能力の半分は思い込みが支えている
いろんなスピリチュアルの発信を読んでいて、こういう文章に行き当たった。
●これからの時代、ウソやまやかしは通用しません。
私は、相手のウソや下心を感じ取って、分かってしまいます。
だから、そういう人が近付いて来たら、感覚的に分かって心がザワザワします。
極力そういう人とは、付き合わないようにしています。
私は、「へーこの人そういうことが分かるんだ~スゴイな」とは思わなかった。
指導者として、スピリチュアル活動する人としてはちと危険だと思った。
筆者はかつて、ある新興宗教に入り、熱心に活動した。
心配した両親は、プロの「脱会屋」(説得して目を覚まさせ、反社会的な思想から脱却させるプロ)に依頼した。私はそいつの計略にまんまとはまって身柄を拘束され、敵地に捕えられた。
相手が、私が「信仰を捨てた」と認めるまで、そこからは出られない。脱会プログラムが始まる際、その脱会屋は筆者にこう言った。
●オレはプロだから。ヘタなことはしないほうがいいよ。
ウソをついたり、演技したりしても見抜くからね。
そんなことをしたら、ここから出るのが余計遅くなるよ。
脱会屋がそのように言うわけは、相手を説得して信仰を保ったまま平和的に出てくるのが不可能と悟った信者が、「説得された」フリをしてだまして、外へ出てからアカンベーして宗教組織に戻る、という「偽装脱会」という手段を取る者も一定数いたからだ。
当然、脱会させる側もその点を警戒する。もしもそんな実例を作ってしまえば、職業的信頼はがた落ちである。何としても、偽装脱会などさせてはならない。
見抜くよ、無駄だよと言われたら余計に試してみたくなるのが、筆者の面倒な所だ。(笑) じゃあいっちょ試したろかい! と思ったので、やってみた。間違いに気付き、心から自分のしてきたことを悔いたフリを。
そして、そこで驚くべき成果を得た。
たった一週間半でそこを出て来れらた、という! これは、脱会屋に捕まって出てくる最短記録である。もちろんこれは三十年ほども前の話なので、今ではもっと記録更新されているのかもしれないが。
シャバに出た私は、ちょっとはおとなしくしていたが、頃合いを見て教団に戻った。その時に思ったものだ。
●あの脱会屋が言ってた「ウソを見抜ける」も、大したことなかったな。
でも一応言っておくと、決して名ばかり格好ばかりのやつではない。
私に対応した脱会屋は全国的に、その筋では「実力者」と言われており、実績もあった。うちの宗教組織の中では、「要注意人物」「こいつに捕まったらタイヘン」としてマークの対象だった。
決してその人物の眼がフシ穴だったのではない。ただ筆者のスキルが上回っただけである。
皆さんは、「プラシーボ効果」という言葉を知ってるだろう。
一言で言うと、「思い込みの効果」である。
たとえば、こんな感じのことである。
●小麦粉を良薬と偽って飲ませていたら病が治った。ただの自覚的な感じ方だけでなく、数値化しても改善していたということである。
●医師は目隠しをして横たわった死刑囚の手首と足首にメスをあてがった。しかし、実際は医師はメスをあてただけで切ってはいなかったのだ。そして傷口にあたる場所には、ゆっくりと水滴が落とされた。(血だと思わせる)死刑囚はそれを血だと思い込み、数時間後、多量の血が流れていると思い込んで死亡した。
人は、自分独自の物差し(フィルター)を通してこの世界を見る。
そして、その物差しには、ちょっと怖い力もある。
少々の無理でも、その物差しに合うように「測る対象を力でねじ伏せて、うまく測れるように変形させる」ことのできる力である。あまりにも聞いた範囲では信じがたい内容は論外だが(ただ水を飲んでいればガンが治るとか)、修正範囲内(これは実はすごい特効薬なんだ)なら何とかなる。
先ほど述べた二つの対照的な例のように、このプラシーボ効果は良い方向にも悪い方向にも使える。良い方向ならいいが、人は時として「思い込みの力」を、損する方向に発揮する。
一言で言えば、「誤った思い込み」をもつことである。さらに別の言い方では「間違った基準を、正しい基準だと信じる」ということである。
筆者が先に上げた脱会屋は——
「オレはプロだ。相手のどんなウソも見抜ける」と信じていた。
実際にその自信がプラシーボ効果的なものとなって、実績も上げた。
ただ、それは「自己暗示的なものに頼っての成功で、完全な実力とは違った」部分があり、そこにつけ入る隙があった。私は、見事に脱会屋に「信仰を捨てた」と信じさせることができた。
もちろん、脱会屋は実績も実力もあるやつで、決して自己暗示ばかりでもない筋金入り。そのようなしっかりした人物でさえ、「思い込み」が支配している部分はゼロではないのだ。
記事の一番最初に紹介した、「ウソつきや下心を持って近付いてくる人が分かる」 という某スピリチュアル指導者。
いったいどの程度のレベルで、それを言ってるのだろうか? と思う。
失礼だが、かなりの確率でそれは「自分への過大評価」だと思う。
もちろん、この広い世界には、いかに主観で生きるさだめを背負った人間といえど、その物差しの「精度」がかなり高い人物がいることも確かである。人間なので完璧というのはないが、その誤差が問題にならない程度なのでほとんどのケースでその判断は「信頼に足る」ということもあるだろう。
でも、その辺にゴロゴロとはいない。ひとつの国の中なら10本の指で数えられるほどだろう。
ましてや、本物なら「そんなこと、ネット発信で軽々しく公言しない」。いや、本物だからこそお役目として腹を
この人物が、どっちの意味合いで「能力を公言」しているか、だ。
自己卑下しろ、ということでは絶対ない。ただ、「汝の名は人間なり」ということは覚えておいてほしいのだ。
成功体験をいくつかして快感を味わってしまうと、人間は自分がその方面では「力がある」し「確かな腕がある」と思ってしまう。その自信はある程度ならプラスに働く(自己肯定のパワー)のだが、ある臨界点を過ぎると「傲慢」「身の丈を超えた自己評価」に繋がり、間違いを起こす。
「私はウソを見抜く。偽っていたら分かる」と言い切らない方がいい。
先入観やフィーリング、もっと嫌な言い方では「好き嫌い」という要素が絡んで、間違うこともあるのが人間。マシーンじゃないので、完全な信頼を置くべきでない。
信じるなというニュアンスではなく、謙虚になれということ。
でも、謙虚という状態はなろうとしてなれるものではなく、、気付いたら「そう在る」ことを発見できる、気付けるというもの。だから打てる手としては、思い込みを含むあなたの物差をまめに点検することである。更新し、必要ならバージョンアップすることである。
そのためにも、「私は見る目には自信がある。間違うことはない」と言い切らない方がいい。それは危険な上に、もしあなたが口ほどの能力を本当には持っていなかった場合、あなたよりトランプの手札が強い人物(本物)から見たら滑稽に映り、恥ずかしい場合がある。
私は他人のウソが分かるとか、見抜くとか言う方へ。
あなたのその能力がニセモノだとかは言わない。ある程度、そうなのだろう。
でも、そんなことを言ってる限り、どこかできっと見誤りますよ。
場合によっては「私はウソが分かる」というのも思い込みかもしれません。
あなたが作り上げたプラシーボ効果の産物かもしれません。
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