人生と絵本

 小さな子どもが家にいると、絵本を読み聞かせる機会が多い。

 向こうは、こちらがPCで仕事しててもお構いなしに本を持ってくる。

 ああっ、それ一時間前に読んだやん! ちったぁ間を空けやがれ! とか思いながらも、子どもって絵本好きなんだなぁ、と感心することしきりである。



 筆者は今でこそ風変わりなハンドルネームを名乗り言葉を綴っているが、その昔保育士を目指していたことがあった。筆者の時代は、まだ保母(保父)という呼称の資格だったが。

 今ではそんなことも減ったのかもしれないが、昔は「女性の職場」というような暗黙の雰囲気というものがあって、男性が採用されるのは比較的困難だった。

 保育系の専門学校に、40人ひとクラスの中に男性が2人か3人だったという当時の現実も、それを物語っている。さて、今回したい話は「絵本」の話なんであるが、私が通った保育専門学校で「絵本の読み聞かせ」という授業があった。

 そこで学んだ「絵本の読み聞かせの流儀」というか、読む際の決まり事にこういうのがあった。



●絵本が終わったら、必ず「おしまい」と言う。(絵本に書いてなくても)

●絵本のタイトルを、最後に復唱する。例えば『ぐりとぐら』でした。みたいに。



 学生だった当時の私は、機械的にこれを覚えた。

 エヴァンゲリオンの碇シンジ君の、『センターに入れてスイッチ……』みたいに、どんな場合でも反射的にそうするものとして実行していた。

 なぜそうするのか、というところを当時の先生は授業であまり掘り下げなかった。

 でも、筆者が賢者テラとなってなおかつ子どもに絵本を読む必要が生まれてやっと、自分なりにこの意味を考えて消化できた。絵本の読み聞かせは、そのまま人間の人生に当てはまる。



 絵本で「おしまい」と伝えるのは、文字通りそこが区切りであり、終着点だから。

 子どもは、絵本の世界観にいる。そこから引き戻し、「今の話は何だったのか」を、その子の心情でその感覚を振り返らせる。

(幼児は十分に思考機能が発達していないため、思考(理屈)で話を振り返るのではなく、あくまでもお話全体から受ける「感じ」が優先される)

「ぐりとぐら、でした」とその絵本のタイトルを終わりに再度口にすることで、そこまで積み上げて聞いてきた話、そこから総合的に子どもなりに感じ取った「何か」を、やっと「タイトル(すなわちお話全体)」と結びつける。ああ、この話でこういうタイトルだったのね! と。

 絵本で大事なのは、お話をワクワク味わう現在進行形の時間ではあるが、それに負けず劣らず大事なのが、このクロージングである。



 最初、「タイトル」を聞いただけでは、絵本の内容なんて分からない。

(同じ本を何度も読んで、と言う場合は別)

 一体、どんなお話なんだろう? という期待感を高めてはくれるが、内容は予測不可。そこで、大人に読んでもらいその内容の実際を追うことになる。

 で、「おしまい」という言葉を合図にして、そこを「問題文の区切りとして子どもに考えさせる」。ちょうど、そろばんで言う「何円な~り、何円では?」の「では」に当たるのが、この「おしまい」という言葉である。

 結局、今のは何だったの? その解釈や感じ方が自由なので、そこに子どもなりの個性が出る。さぁ、絵本からの問いかけはここまでよ。あなたはどう感じたの?

 要するに、「絵本(あるいは絵本作家)と子どもとの問答」である。



『ドラゴン桜』という漫画(あるいは阿部寛主演のドラマ)でも、こう言っていた。



●テストの問題とは、問題を制作した側と学生との対話だ。

 出題者は、決して学生を落としたい、不正解させて意地悪をしようとなど思っていない。むしろ、正解してほしいんだ。

 こちらは、何を君に聞きたがっているか、分かるかね? 私の聞きたい本質がどこにあるか、分かるかね?

 こちらも、出題者の意図を楽しみながら探す。全力でそれに応える。それが、テストというものなんだ。



 絵本というのは、試験勉強よりももっと自由である。

 それよりも、OKとされる答えの範囲が途方もなく広いから。

 絵本と子どもとの対話は、答えを制限しない無差別級の異種格闘技戦のように面白い。

 


 あなたの人生という一連の時間の流れに、本来区切りなどない。あるとしても、もちろんそれは「解釈上」のことである。

 幼少期。学生時代。大人、老人……入学や卒業、結婚や子どもの誕生。そして、死。これらは、我々が地球人間ゲームを楽しむのに便利な概念であり、解釈である。

 人生の学びとは、どこで成果が得られるか?

 それは、あなたが仕事をして、月末の給料日という「区切り」にまとめて報酬を受け取るような受け取り方になる。つまり、あなたが定める「過去のある時点から現在までをひとつの区切りとした、ひとまとまりの時間」を対象として、その間を総合してあなたの人生でどうだったのか。何を感じた期間であり、結果どういう気付きを得た期間だったのか、を振り返る時。

 その評価が高いほど、あなたは無形の報酬(幸せ)を得る。ただし、その評価に関しては必ずしも分かりやすい「実績」がそのまま反映するわけではなく、あくまでもその人自身の「納得」のほうが大きく影響する。



 人生において、絵本で言う「おしまい」というひと区切りを考え、タイトルをもう一度確認することで、その時間をコンクリートで固めるように人生に「定着」させるという作業をする。それが以後、あなたの人生において物事の感じ方の傾向・判断・決定に影響を及ぼす。

 この「コンクリ固め作業」の素敵なところは、一度固めたら取り返しがつかない、ということがない点である。後から変えるのは決して簡単ではないにしても、やりようはあるところがこの人生ゲームの救いである。



●あなたにとって、今日はどんな一日だったかい? 

 いい日だっかたい? それとも……

 あなたにとって、この学校で過ごした時間は、どうだった?

 あなたにとって、この人を愛してきたこれまでの時間とは何だった?



 このように、あなたは人生において、実に様々な「区切り」を考えて、それを一冊の絵本として本を閉じる。そこでタイトルを復唱することになる。 (内容を想起し、全体の感じを振り返る)

 そこで、タイトルと内容とのつながりがあなたの中でハッキリした時、それがあなたにとっての人生の成果となり、宝物となる。

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