プロフェッショナル

 芸能ニュースで以下のようなエピソードが報じられていた。

 ある女性アイドルが、特定のお笑い芸人に対してバラエティー番組の中でこう発言した。

「普段は面白くなかったけど、今日は面白かったです」

 その後4年間、女性アイドルはそのお笑い芸人に無視され続けた。



 そのエピソードを聞いた明石家さんまが、「その芸人の気持ち分かるわ」とコメント。芸人が一生懸命考えた笑いを、お笑いのことを何の勉強もしていないアイドル風情に「普段面白くない」などと言われたらすごいショックだろう、と。

 やはりここは、余計なこと言わんと「面白いですね」でよかったのだと指摘。



●人の批評はしたらアカンよね。

『おのれ、どれくらいの人間やねん?』って思われるよね。



 このさんまのコメントに、世間は色々な反応を見せるのだが、1番多数派だった意見はこれである。



●さんまさんの言うことは、もちろん一理ある。

 一生懸命やっている人への礼儀というか、相手の気持ちを考えた上で、人間としてどう接していくべきかという点では、まさにその通りだと思う。

 でも、それは芸のプロが世間に言い放つ言葉としては残念。

 だって、そのお笑いのことを勉強してない一般人を笑わせるのが、そもそものお仕事なはず。お笑いのことを分かってないやつに色々言われたくない、というのは職業的なプロ意識としてはどうなんだろう。



 これは、非常に線引きの難しい問題である。

 人は、いつ何時でも万民に通用する真理を言うことはできない。

 さんまはこの時、自身も芸人であり気持的にお笑い芸人に感情移入する感じになったのだろう。素直に頑張っている芸人を擁護する気持ちから「批判はよくない」と言ったのだろう。

 でも、世間に何かを提供し、理解して対価を払ってもらい生計を立てるという「お仕事」である以上、誰から「面白くない」と言われようが、関係なく謙虚に聞き雄々しく立たねばらなない。

 筆者個人としては、さんまさんのこの擁護は余計であり、残念だったと思っている。某アイドルを4年無視し続けたやつも、懐が狭い。

 もちろん人間としてダメだということでなく、プロ意識に欠けているということ。本当のプロは「素人がテキトーなこと言うな」と腹を立てない。

 むしろ、そのシロウトさんがいかにしたら自分を気に入ってもらえるか研究するのがお笑いのプロであろう。人前でパフォーマンスさせてもらってなんぼ、の仕事人には、イヤでも受け入れないといけない宿命なのだ。



 当たり前のことを言わねばならないが、その職業をしている人以外は、素人なのだ。つまり、誰でも仕事をしている人は「あなたのしていることを、あなたほどには知らない人々」ばかりがサービスの対象なのだ。

 パン屋さんの客はほとんど、プロの製パンのことを知らない。人気ラーメン店に群がる客は、そのラーメンのスープの秘密など知らない。

 でも、その「本当の事情や苦労を知らない」人々こそが、評価の鍵を握っているのも事実。これはもう、どうしようもない。

 職業人にできることは、相手にされたいなら世間を見据えて下手に出ること。

 音楽家が、「この音楽は凡人には理解されない」と言っていてもしょうがない。

 マンガ家が、「売れてないけどそれは作品がダメなんではなく、世間がまだまだオレの表現やメッセージ性に追いついていないだけ。見る目がないだけ」と言ってもしょうがない。

 その道をよく知らない群れに支持されないと、どうしようもない。



 筆者の奥さんは、吉本新喜劇が大好きで、よくテレビで見ている。

 私もタイミングが合えば一緒に見たりするが、やはり分かりやすくて面白い。

 もちろん、私はお笑いのことなど何も知らない。勉強してなくても、吉本は面白い。それでいいじゃないか、と思うんだが?

 素人かもしれないが、そんな私たちを笑わせてくれるのが、プロの芸人なのではないか。たとえ本当だとしても、分からないヤツにはこの本当の良さが分からない、と言ってはいけない。特に、玄人が素人(あるいはお客さん)に言う場合は。

 もちろん、同じ道を目指す同士なら、師匠と弟子みたいな関係なら、「お主10年早いわ」とか言ってもいいと思う。それは、一流を目指すうえで必要な「辛辣さ」である。一生楽しむ側であろう素人の一般人は、触れなくてよいものだ。



 さて、スピリチュアルという世界ではどう考えようか。

 信じていない一般人からしたらドン引きするような、仰天する内容も少なくない。

 信じている、ハマっている側からしたら、「一般の人には分からない」などと思っているかもしれない。「精神レベルの低いやつらには分からない」 と。

 それは裏返すと、「そんな中で自分は分かっている」という優越感にもつながる。そんなだから、スピリチュアルにご新規さんが少なくともそれほど嘆かない。だって、分かってる自分たちが際立つから!



 悟り系の話なんて、多分超上から目線だよね。

 覚者の語る言葉など、よく分からない上に体験してない者にはつかみどころがない。想像くらいはできても、おおよそ実感が分からない。

 あなたはいない、この世界は本来「実体が無い」と言われましてもねぇ……

 まさに「一見さんお断り」「素人(世俗的な人々)には理解できまい」の世界。

 内輪だけで盛り上がり、何語か分からんスピリチュアル用語混じりに語り合う。でもその絆は、いざという時驚くほどに脆い。



 スピリチュアルも、「普通一般の人には(関心持たないから、理解しようとしないから)分からんのよ」と言ってはいけない。あと、(スピリチュアル的)資質とか素養とか言いだす人もいるかもしれないが、それもやめよう。「ああいう人には一生スピリチュアルは分からんわ」 とか。



●一般に分からんもんは、世間に出す仕事としては失敗なのだ。

 分からん、言われたら「スイマセン」でいいのだ。それが、仕事だ。

 提供する側がお客さんに上から要求したら、もうおしまいである。

 こちらが何か言っていい唯一のケースは、仕事の良し悪し以上に人としての尊厳を踏みにじられた時である。その時は、黙ってなくていい。

 ただ、お笑い芸人が「普段面白くない」と言われた程度では、その憤慨していいケースにはならない。その程度でキレてたら有名人として立つには失格である。

 それくらい、謙虚に受け止められなくてどうする。



 それを、お客さん側が不勉強だからと言ってはならない。そこをどう克服するか、が腕の見せ所なんではないのか?

 もちろん「受け入れられたいあまり、言いたいことより他人にウケることを言う、その結果その人の持ち味という軸がブレる」という誘惑はあり、非常に危険である。大勢が負ける。

 今回話した観点からすると、筆者は自分が職業的「プロ」として優れているとは言えない。大勢にウケないからこそ、今の自分の状態があるわけなのである。

 本書はもはや「ワーク(仕事)」というよりも、どれだけ言いたい放題言ってられるかの壮大な「実験場」だと思っている。

 さて、いつまで続きますことやら……

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