家を売るオンナと自給自足

 ひと昔前、北川景子主演の『家を売るオンナ』というドラマがあった。

 不動産業界を舞台に、どんな手段を使ってでも絶対に家を売るスーパー営業ウーマンの型破りな活躍を描いている。一部で、松嶋菜々子の家政婦のミタや、米倉涼子のドクターXを意識した二番煎じという批評も出たものだが、ここまで徹底されると清々しくてよい。

 決してハマッている演技とは筆者の目には見えなかったが、それでも振り切ってやっていることは伝わるので、そこは好感がもてるので毎回見ていた。



 その当時を振り返ってのことだが。

 一度たりとも「番組の最後までちゃんと見たことがない」のだ。

 オチまでちゃんと見たことがない。それはなぜか?

 当時ウチには保育園児の子どもがおり、その世話のためきっかり定時にテレビの前に向かう、というのが難しい。だから、ほとんどの場合録画したものを手の空いた時間に見ることになる。

 テレビにはハードディスクがつないであり、番組表を表示させて選択し、そこに録画予約をしたものが入る。

 かれこれ4年ほど使っているが、こちらがうっかり容量いっぱいまで録画してしまい残量がないので予約しても撮れてなかった、という自己責任による失敗はあったが、それ以外は不具合などなかった。

 しかし、この「家を売る女」に関してだけは、たたられてまして。ハードディスクの残量もちゃんとあるのに。番組表で間違いなく指定録画しているのに——



●オチの最後15分ほどが、いつも欠けている。



 いいところで、突然「録画が終了しました」という表示と共に、プッツリ切れるのである。

 第一話でそれが起きた時はもちろんたまたまだと思い、あきらめた。まさか次も同じことになるとは思わなかった。

 第2話、さすがにおかしいと思った。でも、考えられる範囲でこちらの操作上の間違いはないはず。これでダメならお手上げだ、と感じながら迎えた第三話……

 やはり、解決編直前で強制終了。(涙) 結局、このドラマに関しては関心を寄せて見ているのに、結末をまったく見れないという!

 もはや、こんなオチだったのでは? と自分で想像するしかない。かくなる上は開始時間と終了時間を意識して手動で録画するか、だがそこまでする気にもなれず。

 結局あきらめ、だいぶ後に動画サイトの全話一挙配信でちゃんと見た。

 当たり前にできるはずのことができない、これが結構経験すると辛いものだった。



 私たちは、無数の「当たり前」に頼って生きている。

 電気水道ガス。食料品に周囲に溢れているサービス。そういうものがあるのが、完璧に動いているのが当たり前。

 テレビだって、つけたら映るのが当たり前。機械は、ちゃんと操作すれば望む動作がちゃんと得られるのが当たり前。車はキーをひねればエンジンがかかり、アクセルを踏めば進んで当たり前。

 もちろん、ほとんどのケースでその通りになるから、この世界はさほど問題なく回っている。

 しかし、9割がた問題なくても、本当に時としてその当たり前が「崩れる」ことがある。その時に、人はタイヘンな思いをすることになる。

 平時は大して意識しないが、「その当たり前が奪われたらどれだけ大変な世界か」を思いだすいい機会となる。では、どうしていったらいいか、ということも同時に見えてくる。



 電気ガス水道のライフラインが常に完璧であることが当たり前の生活。

 料金を払っていないこと以外の理由で勝手に止まったら、エライことである。

 近くのスーパーに、常に商品が補充され品揃えがあることが当たり前。

 しかも日本の食料自給率は低い。これ、私が小学校の頃習ったのに、それから数十年も経っていて何の改善もない。海外から飛行機やタンカーで運ばれてくるのが当たり前で、それがなくなる日のことなど考えない。カネさえ払えば、絶対に大丈夫と思っている。

 だから、トップは誰も何もしない。



 阪神大震災の直後、神戸でソーセージが五千円で売られる、という異常事態があった。災害があると、その地域は一瞬鎖国状態になる。食糧、水などの供給が一時的にマヒする。

 たとえ農家であっても、世のシステム的に自給自足などという状態とは程遠いため、配給してもらわないと数日しかもたない。家は、電気ガス水道が生きている前提でデザインされているので、それが死んだら現代の住居はただのホラ穴である。夏場や冬場、冷暖房が使えなければ地獄を見る。

 高級高層マンションでエレベーターが死んだら、高い見晴らしの良い階に住む者は、注ぎ込んだ額がとっても恨めしい事態になる。



 先進国・島国日本の弱点は、高度に構築され過ぎた経済流通システムである。

 自国で自給できなくても、それは外まかせで日本は別の分野をウリにして銭を稼ぎ、それで食料をなんとかしている。そのシステムだって神ではない。何かのことで、突然崩れ去る危険はないとは言えない。

 システムが日本人を裏切らないうちはよいが、有事の際には笑えないことになる。

 仮に日本が孤立したとして、真っ先に死ぬのは都心部に住みしかも下流の庶民。当然、食糧を調達しやすい立場の地方、カネや権力のある者はそれにもの言わせて、最後まで食べられるだろう。

 天空の城ラピュタ、というアニメ映画におけるシータの名言がある。

 


●今は、ラピュタがなぜ滅びたのかあたしよく分かる。ゴンドアの谷の歌にあるもの——

『土に根をおろし、風と共に生きよう。種と共に冬を越え、鳥と共に春をうたおう。』

 どんなに恐ろしい武器を持っても、沢山のかわいそうなロボットを操っても、土から離れては生きられないのよ!



 最悪のシュミレーションから日本が助かる方法。

 それは、農業。つまり、第一次産業。

 ここまでクルマ社会、ビルディング社会になってしまったものを無くせ、とは言わない。でも、ある程度コンクリートで覆われた地面を掘り返し、畑にできる勇気と思いきりを持たないといけない時代になってきている。食糧の自給率を上げることが、ノアの箱舟となる。

 よく考えたら、生き物として「自分の食う分は自分たちでまかなう」のは自然界では当たり前。しかしその当たり前を、貨幣経済や高度な社会システムが、自然に働きかけるということなど関係ないことで、間接的に食糧を得られる道を作り上げてしまった。

 それに問題が起きた日のことなど、夢にも考えないで。いつまでも、今の状態が当たり前に続くと信じ切って。



 シータの言葉に感動しても、自分の現実の生活とはとりあえず関係ない、という考えでは以後怖いことになる。

 流通にまったく何も問題のない今、食糧自給とか現実的でないことを言いだす筆者の方がおかしいやつになるかもしれない。人騒がせなことを言うやつ、と思われるかもしれない。

 でも、それでも言っておく。今後政治家になる、あるいは首相や知事など国を動かす立場になる人には——



●どんな公約よりも、人間が「自然の中に生きる生き物として失ってはいけないもの」を取り戻すことを考えてほしい。でないと、風の谷のナウシカの世界のようなことになる。 

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