専門家の面目が潰れる時

 今回の記事の題材は、菅田将暉主演のあるTVドラマである。



【民王(たみおう)】


 ひょんなことから、総理大臣の武藤泰山と、息子で大学生の翔の人格がある日突然入れ替わってしまう。混乱を避けるため、周囲には秘密のまま互いの仕事や生活を入れ替わった状態で過ごすことになるが、翔は政治に全く興味がなく、ろくに漢字も読めないため国会答弁も苦労する状況。一方の泰山も、就職活動で面接官を偉そうに論破しては不採用になるなど、苦闘することになる。



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 池井戸潤原作の小説をTVドラマ化したもの。

 これ、もともと深夜ドラマだったのね。ただでさえTV見ない生活なんで、なおのこと知らなかった。かなり後の動画配信で見た。

 かなりおふざけ色の強い、「コメディ」と言ってよい内容。しかしながら、「政治というものの在り方」を改めて問い、考えさせられるメッセージ性はちゃんと込められており、バカバカしい中にも味わいのあるドラマとなっている。



 総理大臣の父と、今時の大学生代表のような息子との人格が入れ替わる。

 もちろん、いきなり入れ替わり何の覚悟も知識もない息子は、失態続き。

 しかし、まったく政治に「染まっていない」がゆえに、あらかたのプロ政治家なら絶対に言わないようなことを言い、戦略や打算のない当たり前すぎる物言いをする。それによって共感を得ることで、逆に国民の圧倒的な支持を得ることにもつながる。

 その、あらかたの政治家なら言わない当たり前なことって、結構大事なことだったりする。現実では残念ながらあり得なさそうで、結構笑えたのであるが……



●この人、何か悪いことしましたか?(人はいいが趣味がマニアな官房長官をかばって)趣味がSMとか、幼児プレイとか、おしゃぶりとか、そんなこと政務に関係ないですよね?

 こんな一生懸命な人を、なぜそんなことで騒ぎ立てて、辞めさせないといけないんですか。余計なお世話じゃないですか。そんなの、おかしいですよ。

 もし、彼が辞めないといけないんだったら、僕も総理やめます!



 非のない人物が理不尽に辞めさせられるぐらいなら、自分も辞める——。

 そこまで漢気おとこぎ のあるセリフを言える政治家が、どこにいるだろう?

 このドラマの面白さのひとつは、政治の専門的な知識や総理の資質を持たない、政治に縁遠い若者が、ただその素直な気持ちやホンネを言うことで乗りきれてしまう、それどころか「普通の総理が普通のことをする」以上の奇跡を起こしてしまうところにある。

 もしも、趣味がヘンだということで公人の資格がないんだったら、筆者もダメじゃないか! (あ)

 それはともかく、このドラマはある教訓を私たちに伝えてくれている。



●専門家よ、時々は自分たちの足元を見ろ!



 総理、いやそれ以前に政治家になるには、それ相応にタイヘンであろう。

 勉強もいる。経験もいる。活動もいる。その際の流儀も、頭に叩き込む必要があるだろう。

 だからこそ、何も知らない者がいきなりポッとその立場になれても何もできない。自分の代わりなど、いきなりできるわけがない——。それが、誰よりもその道で頑張ってきた「職人」であり「専門家」の自負であろう。

 そういう部分は、確かにあろう。しかし一方でまた、次のような目を背けられない事実もある。



●時として、まったくのその道の素人のほうが、専門家が専門家であり過ぎるがゆえに無自覚に失ってしまった大切なものを持っている場合がある。その大事さを、畑違いの人物が思い出させてくれることがある。



 スピリチュアル業界も、また然り。

 愛、愛言うけれども、その割にはスピリチュアル業界の属さない一般人のほうが愛に溢れているんじゃないか、と思えることがある。本質や宇宙の真理、ということを一般人よりも話題にしているわりに、一般人のほうがいい人に見えてくるような瞬間もある。

 スピリチュアルやってて、それなの? 目が点! っていう……

 裸の王様、なんていう童話も同じこと。

 皆が王様を褒める中、ある子どもだけが素直に「王様、裸だよ!」と指摘する。それにハッとして目が覚めた王様は、子どもに感謝しちゃんとお礼をする。

 この王様は、ちゃんと気付き自分の間違いを認めただけ、まだえらい。変にプライドの高いスピリチュアル人間は、身に付けた「スピリチュアル的解釈思考力」で、自分に有利な解釈をつくり上げてしまう。(または、自分に有利な言説を巧みに引用してくる)

 スピリチュアル的知識だけが増せば増すほど、裸の王様のような素直さの生存率が低くなっている。



●時には、自分の信念や思想や「悟り」さえも忘れてみる。

 ただ、「何か」を楽しむ。「何か」に打ち込む。

 普段の自分とはまったく違う世界の人間関係に飛び込む。

 たとえば私なら、誰も私のことを「賢者テラ」などと認識しない人の中で長時間を過ごすとか。彼らは素敵な教師になって、色々なことを教えてくれ、意図せず気付かせてくれる。



 人気で忙しいスピリチュアル指導者は、多分自分のことを良く知って、頭を下げ良い扱いをしてくれる人々の間ばかりを飛びまわっているだけだろうから、そんな生活を長くしていたら勘違いもする。ズレてもくる。

 そういうやつらこそ、実は「何も知らない誰かさんが入れ替わっても、つとまるよ。むしろ、あんたのほうが大事なこと忘れてるんじゃないの?」ということを突き付けられたほうがいい。

 専門過ぎて、当たり前な大事なことを忘れていることを指摘された時。その時こそが、『専門家の面目が潰れる時』である。

 スピリチュアルという業界も、自分たちは一般よりも本質を「分かっている」と思い過ぎないがよい。もしかしたら、足元の脆弱さを指摘されることで、物笑いの種になるかもしれないからだ。

 常に、自戒が必要である。スピリチュアルって、気持ち悪るううう! って一般人から評価されないように。

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