自分の内側に意識を向けるスピリチュアルの限界
日本のTVドラマの世界で、『超人気俳優を出しているのに視聴率が取れない』 という現象が起きることがある。
かつて福山雅治を主演に据えた『ラヴソング』というドラマがあった。彼が主演ならばある程度の視聴率は手堅いと考えて、局側も勝負に出たんだと思う。
しかし、局の思惑とは裏腹に、視聴率は低迷。笑える話に、その大コケの理由を専門機関に分析を依頼したんだとか……
そんなの、分かれよ。どうしても人に聞きたいなら、専門機関より視聴者に聞け。
ともかく福山キャラありきで、その人気に頼り過ぎた部分・ドラマの設定のまずさ・彼の歳ではるかに若い女性との恋愛を描くことの是非・相手役女優の未熟さ等々、ダメな理由をいちいち挙げればキリがない。
ただ一番大事なポイントは「福山ひとりがいかに頑張ろうが、彼にいかに人気があろうが、結局ドラマは『チームワーク』なのである。表に出る俳優だけでなく、脚本家・裏方スタッフなどそれぞれの役割が誇りをもって自分の仕事が気持ちよくできることであり、皆が輝くことが最重要である」ということ。
その観点から言えば今回のことは、福山のせいばかりとは言いきれない。
もうひとつ、今では大人顔負けの人気を誇る芦田愛菜が子役時代の黒歴史ドラマ『OUR HOUSE』もやはり、コケた。芦田愛菜と、「マッサン」というNHKの朝ドラで一躍有名になったシャーロット・ケイト・フォックスのダブル主演。
なんと、第9話で打ち切りが決定してしまったのだ。もちろん、芦田愛菜を責める向きもあるが、やはり彼女のせいばかりではない。脚本家・企画・脇を固める役者も豪華に揃えているが、それぞれが噛みあわなかった。
結果として、良い「点」同士が素直な足し算となって、結果が出てくれなかった。9話で終わってしまうことで士気が下がったのか、最終話の脚本が「投げやり」だと世間の不評を買っている。
これなども、名のあるスーパースターが一人いたところで、伝説的なヒットを飛ばした脚本家が一人いたところで、一人ひとりが素晴らしくても横に連結しないならただのゴミ、であることを教えてくれる生きた教訓である。
筆者が十年間見てきた世間のスピリチュアルというものは——
●関心が、個人の意識(内面)にばかり向いている。
そう感じている。まぁ、すべては自分の意識が生みだしているとか、自分の視点がすべてだとか、自己肯定感が大事だとか。とかく、スピリチュアルはその理論がどうしても「自分の意識の内側にベクトルが向く」傾向が強く、他人にはさほど関心がない。実際に社会をよく変えようとする行動にもほとんどつながらない。
皮肉な話、スピリチュアルをやっている人のほうが、スピリチュアルに関わっていない人よりも「人間関係が不器用・他人との関わり方がヘタ」であったりすることが多い。それはなぜか?
自分の意識の問題さえ何とかなれば、連動して外側のすべてが好転すると勘違いしているからである。もちろん、そういう要素は実際あるが、すべてをその枠内で考えてしまうと立ち行かなくなる。
福山雅治の意識状態がいくらベストであろうが、他人の選択や責任の範囲の現象に影響され、失敗となることはあるのである。ドラマなら、役者やスタッフ・局全体でひとりである。皆、それぞれ目であり口であり手足なのだ。
なぜ、スピリチュアルをやってなかなか幸せになれないことが起きるのか?
それは、自分の内側ばかりを見ているからである。
結局は人間関係であり、他人との関係を大事にし慎重に扱っていくという部分が要る。あなたがいくら個人的に「幸せな感じ」を抱いていたとしても、それは万能ではないと知れ。他人の協力や理解を得られないで自分の心の中だけお花畑でも、それは早晩もろく崩れ去る。
引きこもりはその部屋の中では彼が主人であり王様だが、その部屋の中だけ。一歩外へ出ればその王座はかき消されるのにも似ている。
よく、「あなたが笑顔なら、周囲も笑顔になる」という理屈の教訓がある。
ある程度まで、それは当たっている。
でもそれは「そういうこともあるよ」ということであって、勘違いしてそれが解決のすべてであるかのように、意識して笑ってばかりいる人がいたりするがキモイ。
自分の安定した精神状態(波動)こそが世界を変え、すべての問題の解決というのはオメデタすぎる。そういうズブズブのスピラー(筆者の勝手な造語)は、もっと思考をちゃんと使いなさい!
イエス・キリストという人物がいる。
彼は、ヨセフとマリヤの間に生まれ、馬小屋で産気づかれてそこで産み落とされた、という話が聖書に載っている。ヨセフとマリヤは、人口調査(住民登録)のために、住んでいた田舎ナザレから、ちょっとナウい (死語?)ベツレヘム、というところにやってきた。道のりは長いので、夜に宿を取ろうとしたが、満室。だから仕方なく、馬小屋で寝泊まりしようとしたのだ。
聖書にはいちいち説明がないが、その季節の中東の気候を知っているかい?
日中と夜の気温差(寒暖の差)が激しいのだ。お昼に熱帯のように暑くても、日が沈んだらものすごく寒くなる。
宿屋の中の部屋ならまだ暖を取れたかもしれないが、馬小屋である。馬小屋は密閉性が低い。つまり寒い外気温と中はほとんど変わらない。
そこで赤ちゃんを産むって、どういうことか分かりますよね?
●赤ちゃん、死んじゃうよ?
赤ちゃんイエスが丈夫な肉体を持っていたのか、それとも神様が「コイツにはやってもらうことがいっぱいあるのに、出だしで死なれちゃたまらん」とばかりに助けたのかどうかは知らない。
とにかく、並の赤ちゃんなら命が危ない状況で(熱いお湯とか清潔な布とかももらえたのかどうか怪しい)、イエスは何とかかんとか無事誕生はすることができた。
たとえ、釈迦と並んで称せられる偉大な覚醒マスター・イエスですら、その個人の力ではどうしようもないこと、というのはある。他人の行動や干渉によって、いくら心がけが良くても(赤ん坊だから罪はまだなくても)悪いほうに左右されることがある。で、イエスは大人になって結局、最後はどうにもならない他人の責任による選択のせいで死んでいった。
本人の意識の在り方とは関係なく——。
こういうことを言うのはちと思いきりが要るが、マリヤは妊娠をあまり歓迎していなかったというか、どちらかというと望んでいなかった可能性がある。望まない妊娠だっかのかどうか正確には分からないが、少なくとも「投げやり」だったことの片鱗が見える。産んではみるが、死んだら死んだでまぁいいや、みたいな。
妊娠したら、それと分かる時期に、大変な旅行になど普通は出ない。
今の時代、医療や交通、衛生面が発達しているので、医者はそうススメないが旅行に出かけてしまうような妊婦さんもいる。でも昔は、電車も車もない。旅から旅だと、衛生面も不安だ。当時の人々なら、下手したら夜に宿が取れずあぶれる可能性にも思い至れるはず。
治安も悪いから、山賊の類に襲われ、身が危なくなる危険もある。
役所だって、赤ん坊を危険にさらせてまで住民登録をしろ、とは強制できないはず。いくら大昔だって、そこまで横暴じゃない。結局、マリヤとヨセフが最終的に行くと決断したから行った、ということである。あえて選んだのである。
考えたくないが、一種の 「投げやりな賭け」 だったかもしれない。
もし、それで死産したら仕方がない。(どっちかというとそれを望んでいる)それでも無事生まれたら、まぁ育てよう。(そこまでしても生き抜いたら、育てろ、というメッセージだろう)
他人、というのは生きる上でむっちゃ重要だ。
もちろん、円滑な人間関係を築くのに、そもそも自分の内面(意識)は大事だ。
だから、自分の意識にフォーカスし、内面を見つめる作業をする「宗教」や「スピリチュアル」は、需要がある。でも、それさえしてればすべてが良くなるかのような過大な期待を寄せられることで何が起きるかというと——
●内面的な真理に関してばかり頭でっかちになって、 結果として自分が「社会の、大勢の中の私」としてはなんら良くはなっていない事実に気が付いていない。
あなた、スピリチュアルやって何年になります? 5年? 10年?
ほう、それで明らかに何か変わりましたか?
それで、他人はおらず誰も存在しない、ということでしたら、何かが良くなりました? あなたのおかげで、周囲の世界は変わりましたかね? ラブの時代になりましたかね?
もしですよ、変わっていないとするなら——
この先何年同じことを続けるつもりですか? あと何回、スピリチュアル指導者のセミナーに参加する予定ですか? いくらお金をつぎ込んだら、自他ともに認めるすごい変化があなたに起きますかね?
死ぬまでに(もしくは飽きるまでに)、あと何回行けるでしょうね? それまでに変われる手ごたえはありそうですか?
ククレカレーの正月版のCMで、「おせちもいいけどカレーもね!」というのがありました。そこで筆者からも一言。「自分の内面もいいけど、ちゃんと頭と常識感覚も使って、他人もね!」
非二元とか奇跡のコースは、付き合い方を間違えると怖い。
徹底して学べば、完璧人間を生みだすかもしれないが、私は関わりたくない。一番、友達に持ちたくないタイプである。(かつて目指しかけたが!)
自分だけ高い境地に行って、他人を置き去りにする。それでは世界は救われない。
(もとよりこの世界を幻想と断定するので、むしろ消えてもいいとさえ考える。素直に心が痛まず、「なぜ私はこのようなものを見ているのだろう?」と考える)
10年前、20年前とは事情が変わってきた。もう、個人が内面に重点的に意識を注ぎ、自分探しや自分作りに労力を注いでよかった、良き時代 (?)は終わった。もう、自分磨きだけをしている場合ではない。
『インデペンデンス・デイ』というSF大作映画がある。強大な力を持ったエイリアンが地球を襲ってくる、でも人類は団結して立ち向かう、という王道な話。
考えてみたら、地球外の敵が襲って来ているのに、内輪で揉めてたら? 中国がどうの、北朝鮮がどうの、アメリカがどうの、ロシアがどうの。
もうね、エリアンがあきれるよね。チョロすぎて、侵略のしがいもない。最低限でも地球でひとつにまとまってないと、どうしようもない。
もちろん、エイリアンが襲ってくるということは現実には天文学的数字で確率は低いが、別にそういう形じゃなくても、何らかの脅威は世界を襲うことがある。その時に、もう自分探しでもないだろう。
もう、個人的信条などなんでもいい。他人が何を信じていても、それもどうでもいい。悟ってるかいないか。意識が開けているか。それも、ある程度どうでもいい。
●団結だ。
垣根を超えて、いざという時には手を取り合い、奮起できる準備。
これこそが今、この時代に在って願われること。
筆者は日々本書を更新したり動画メッセージを発信してはいるが、別にどう受け取られてもよい。世界に何かあったら肩を寄せ合い、食糧を分け合い、火が起きたら消し合い……そういう行動がその時に取れるなら、他のことはそれほど重要じゃない。
もちろん、天災ならどうしようもない世界はある。
せめて防ごうと思えば防げる「人災」なら最初から起きないで済むように、知恵のある選択と立ち回りをすることが、現代人に願われている。そのヒントは、あなたの内側というよりも外側、特に他人の中にあるので、正解への早道は他人に関わり、協力することである。
今後、「自分はいない。他人はいない」では、世界の諸問題を解決できないばかりか、無責任な在り方となる。行動しない内面スピリチュアリストといういけ好かないやつらは「自分には問題がないので、問題を問題と思う皆さんはどうぞ頑張ってください」なんてイラつかせるセリフを吐くのだ。
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