もおはよう、なんですよ。だったら、省略でいいじゃないですか。時短ってやつですよ。ムダは省いて効率化しないとダメっすよ。
まぁ、仮にいつか「お前死ね」っていう日が来る可能性が見込めるなら、日常的に「おはよう」って言ってもいいですよ。
あと、大事な考え事している時に挨拶されるの、サイアクじゃないですか?
何かがひらめきそうだったのに挨拶されて、それでせっかくのひらめきを忘れたらタイヘンなことですよ! もしそれが世界に革命を起こすレベルのひらめきだったら、どうしてくれるんですか。それこそ、人類にとって大きな損失っすよ!
挨拶をしなくてマイナスになることなんて、何もないんですよ!
【記者】:うう、人類にとっての損失かぁ……すごいレベルの話だね
【若者】:あと、挨拶をしろってうるさい人ほど、挨拶をする意味の考えが浅はかだったりするんですよね。挨拶をしたほうが気持ちいいとか、意味分かんねぇです。精神論とか人としてどうとか、そういうものはこれからの時代、はやらないと思いますね。
近い未来、挨拶をしない時代が来るとさえ思ってますよ。全員が心の中で挨拶をしておけば済む話ですからね。皆がそれに気付く時代が来ますよ。
【記者】:すごいな。そこまで断言するのか……
【若者】:あと、余計な挨拶を抜いて本題に斬り込むほうが、会話もスピーディーっすよ!
【記者】:それも一理あるかもだけど、やっぱり時間にしたらほんの数秒のことなんだから、そんなに変わらないと思うけどなぁ。挨拶した方がいいと思うけどなぁ!
【若者】:パソコンだってスマホだって、人間は1秒でも反応が早いの、動きがスムーズなものを望むじゃないですか。それとまったく一緒ですよ。効率よくコミュニケーションするのがこれからの時代のトレンドですよ。そのうち、挨拶をするのなんて頑固なオッサンか九官鳥しかいなくなると思いますよ。
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……以上、いかがでしたか?
確かに、呆れるよね。でも、ホントブレないよね! 考え方が。そこはこの若者、ある意味でスゴイ。
今回筆者がこのやりとりを紹介した意味は、なんだと思いますか?
これ、すごく一理あるでしょ? ではない。個人的には、どちからというと嫌いな意見だ。
こういう考え方に触れた時、あなたが挨拶を大事に思う人ならどう向き合うか、が大事である。多くの人は、自分がこれはいいと思っている内容に対して反対意見を言われたら——
「これはけしからん!」ととにかく嫌う。
挨拶をしない、要らないなんていう意見、絶対におかしい。そんな若者が増えてきているなんて、日本も終わりだな……
そんな風に、ただ「嫌悪・排除・攻撃」する方向に行くばかり。
「人の振り見て我が振り直せ」だったら、この若者の話を聞いて「コイツサイテー。私はちゃんと挨拶しよっと」となるが、それは千円払ってうまい棒1本しか得られないようなもので、非常にもったないない上に学び方としてはサイテーだ。
たとえば今回なら挨拶の話になっているが、相手の「挨拶しない」事実とそのこじつけのような屁理屈に腹を立て、けしからんとするのは学ばない姿勢である。そうではなく、「自分を振り返る」材料にするのである。
こういう人が私の目の前に現れる(そういう情報に触れた)ということは、そこから何か自分を吟味する材料としての価値があるんじゃ……?と考えてみる。
この若者は、憎たらしいが考えさせられることも言ってる。
「挨拶をしろってうるさい人ほど、挨拶をする意味の考えが浅はかだったりするんですよね」
これは、本人に言う資格があるかとか要らんこと考えだしたら結局損するので、素直にその言葉をかみしめてみよう。
若者って、確かに考えが浅いし屁理屈も多いが、時々するどいことも言う。
確かに、この世界で「良識」と言われるものを分かりやすく推進する人種って、もちろん皆が皆じゃないけど、「本当に意味と価値が分かってススメてんのか」って思うことも多い。
宗教的なススメや、スピリチュアル的な考え方。そういうものを率先して広めようとしてる人って、かえって「その本質的理解が浅い人」の率が少なくない。
●だから、信じない人の反発を食らうのだ。
スピリチュアルが広まらない理由って、ひとつにはそれもある。
世界平和とか真実の愛とか、悟りとか次元上昇とか魂の浄化・成長とか——
実はそのキモを分かってないで騒いでいるので、鋭い一般人に見ぬかれ嫌われる。
だから、「挨拶が要らないなんてヒドイ」「なんて無茶苦茶な考え方!」では寂しい。むしろ、「じゃあ私の挨拶って、どうだろ?」と考えるのだ。
この若者に、胸を張って挨拶は素晴らしい、と言えるだろうか。納得させられるだろうか。
たとえそれがムリにしても、この若者と対峙して最後まであなたの信念というか、正しさは揺らがないだろうか。もし、ちょっとでも痛いところを突かれた、と思ったなら感謝したらいい。相手がどんなやつで、どんなことを言っていて、その言う資格があるかどうかなどとりあえず脇に置いておいて。
反対意見や、ちょっとあなたの気持ちを逆なでする意見は、結構勉強になる。
ただ毛嫌いするだけでなく、自分に当てはめて考えてみること。本書も、それに近い手法で読者に気付いてもらうためにある。
今回の記事はちょっと気に入らない、と思う時は「なぜ、何が気に入らないと思ったのか」を落ち着いて分析されると、結構見えてくるものもある。
一番残念なのは、「キライ」だからその先の展開は最初から可能性ゼロ、というやつ。もちろん、イヤなものは見ない、触れない自由があるからいいけど、10のうち1くらいは、時々勇気を振り絞って自分に照らし合わせてくれたらいいと思う。
だから、「人の振り見て我が振り直せ」ではなく「我が振りを考えてみる」でいいのだ。
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