情報を食っているスピリチュアル

『ラーメン発見伝』というマンガがある。

 タイトル通り、ラーメン業界を描いたグルメマンガであるが、これまでの料理ものとはちょっと趣きが異なる。単に「おいしいラーメン」を作ることで試行錯誤していくような内容ではなく、そこに「コスト」「立地条件」「サービス」など、経営戦略的な側面まで描いている、稀有なタイプのストーリーになっている。

 今回は、そのマンガの一場面をネタに話をしたい。



 このマンガに出てくる芹沢、という名のスキンヘッド店主。

 味を究極に極めた結果、納得の 『淡口ラーメン』を開発する。それは、納得の素材をふんだんに使い、素材の持ち味が絶妙に絡み合った理想の一杯だった。

 喜んだ芹沢は、開店当初こそ「良いものは分かってもらえる・世間に通じる」と考え、そのラーメンだけで勝負した。しかし、生活ギリギリの客が入ってくれるものの、人気店になるどころがある程度の繁盛すらしなかった。よその、アク抜きもしていないトンコツスープに化学調味料を入れたようなラーメン店には、多くの客が群がっているというのに!



【余談】 SMAPの草彅剛が刑事を演じる『スペシャリスト』というドラマでは、ある中学校の給食が「急に美味しくなる」という珍妙な事件が描かれている。当初、アホくさい事件として警察側は本気で取りあわなかったが、後に別の凶悪事件に繋がりがあると判明する。

 事件の真相は、校長の健康志向のゆえに給食が薄味で、生徒からも不満の声が上がっていた。そこへある理科教師が、調理職員の目を盗んで大量の化学調味料を投入していたというのが真相だった。



 で、芹沢はその現象に対する、彼なりの視点を持つようになる。



●いいものが常に認められるとは限らない。



 大半の人間は、単純で分かりやすい刺激しか理解できない。

 ラーメンで言うと、塩辛さ加減やこってり加減、風変わりな具材とか。

 そういうのを、「うまい!」と感じる。そしてそういうヤツに限って、自分はモノを分かった人間だと思いたがる。(いますよね、スピリチュアルにも……)

 だから芹沢は、確信犯的にあることをした。わざわざ、自分の信条に反する「濃口ラーメン」をメニューの中に組み込んだのだ。

 彼の言う「知ったかなやつらの下品な味覚に合わせて」、にんにくを揚げて牛脂を加えたスープを使ったラーメン。もちろん、強烈な香りのために、ダシなどの繊細な味わいが吹っ飛ぶ。

 しかし、店には「当店のすべてのラーメンのダシには鮎の煮干しを使用しています」と書かれた看板は掲げたままで。もちろん、ウソではないからだが。

 すると、店は連日の大入りで、皆「鮎の煮干しの味が素晴らしい」と評判に。

 芹沢は、この現象にあきれ笑いが止まらない。



●客のほとんどは、ラーメンを食っているんじゃない。

 情報を食っているんだ!



 そういう人種は、自分たちだけの舌ではうまいかまずいかを判定できない。

 だから、インターネットやマスコミの情報の「これはうまいよ!」という裏付けがあって、はじめて「うまい」と思える。それがエスカレートすると、まずい店(誤解が生じそうだが、最低限大枠でうまいと感じられるライン上にはあるもの。ただし飛びぬけてもいない)でも 「あの店はうまい」という情報でもあれば、うまいと言ってしまえる。

 濃口ラーメンで大盛況の芹沢は、客がカウンターで平気で「鮎の風味が素晴らしい」と言うのを、笑いをかみ殺して聞くことになる。そんなものは吹き飛んでいるのに! 



 ここまできて、芹沢は割り切った。

 これからも、本物の味を追求していく。そのためには資金が必要だ。

 濃口ラーメンに群がる客は、一部の本当に味が分かる客のために、芹沢が心血注いで期待に応えるための「働き蜂」であると。濃口ラーメンで表面上儲けて、その資金を本当にやりたいことに当てる——。



 以上の話を聞いて、皆さんはどう思われただろうか。

 なるほど、と思い当たる部分もあったと思う。認めたくないけど、ちょっとグサッと来る部分が、大なり小なりあったと思うのだ。だって、この話は見事にこの世界の在り方の一側面を言い当てているのだから。

 でも、大枠では承知しながらも「でも、それだけじゃないだろ!」という反発心も起きませんでしたか? この世界は信じるに足る、だから信じたい、という。

 いいものがいいと認められる場合だって、ちゃんとある。なんでもこの話の通りじゃない!

 うん、その言い分も分かります。今回の話を整理するのに、ふたつポイントがあるように思う。



①人は情報を食って生きている、というのは残念だが当たっているところがある。



 あなたはイヤかもしれないが、やっぱりそういう傾向がある。

 スピリチュアルも、ラーメンとそう変わらない。スピリチュアル業界・出版社に「情報をエサとして与えられている」世界がある。

 こってりラーメンで一定の味さえあえれば、メディアの背中のひと押しで「これはうまい」となり、分不相応の人気が出るスピリチュアルもある。逆に、宣伝力がなく「人々が積極的に価値を見出しにくい、エゴのイヤなところをえぐってくる」骨太スピリチュアルは埋もれがちになる。

 皆、浅い意味での「心地よさ」にいたいからだ。心地悪い思いをしてまで成長しようとする人が少ないからだ。

 さらに皮肉なことに、骨太スピリチュアルの指導者に限って「宣伝とか、売れる売れないとか本当にどうでもいい」から、さらにこの傾向に拍車がかかる。まさに、その人物を見出したマネージャー泣かせな部分である。

 売りだす側からしたら、先生に「別に売れても売れなくてもどーでもいい。流れなら、活動が終わっても構わない」とさえ言われたら、返す言葉もない。(笑)

 大勢はラーメンの本当の味が分からないのと同じように、あふれるスピリチュアル情報を自分では判断できない。だからいかに有名か、ブログランキングが上か、一般的な評判がよいか、広告がさかんかというところで飛びつく。で、ブームに乗っかって「これこそ真理!素晴らしい!」と言う。

 筆者は知っている。ある目からすれば実に大したことない文章でも、本を数冊出しヒットすることに成功したある著名人の短い駄文が、ものごつい数の「いいね!」をフェイスブックで獲得するのを。



 もちろん、当人が「それがいいんだ」ということなのだろうから、最終的には口出しすることではない。本人が納得しているということなら、ケチをつけるのは余計なお世話なので、そういう人は筆者の言葉を視してくれて構わない。



②でも、偏差値があるので、ドラマは色々である。



 偏差値ってイヤな感じの言葉を、皆さんもご存知だろう。50を中央値として、何かがどのへんの位置づけにいるかを示す方便である。

 多くの人が「情報を食って生きている」というのは、偏差値で言う「50」のところ。地球ゲームの今という途中経過において、この50にいる人が一番人口が多い。ここが、残念ながら「情報を食って生きる結果になっている」人々である。

 つまり、全員が全員そうだというのではなく、そういう人が偏差値的に多いということである。見る眼をもつのが、偏差値で言う50より上であり、数は少ない。



 もちろん、この世界で 「本当によいものがよいと認められる」ケースもある。

 しかしそれは、相対的には偏差値50の位置で起きやすいことではないので、比較的多くはない。多くは目の前にぶら下げられた、美味しそうな情報ばかりをを食う。

 でも救いなのは、たまたまその食わされた情報がマシな場合もあるから、皆ある程度は幸せに生きていける、という点である。

 これらを踏まえると、私たちにできることはふたつある。



①悔しいので、ラーメンの味が分かるように精進する。自分の目を養うための行動に出る。


②こってりが好きなんだから、ニンニク好きなんやから、これでええやん! 何が悪い? と開き直る。



 この二者の間に、本来優劣はない。

 私の立場からは①を推さないとだが、別に②でもいいと思う。

 だって、本人がそうしたいのだ。人生の主人公はその本人なのだから、何者もそのしたいことを阻む権利はない。けなす権利もない。(犯罪や他者に迷惑な行為じゃなければ)

 もちろん、気付きや成長だって、本人が納得するまでそのステージでもがき味わい尽くすことでしか起きないと考えたら、②でもゆるやかだが 、長い目で見たら「変化と成長」には繋がる。



 オチとしては、頑張って①になりましょう! という話ではなく、自分がどちらかということを静かに思いめぐらし、その上で今どうしたいのかを見つめる機会となればいい、ということである。

 その結果、私の指摘を気にかけるも無視するも、あなたの現時点での最良の選択となる。

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