擬人法

『脳内ポイズンベリー』という日本映画がある。

 30歳の女性の脳内で、理性・ポジティブ・ネガティブ・衝動・記憶といった人間の姿をしたキャラたちが会議をして、その決議が本体の人間の行動に影響するというお話。

 もちろん、実際に人間の頭の中に、そういうやつらがいて会議などしてるわけはない。ただ、この発想を皆さんは「面白い」と思われるはずだ。

 実際がその通りではない話でも、「そのように表現されることで何となくそれ分かる! という世界がある」ので、「そんなあり得ない話は相手にしない」ということにはならず、好評を博するのである。

 脳科学という分野も日進月歩で進んではいるのだろうが、まだまだ我々にはそのごとくには捉えきれない世界である。やはりこのような「私たちの理解できる範囲の話に落としこんだ表現」というのは、たとえ正確でなくともありがたいものなのだ。



 国語で『擬人法』とか『擬人化』という言葉を学ぶ。

 たとえば、「ライオン・キング」や「しまじろう」なども擬人化である。子ども向けの教育番組やアニメなどには多用される。人間ではないものを、人間に見立てて表現することである。

 スピリチュアルという分野でも、宿命的にこの擬人化は多用される。なぜなら、我々が「分不相応なことに手を出そうとする」からである。

 私たちの肉体という存在ツールは、まさに目にしているこの二元性世界を生きる上で、探索して冒険する上で適している。しかし、なぜか人は自分の実生活上の話を超えて「宇宙は何者が創造したのか。神はいるのか」「この世界を超えた次元は、どんな世界なのか」「なぜ、この宇宙を必要としたのか」というテーマに興味をもつという、面倒くさいやつらである。

 残念がら、二元性世界を認知するのに最適にカスタマイズされている思考回路で、その枠を超えた次元の話に手を出そうとするので、かなりの混乱と誤解が生じやすくなる。だったらやめたらいいのに、それでも人間はやめない。(笑)ロマンを追ってしまう。

 そこで、『擬人化』 の出番なのである。



くうは分離のない、唯一の実在である」、これは擬人化である。

「根源(ワンネス)は分離のない全体性なので、個として分離をすることでその視点から『体験』 というものをして楽しもうとした」

「その際、自分が本来全体であることの記憶を封印し、あえて忘れることで真剣に一人の人間としてハラハラのドラマを体験することができる」

 今言ったことは、実際とはかけ離れているはずだ。本当に、空とかワンネスとかそういうキャラがいるのではない。

 個という、自他の概念がある世界で、過去現在未来という直線軸の流れ、前後左右上下という順序性のある世界の住人がそれを理解するために、方便上仕方がないのである。だから脳内ポイズンベリーという映画みたいに、本来指し示せる実態がないようなもの・自発的に行動して動いているとは言いきれないものを、そのようにレベルをこちらに落として無理くりに表現するのである。

 そんなにしてまで、人は分不相応な「正確には分かり得ない世界の真実まで知りたがる」生き物なんですな。そんな人々の要請に応える存在が「需要と供給」の関係で生まれてくる。

 それが、宗教家やスピリチュアル・メッセンジャーというやつらなのである。



 スピリチュアルの発信、とは因果な商売である。

 ひとつの見解を、世間に発表するということは、大変なことである。なぜなら、それを聞く無数の一人ひとりは、皆一人として同じではないからだ。生きる背景も事情も、体験も思想信条も違う。同じ感想など出てくるわけがない。

 たとえば、1+1=2だよね、と言われたらあなたは「そうだ」と答えるしかない。大嫌いなやつに、「1+1=2だよね」と言われても、相手が気に食わないから「違う」などと言ったら、間違っているのはあなたになる。誰の目にも明らかな事実は、好き嫌いなど関係する余地がない。

 しかし、スピリチュアルにはその好き嫌いが大きく関わってくる。



 スピリチュアルメッセンジャーというのは、なかなか大変な職業である。

 こちらは、本来語り得ない世界の「擬人化」という無茶を頑張って発表しているのに、「ウソだ」「気に食わない」と言われることがある。

 一人ひとり、色々傷付いてきた世界もあるだろう。その傷口が「世界の真実はこうあってほしい。いや、こうでないといけない」と思わせるのも知っている。それを責める気はない。

 筆者の発信は、背負う事情が違う皆さんの中で受け入れる人がいたり、反対する人がいたり、はなからお話にもならないと無視する人がいることは承知している。

 我々の思考や言語では捉えきれないものを背伸びして無理に封じ込めるので、そりゃ所々に「表現の限界やほころび」も出る。でも、完璧にはいかないところはあきらめてほしんだよな。



●パンを切れば、パンくずが出る。

 これをどうにかしようなどとしてはいけない。



 上位次元(別世界)の原理や仕組みをこちらの理解の範疇で暴こうとするのは、そういうことである。パンくずが出て消失する分、元の完全な状態からは「欠ける」部分が出てくる。

 だから、皆さんは「身の丈を超えたものに手を出していることを自覚なさって、ある程度はおおらかになる」のがよろしい。目の前の現実に一生懸命なることで、幸せや喜びは受け取れる。それ以上に、真理とか普遍的法則などの理解まで要求しているのだから、その図々しさに無自覚であってはいけない。

 無自覚だから、あれこれメッセンジャーに要求してしまえるのである。つまらん。信じられん。もっと分かりやすく言え。根本的に違うと思う——等々。



 メッセンジャー一人ひとりが、同じ宇宙の究極根源を見ている保証はない。

 一番向こうの「空」の手前に、どれだけ無数の次元が横たわっていると思う?

 その玉ねぎの皮を全部ひんむくのにいったい何兆年必要か……終わりまで途方もないマトリョーシュカと同じ。

 あるメッセンジャーは、マトリョーシュカを5個程度外した世界を見ているだけかもしれない。それを、大宇宙の真理とか原理とか言っているだけかもしれない。

 もう少し頑張ったメッセンジャーは、2千個くらいマトリョーシュカを外した次元にたどり着いたかもしれない。ただ、我々の中の誰も「絶対に絶対の根源、これ以上細かいのがないマトリョーシュカの最終にたどり着いた」ということを証明できない。悟りも、閉じた世界の中での一種の思いこみである可能性もあるのだ。



 筆者はこれまでも「擬人化」で語ってきたし、これからもそうするだろう。それしかできないからだ。

 そこにはおのずと限界があり、無理やりたとえる中で「ちょっとしっくりこない」という部分もどんどん出てくるだろう。でも、それを承知で挑もうとするのが、スピリチュアル発信者という無謀なチャレンジャーたちなのだ。

 登山家のように、肉体の命の危険にはさらされないが、精神世界的には似た部分がある。私も、やめればいいのにという時もあるが、それでも「山があるから」と登ってしまうのだ。

 これはまさに、「血」ですな……

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