何ができるわけではなくてもまず分かっておいたほうがよいこと
主流スピリチュアルの世界で毛嫌いされることのひとつが、『恐怖による動機付け』という行為である。
たとえば、問題を起こすような宗教が、目に見えない世界なのをいいことに「これに参加しないと天国へ行けない」「これこれをしないとあなたのカルマが解消されない」と、あの手この手で脅かし恐怖心を植え付けることで、宗教側の望む行動を相手に選択させる。
このことによる問題、そして事件にまで発展したものが世を騒がせ、皆いい加減ウンザリしてきているので「恐怖で人を動かすのは人としてサイテーな行為」という認識が今や一般的である。人類歴史上も、恐怖が下層階級を支配してきているので、全体的にもお腹いっぱい。
だから恐怖よりも希望、否定よりも肯定、ネガティブよりポジティブ。人を変えるのにも、恐れで動かすより喜ばせて、愛で希望でその気にさせることがベスト、というわけである。
でも、それも時と場合による。どんな時でも絶対に希望と喜びと肯定的なことだけしか言わないで済むわけがない。
実際生きていたら、そんなことムリだって分かるでしょう。
小さい子に、道路に飛び出しちゃいけないということをしつけるのに、「~してはいけない」という言い方をまったく、絶対にしないでやれる人いる?
どうしたって、「車はこわい。人が走っている車に当たったら、ケガをしたり、下手したら命さえ危ない」「二度とお父さんお母さんやお友達に会えなくなる」とか、恐怖によって思いとどまらせるような指導になる。どうきれいごとを言っても、これをただ希望的な明るい要素だけで伝えることはできない。
中には、「否定形を使わず肯定形で言えばいい」という人もいる。道路に飛び出たら危ない、ではなく「みんなで交通ルールを守れば、誰もけがをしないですむから、みんな幸せになるね!」というような言い方だ。ケガするぞとか死んだらお母さんお父さんに会えなくなるぞ、という脅しを使わず交通ルールを守ることによって生じる「みんな幸せな日常が守られる」というメリットに焦点をあて、強調するねらいだ。
ただ、筆者の個人的な意見を言わせていただければ、「肯定形での動機付けは、よほどうまくやらないと否定形ほど身につかない」ということを指摘したい。
人間の傾向として、質はともかく強さという点だけにおいては「善よりは悪・喜びよりは恐怖のほうが瞬間最大風速としては最強である」ということだ。(もちろん長期で見れば逆転する)
特に幼い子供は、恐怖をまったく利用しない「メリット」だけを言った
事故に遭えば痛い、こんなつらいことになるということは想像しやすいが、事故を起こさなければみんな幸せ、というのは大人ならいいが子どもは「恐怖ほどにはうまく想像ができない」。的を射た想像ができないから、動機づけとしては弱くなり、結果子どもの興味を引くものが現れてしまったら(道路の向こうに親しい友達・あるいは先生など)簡単に道路に飛び出してしまう。子どもにとっては、当たり前の日常の有難さなんかより目の前の興味なのだ。
「日常を当たり前に過ごせる幸せ」など、人生経験を積まないと分からないものなのだ。そんなもので交通安全を子どもにしつけるなんてきれいごとだ。
文句がある人に言いたいが、恐怖がダメならなぜ大人の運転免許更新時の講習はあんなに恐怖を植え付けるようなビデオばかり見せられる? すくなくとも、警察は(交通安全の常識として)それが有効だと考えているからではないか?
この世界に絶対こう、はない。ケースによって何でもありなのが、この世界である。「今」とは、一期一会の生もの。
であるから、「恐れを与えるメッセージ」だって、必要なこともあるのだ。
それがまさに、今という時代である。
可能性としての、世界破滅のシナリオを言っておこう。
私は、具体的にどうやって、何が起きて世界が滅びるかは言えない。そっち方面を言い当てる能力はない。ただ、何が原因となって起きるかだけは言える。
非常に嫌な言葉を使うが——
●想念界の多数決
どういうことか説明しよう。
たとえば、ここに仕事を失った人がいる。犯罪者に、生きがいであった子どもを殺された人がいる。騙され裏切られ、世界に希望を持てなくなった人がいるとする。
世の中のシステムのまずさに巻き込まれ、生活レベルが向上しない人がいる。普通に考えても、人生生きていてもこの先「多分いいことない」と思える人がいる。
もちろん頑張らないわけじゃないけど、この世界の枠組みで生き続けるなら、努力してもたかが知れている、という場合。どうにもなりうそうにない、という見通しができてしまった場合。
こういう人たちは何を思うと思いますか?
●いっそのこと、この世界が壊れちゃえばいい。
そうしたら、今の社会が、制度が、すべての「取り決め」が破壊されてご破算になったら、また違う人生もあるかもしれない。違う未来があるかもしれない。
これは、ものすごく悲しいことである。
人間、あまりにも希望が持てない時、今自分が身を置いている世界の破壊を無意識に望んでしまうのだ。今その人が苦しいのは、その世界で人間たちが作った無数の「取り決め」のせいであり、それさえ消滅したら(根本的解決ではないとはいえ)とりあえず新しいスタートラインには立てる。
この発想を単純に責めることはできない。この世界が壊れたら、って他人も不幸になることであるし、非常に不謹慎な発想かもしれないが、本当に弱ったらそんなことも考えてしまうだろう。
毎日のニュースを見て御覧なさい。
いろいろな人が、背景や動機は色々だろうが、犯罪に手を染めて逮捕されている。
この世界では、よっぽど改心するのでないと、一度道を踏み外すとなかなか人生上向きにならない。刑務所での経験を描いた「塀の中のナントカ」なんて本を出版して、自分の人生の汚点すら武器に成功するようなタイプの人間は、そう多くない。
日に日に、「生きてたって、この先ろくなことはない」と思ってしまう人の数が増えている。そう考えると、次に考えることは「もし、今の世界(社会)が終わったら?」 である。
いじめでつらい思いをしている子どもが、「もし学校自体が火事とか爆発とかでなくなったら?」と考えてしまうのにも似ている。
我々の目には見えないが、『想念界』というのがある。
一般に浸透している言葉で言うと、「集合意識」というものになるだろうか。
あなたは、日々つつがなくお過ごしな恵まれた方で、愛だの自己肯定だの引き寄せだの奇跡を起こすだのと、スピリチュアルにヒマとお金をかけられる立場なんでしょうね。
あなた、知っていますか? 世界の、どれだけの割合の人がそんな安定した気分でいられているか、を。もちろん、どんなひどい環境でも関係なく心をしっかり持てる人、というのはいるでしょう。
でも、「衣食足りて礼節を知る」は、バカにできない一理ある事実。
数十人の大富豪が世界中の富の半分以上を所持している世界。日本円で二千円持っていたら、ある国のある地域ではあなたは「大金持ち」になる世界。
実は、筆者を含め 「こんな小説投稿サイトをヒマな時間に読む余裕があって、優雅にきちんと食事をとれて安定した仕事があり、とあえずこの先の仕事や生活の心配をしなくても日々を味わえる人間」が、世界に思ったより多くないことは分かっていますか?
小中学校などで、クラスで何か決める時「多数決」というのがある。
遠足の行き先。文化祭での出し物。クラスのいろいろな委員を決める時。手がたくさん挙がれば、それに決まる。数の少ないものは、採用されない。
もし想念界において、「こんな世界壊れちゃえば……」なんて思いが増え続けたら? そんな思いを抱いてしまう人が増えたら?
想念界が、そんな想いで占められるようになっていったら?
多数決で、実現しかねない。
想念界とは、ごまかせない世界である。
いくら、ハタキでほこりを払うように いけないいけない、と無視してもムダ。
いくら、今のスピリチュアル界でとりあえず生活の安定している人たちが気分よく生きれても。日々の暮らしに困らない政治家・有名人・富裕層たちが優雅な日常を謳歌しようとも。想念界の多数決で負けたら、遅かれ早かれ世界は滅びる。
スピリチュアルには「自分がすべて」だという考え方がある。他人はいっさいあなたの世界の出来事には関係がなく(他人はいない)、あなたがどう思うか・何を信じるかという『自分の意識の在り方』だけがすべてを決する、という話もある。
(100%自分原因説、という言い方もある)
残念ながら、それはない。
あなたひとりの意識がいくら健全な在り方をしていても、他がどうかによって、多数決で想念界は決する。そうして、世界に起きることも決まっていく。
もちろん、想念界への一票の重みは、一人一人で異なる。一人の想念が、数十人、数百人のそれを凌駕する強さをもつことはまれにある。
でも、やはり「数」は無視できない。いくら一騎当千の英雄がいても、その一人に対し本当に数千人が襲ってきたら負けるのと同じである。いくら「あなたの意識」が大事だと言っても、他人は無視できない。
想念界を良い方向へ変える方法は、言葉で言うと簡単である。
一人でも多くの人間が、明るい希望的な思いをもつことである。
この世界の在り方や枠組み、お金を中心とする経済システムと社会制度がこのままでそうなることは、まず不可能である。世の宗教やスピリチュアルは、ここを変えないまま世界を盛り上げようとしているので、限界がある。
この世界の枠組みで成功すること、幸せになることを目指させるので、どうしても「勝ち負け」「優劣」「うまくやれる者、指導者の言われた通りにしてもできない者」という差が出る。
誰も、明日から仕事へ行かず、その時間を全部使って隣人に手を差し伸べようとは思わないだろう。地位と財産を捨て、コンクリートを掘り起こし畑にし、本来の命の「目覚め」に生きようとはなかなかできないだろう。
きっとあなたは、壊滅的な大震災や異星人の侵略とかいうものでも起きない限り、明日も明後日も仕事に行き、お給料をもらい、自分の家族を養い、目先だけを見て生き続けるだろう。
もちろん、これは無理を承知で指摘している。私だって、できない。でも——
●すぐに問題解決に着手できなくても、問題を問題と分かっておくだけでも、その後の展開に差が出る。
普段から「どげんかせんと!」という問題意識を持っておくと、それはあなたが日常生活で忙しくしていても、陰で仕事をし続けてくれる。いい時、ふさわしタイミングで必要な情報をキャッチできる。必要な気づきが起きてくる。
問題意識すらないと、これらのことが起きない。したがって、すべてが後手に回ることになる。
皆、今の世界の枠組みでお給料をもらい、年金をもらい、健康保険で守られ、住民登録や税制、法律その他である意味人質を取られているように生きているので、急に世界を変えるのは難しい。
他者が苦しんでいるのを知っていても、自分が面倒に足を突っ込んでまで助けるのは難しい。自分だって大変なのに、ましてや今世界の不幸な人のことなんか……
だからこそ、問題意識をもつんだ。
私がすぐにどうにかできないことを、あえて指摘したのはそのためだ。
恐怖をダシに訴えるのは、レベルが低いと思っているスピリチュアル住人たちよ。
恐れなど一切持たなくていい? 現実を見つめなくても、心が平和であれば世界は変わる? あんたの心に世界は連動していて、わざわざ外を先に考えなくていい?
そりゃ、おめでたいことですな!
自分の意識の平安だけ考えていたら、いつかえらい目に遭うよ?
他人はいるのだ。そして大勢の他人にはそれぞれの「想念」の世界がある。
それを無視して、あなたが自分だけの幸せを考えていたら連動して勝手に世界も良くなる、という安逸なスピリチュアル的発想に安心して、本当に「自分のことだけ考える」ような笑える結果にならないように気をつけなさい。注意しないと、知らないうちに「自愛」が「自己中心」にズレている痛い現象があるから。
あなたが変われば世界は変わる。これは一面の真理ではある。でも、時と場合を考えるべきである。昔ならよかったが、今は状況として切迫している。
●世界を変えないと、あなたが変わる前にあなた自身が危なくなる。
今って、そうなるかならないかの結構分水嶺なんです。
ボヤボヤしてたらいてまわれる、ってのは本当。そういう時代です。
恐怖で人を動かそうとするのはゲスなやり方、と言っている場合ではない。
現状を認識してこそ、じゃあどうすればいいかのアイデアも出ようというもの。
そんなに、問題を問題と思うことがダメなら、あなたはテストの問題を、問題として認識するのを放棄して白紙で出しますか? それで何か、いいことが起きますか?
その勇気がありますか?
出発点が恐れだろうが何だろうが、結果として問題が解決されることが重要。
多くの人が生き辛さを感じている中、何かを変える必要があるのは、誰の目にも明らか。
だから、たとえ今日明日すぐにできることがなくても、考え続ける。
慌てないで、天に問題提起をして答えをオーダーしておいたら、必ず返ってくる。
その叡智は、必ず巡り巡って地球を救う。
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