すれ違い

 あなたが今どの段階にいて、どのレベルからものを考えているか、って実はものすごく大事。

 たとえば、あなたが駆け出しの漫画家だったとしよう。

 あなたが描き始めて、出版社に持ち込んで、デビューを狙う段階では、編集者から「ダメ出し」を食らうことは必至。

 こんなんじゃ売れない。話がダメ。表現が稚拙——。

 でもそれは意地悪で言ってるのではなく、本当に直すべきところだから。指導する側も、やはり将来性のある漫画家のタマゴは大切にしたい。期待するからこそ、あえて厳しいことも言う。

 仮にその幼いが将来性のある漫画家が、遠慮のない批判を雑誌の編集者から受けた時に、「この鬼! 悪魔! 人をゴミみたいに言いやがって」と腹を立て、漫画家をあきらめてしまったら?

 実に、もったいない。



 さて。そんなあなたがいつしか、押しも押されぬ一人前の漫画家になった時。ヒット作も生み出し、あなたの名前が大勢に知られるようになった時。

 作品に関して、色々な批判が来るかもしれない。しかし、その段階で受ける批判はある程度「好き嫌い」や生理的な「合う、合わない」程度の次元で言われていることが多い。裏を返せば、『出る杭』に対する鬱憤晴らしレベルのものが批判全体の多くを占めるようになる。

 方向性も定まり、ある程度その道を究めたあなたは、あとはその道を真っ直ぐ行くだけ。あなたの覚悟を、余分なゴミなどに邪魔されてはならない。

 ある段階に至れば、批判など気にするべきケースはさほどない。むしろ、気にしすぎるとマイナスにすらなる。



 あなたがどのような精神ステージにいるかで、批判に向き合う加減が変わってくる。その道の探求中、まだ未熟な段階では、かなりの部分で外の世界に耳を傾ける必要がある。たとえ耳に痛いことでも、あえて我慢して、歯を食いしばって聞くべき時期というのがある。

 しかし、相当数の経験を潜り抜け、ある種の気付きの境地に至った者は、人間だから完全はないとはいえ、多くのケースで「批判など、いちいち気にするほうがマイナス」になる段階にある。

 あなたがかなりの高みに居るので、そのはるか下から物を言われても、大して(というかほとんど)あなたの学びにならない。



 この世界では、『すれ違い』という実に興味深いドラマが起きる。

 すれ違い、と聞くと恋人同士のドラマを連想するかもしれないが、スピリチュアルの世界でのこと。

 そしてそれが起きる原因は、「人が自分の立ち位置が自分で分かっていない場合」である。例を少し挙げてみると——



●本当はもっと他の意見や苦情を取り入れるべき段階なのに、自分は「悟った!」「高い境地に来た!」とか思い違いをして、「本物は、往々にしてやっかまれ誤解され、攻撃されるものだ。だから、負けてはいけない。耐え時なのだ!」と批判をスルーする。



●批判が本当に当たっているのに、「心地よさを選択するのだ。だから、批判など聞きたくなければ耳を傾けなくていいのだ」と理由付けをして、批判を避ける場合。

 本当にあなたに必要だから投げかけられている貴重なメッセージ(批評)を誤解して、シャットダウンという残念なことに。



 ……と、このような勿体ない「すれ違い」が起きる。

 そして、もうひとつの「すれ違い」。



●言ってることややってることにもっと自信を持っていいのに、その素晴らしいものを提供している人が変に「謙虚」過ぎて、ちょっと何か言われても「それは鏡であり、私自身を見せてくれている」と真面目に向き合い、どんどん萎縮していく場合。

 中には「的外れ」で向き合う価値もない批判もあるというのに!

 


 受け取るべき人が受け取らず、受け取らなくてもいい人が受け取る——。

 そして、この世ゲームをさらに複雑にするのが、次の要素である。



●素人や未熟者でも、もちろん全部ダメなわけはなく、部分部分ではキラリとした部分もある。批判を受けるべきでない、立派な部分もある。だから、ケースによっては批判を相手にしなくてもいい。批判によってその人そのものが潰れるよりは、改善されないとはいえ元気でいるだけマシだから!



●玄人や名人であっても、人間だから100のうち99完璧でも、残りの1間違うかもしれない。

 その1の時があるから、その道の一流でも油断してはいけない。だから、ある程度の位置に上り詰めた後はずっと批判を無視し続ける、ということをしていると、どこかの泣き所でそこをも完璧にする機会を逃す。

 


 まー、あなたがどんな段階であろうと、常に罠は口を開けている、とうことだ。

 さすが人生ゲーム。ちょっとも油断できない。常にハラハラであるな!

 成長途中なら途中で試練があり、上へ行ったら行ったで、その段階に合った試練がありで。人が肉体をもって存在し続けている限り、どんな高みに行こうと「起きてくるるドラマ」からは逃げられんのですなぁ!



 これまでの話から、「ひとつの考え方の指針(真理や法則と呼ばれる言葉)を、ずっと持ち続けて離さない」ことの危険性をお分かりいただけました?

 それをするから、その真理がカバーしない部分を取りこぼす。

「批判は相手にするな」というメッセージがあったら、必要なものでも相手にしなくなる。

「あなたの外で起きるすべてのことは、メッセージ」ということを四角四面に受け取ると、あなたのせでいはないことも相手にし、気に病む。自分に原因があるから、そのような悪いことが起きている、自分の中に確かにそういう部分があるからこそ批判されているのだ、とクソ真面目に考える。



 時代、場所、人種、性別、年齢、状況。そういったものを超えた、すべてに当てはまる法則や考え方というのはない。そんなものを固定して考えるから、反対の可能性分50%を取りこぼす。

 いっそのこと、あなたの中の「いつでも使う定規」を捨てること。数秒経てば、相手や場所が変われば、まったく別の定規が必要になると思ったほうがいい。

 真理だろうが何だろうが、ひとつの定規を持ち続けて一事が万事それを当てはめようとするのは愚かである。すべて「その都度」なのである。

 真理とはいつだって「その瞬間の中にしかない」。


 

 繰り返すが、オールマイティな定規(ものの考え方)を捨てること。

 あなたが置かれた状況の中で、いちいちその場や状況にふさわしい「正しさ(もちろん、あなたなりのでいい)」を探っていくことである。

 確かに、いちいち状況に合った正しさを求め続けるのは、面倒でありしんどい。ハンパないエネルギーを必要とする。でも、それを面倒としてひとつの決定版のような考え方を機械的に適用・応用するだけの人生なら、そっちのほうが残念な生き方であると筆者は思う。

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