幸せへの道は納得への道

 あるマンガに、こういうお話があった。

 無認可の、お金がなくて経営難の保育園。もうすぐ子どもの日だというのに、ちゃんとした鯉のぼりをあげてもやれない。

 ある日のこと。園長は近々、町内で住民なら誰でも参加できる「相撲大会」があることを知る。その優勝賞品が、特大サイズの立派な鯉のぼりであった。

 実際に力士にはならなかったが、その昔学生相撲である程度活躍した経験があった園長は、出場を決める。歳は取ってしまったが、自分の実力なら何とか若者でも勝てる、と賭けて戦いに臨む。

 やはり、園長の強さは歳を取ったとはいえまだまだ通用した。他のオヤジたちを撃破し、ついには決勝戦へ。しかし、その決勝戦の相手は、高校生ながらとんでもない実力の持ち主だった……



 技術は園長に分があったが、最後にはパワーで押し切られ、土俵の外に弾き飛ばされる。負けた園長に群がる、保育園の子どもたち。

「……すまんな。お前たちに鯉のぼり、プレゼントしてやれなかった——」

 そんなことはいいんだよ、僕たちのためにありがとう。園長を囲む子どもたちの泣き笑いの表情の中には、きっとそんな思いが込められていたのだろう。



●自分に恥じない決断や行動は、成功か失敗、勝ち負けの結果にに関係なく「納得」を生みだす。



 このお話の場合は、園長の全力での取り組みが、勝ち負けは別として他者(子どもたち)を納得させた事例である。鯉のぼりは逃したが、それを問題としないほどに子どもたちは園長の姿を見て『納得』したのだ。

 しかしこのことは、主に自分自身に対して有効な手法である。どちらかというと、他人を納得させることの方が少々難易度が高い。

 手っ取り早い幸せへの道は、あなたの人生を少し細かめに刻んで、その沢山の時点であなたが誠実に生きてさえいたら、たとえ目に見えて誇れる実績などなくても、自分に「納得」することである。そこで、そのことに気分よくすることである。

 もしあなたが、人生でそうそう多くない「目に見えて他人にも開示でき、認めさせて賞賛を得られるビッグイベント」が実現できた時だけでしか、自分を誇れないとしたら? それまでの長い期間、あなたは自分に気持ちよく生きることを「自粛」することになる。

 戦時中、『欲しがりません、勝つまでは』という標語があった。

 大きな目標を達するまでは決して気を抜かない。何かの実績を挙げるまでは、自分を甘やかさない。それだと、かなり幸せな気分を逃す、ハードな生き方になる。

 しかし、あなたが人生に求めるものが何かによっては、この在り方でないといけないことがあるので注意。



 クイズ番組で、正解したらどんどんもらえる賞金金額がつり上がっていくとする。ただし、上のステージに挑戦して失敗したら、それまでに獲得した賞金すら取り上げられる。

 実績に関係なく、自分の在り方や姿勢に「納得」できて、そこを評価してあげられる人生というのは、たとえばこういうクイズ番組で——



①今で得られている金額で満足し、それ以上の挑戦は控えて賞金を確実にいただく生き方



 ……という感じである。

 しかし、それでは納得できない、もっと勝たなきゃ意味ない、と思う人生は——



②たとえ今得られている金額への喜びを放棄し据えおいてでも、高みを目指す生き方



 最終的に負けてすべてを失うリスクを承知で、今在る実績さえささげようとする姿勢。これは大変に、険しい在り方である。



 人には、それぞれその人なりの使命があり、得意なこと、やりたいことがある。

 そういう分野に対しては、②の生き方のほうがいいことがある。

 何かの分野で、『一流』という妥協のない高みを目指そうとするには、妥協せず自分に厳しくし、一時の喜びさえお預けにして、目標に到達するその日までたゆまず前進することである。

 でも、そんな在り方はあなたの人生のほんのひとつの分野だけでいい。でないと、むっちゃ疲れるから!



●自分が「これは譲れない。これは負けない」とこだわる一分野をのぞいて、あとはぜんぶ①の生き方でいくことをオススメする。



 どう考えても、そこは多くの他者の方が優れているという場合。そこは自分があえて余分に意識や努力を割くところではない。限りある人生と自分の注げる力、有効に使わないとね。

 筆者なら、②の生き方に該当するのは、文章を書くことである。スピリチュアルメッセージを動画配信することである。そこは、日々全力である。

 決して、そこはおろそかにしたり手を抜いたり、下手に満足して歩みをとどめたりしない。

 でも、それ以外のことはいたってリラックスモードで取り組んでいる。ライフワークで自分にすでに厳しくしているので、他のことは短いスパンで考え、自分が前向きである限り(たとえそうでなくても)良しとしてあげる。

 だから、あなたは人生において——



●たったひとつの、自分に厳しくしてでも上を目指す分野を持ちたければ持つ

●それ以外を、おおらかな目で見て自分を楽にさせる



 この配分で、あなたが極端に「偏りすぎない」充実した人生を送れるのではないか。もちろん、なんでもかんでも一番や完璧を目指す「極端」だって宇宙にとってはひとつの『可能性』だから、そういう人生もまれには成立するだろう。本人さえ本望なら、だが……

 あなたが強い人ならいいが、そうでなかったり心が弱りそうな時。たとえ、具体的な実績を挙げられずとも、そこにあなたなりの「納得」を見つけて、自分を楽にしてほしい。あなたは、十分頑張ったのだ。

 あなたの姿をちゃんと見ている他人も、きっとそのことを認めてくれるだろう。

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