即席外国語会話知識

 筆者が初めて海外旅行なるものをした先は、韓国であった。当時大学生だった。

 韓国が好きで、ハングルを勉強していた、とかいうのではない。ただのお気楽旅行ではなく大学がらみのイベントでもあった。行った先の学生と交流みたいなプログラムに参加する必要があったため、多少は韓国語を覚えていった。たとえば——



●チョウム ベッケ スムニダ

 チョヌン ケンジャテラ ラゴ ハムニダ



〇初めまして。

 私の名前はテラと言います。

(もちろん、当時私は賢者テラなどではないが!)


 他にも——



●チャルモッケスムニダ (いただきます)

 チャルモゴッスムニダ (ごちそうさま)

 カムサハムニダ (ありがとう)

 アンニョンハシムニッカ or アンニョンハセヨ  (こんにちは)

 アンニョンヒガセヨ or アンヨンヒーケシプシオ (さようなら)

 ~ヂュセヨ (~をください)



 もちろんにわか仕込みなので、文法構造や個々の単語(何が名詞で助詞で、会話文になることで原型から変化しているのか)など、なにがどうなってそういう言葉になってるのかはさっぱり分からない。ただの丸暗記である。

 なので、相手に何とか通じると安心した。

 私は、ごちそうさまの「チャルモゴッスムニダ」を間違えて覚えていて、韓国人との会話で「チャルモゴッタ」と言ってしまった。

 後で分かることなのだが、モゴッタはいわゆる「動詞の原型」。そのまま裸で使うことはない。

 英語で walk (歩く)なら、過去形なら~ed をつけて walked となるし、現在進行形なら walking となる。原型そのままで使うのは、toプラス動詞の原型(to 不定詞の用法)くらいで、I walk(私は歩きます)なんてベタな使い方はまずしない。



 結局、チャルモゴッタと言った時、韓国人にヘンな顔をされた。

 相手に日本語は通じなかったが、英語は大丈夫だったので「ごちそうさまと言いたかったんだけど」と告げたら、「それなら最後の『タ』を取ってスムニダをつけたらいいよ」と言われた。

 ちなみに、そこにスムニダではなく「ゲ」を最後につけたら「チャルモゴッタンゲ!」となるが、これはちょっと野蛮な言葉で、どこぞのオッサンがゲップ混じりに「あ~食った食った!」という感じの言葉になるらしい。

 まぁ、旅行者や一般の人間関係では使うべきでない表現のようである。



 スピリチュアルの講演会や本で得たスピリチュアル知識(頭で分かったもの。理屈としては理解できたもの)というものは、大枠で言うとこの「丸暗記」に相当する。

 丸暗記の海外旅行ご用達ワンポイント会話文だと、何が主語で時制でどう変化して、などという細かいことは分からない。それと同じように、とりあえず覚えたそのスピリチュアル知識はなにがどうして、なぜそう言えるのかまでは実感できてない。

 ただ「~すると幸せになる、人生がうまく回りだす」という文言を聞いて、「おお、そうすればいいのか!」という納得の仕方になる。

 もちろん、英会話にしてもハングルにしても、誰だって初級者の時は通過する。ただ、本当にちゃんと続けていくつもりがあるなら、いつまでも初級者の学習手法(理屈はともかく暗記する)にとどまっては具合が悪い。



 最初は、とりあえず現地に行くという差し迫った状況があるので、はいとかいいえ、これくださいとか駅はどこですか? くらいは丸暗記ということで仕方がない。

 でも、好きで何度もその国へ通うなら、そのうち細かい理解が生じてくる。また、旅行の合間に、自国でよりその言語を勉強することもすれば、次に行くときには「丸暗記でなく、ちゃんと言葉のつながりや意味も理解した背景をもってしゃべれる」ようにだんだんなるわけだ。前回の記事でも触れたが、「~すればいいんですよね?」「~という理解でよろしかったでしょうか?」と結論を急いで聞いてくる段階は、外国語丸暗記の段階である。

 もちろん、丸暗記が悪いわけではない。そういう時期も必要だ。ただ、その自覚なしで胸を張って、何年もその状態に居続けている人も少なくない。

 もちろん、答案の答え合わせのように、その人がそれまで積み上げてきたものと、スピリチュアルで聞いた話が内側で結びついてスパークし、「そうね、そうだよね!」とどストライクで深く落としこめる場合もある。その場合は、今日の話の例外で、まったく理想的なケースである。



 とにかく、覚えた知識は「経験」してみることである。

 実際に、使ってみることである。

 もちろん、いきなりうまくいかないこともある。試行錯誤も続けるだろう。

 それは、外国語学習だって同じこと。最短コースとかないし、合理性を追うべきものではない。

 一度「なるほど!」と思えても、それが今後自然に実践できるようになるまでは、そのスピリチュアル知識が「自分のものになった」とはまだ思わないほうがいい。その知識という名の骨組みに、美味しい肉をつけていく作業が必要。

 骨付き肉って、本当に美味しいよ!

 そういう作業をコツコツ辛抱強くやっていけば、いつしか質問も止む。

 日本語で意味さえ分かればあとは自分で「肉付け」できる能力がついた人は、もう他人に意味など解説してもらわなくても、自分でその理解に至れる方法を経験則として知っているのである。



 悟りに至ると、一切の質問が止むというのはそれにも似ている。

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