意識的選択性と『大富豪』

 最近、車を買った。

 車を持たない時代には、車道で走っている車になどあまり興味がなかったのに、手に入れた車と同じ車種の車にはやたら敏感になる。

 同じ車種や同じメーカーのものでなくても、幅広く車種の情報が頭に入ってくるようになる。あれはトヨタだ日産だとか。



 犬を飼うようになった。

 それまでは、道でどんな飼い犬とすれ違おうが犬種などまったくどうでもよかったのに、やれあれは柴犬だチワワだゴールデンレトリバーだヨークシャーテリアだとか、やたら目につくようになる。



 このような現象を、『意識的選択性』と呼ぶ。

 自分が関心のあるもの、望んでいるものを『無意識に』追い求めている、より分けて選んでいる心理行動である。ここで重要なのは「無意識」であるという部分。だから人は、「選んでなどいない」と思っていることがある。

 スピリチュアルの一種で、日常触れるものの中にある種の数字を発見することで喜ぶようなものがあるが(普通の占いなどで言うラッキーナンバーだとか、ラッキーアイテム・カラーなどといったようなものに似る)、気を付けないとそれはただ 「意識的選択性」が働いただけという場合がある。

 失礼なことを言うと、「無意識が意図的に(笑)見つけようとしている」のだ。

 で、顕在意識の自覚に登らせずに必死に検索を懸けた結果、見つけたら——

「おお、この番号に出会った!  何という導き、そしてめぐりあわせ! 宇宙ってベストタイミング~」なんて言って喜んでいる。実は、無意識の領域で一生懸命探しているくせに、不思議にも出会った、見つけたと感動する。まぁ、自分が必死に探しているの分かっちゃったら、数字見つけても冷めちゃうもんね。



 あなたは、自分が特定のスピリチュアルを信じている、あるいは支持しているわけを「真理だから」「他のどれよりも納得できる一番の内容だから」というふうに思われているかもしれない。

 多分ね、それは違いますよ。まさにここにも『意識的選択性』が働いている。

 人間一人ひとり、生まれてからの経験も、感じてきた事柄もまったく違う。それゆえ、あなたという包括的人格が「何を好むか、何を望むか」の方向性が他人とは違う。確かに「似た傾向のグループ」として、あなたと同じものを好む群れもできるが、細かいところではビミョーに違うはずだ。

 これが、同じ宗教やスピリチュアルの群れに属している同士でも、意見が違ったりウマが合わなかったりすることがある理由である。

 あなたが 「自分に足りない・欲しい」と思っている要素、あなた独特の満足のツボにハマるスピリチュアル指導者やメッセージを見つけた時に、「出会った!」と思う。カッコつけな人は、「真理に出会った」とまで言う。

 これは本物だと見抜いた、とかいうセリフもある。あんたどんだけ傲慢なんだ!

 筆者なら、言えないな! そんな大それたこと。(笑)



●単にあなたの欠けや寂しさを埋めてくれるのが、その人物であったというだけ。

 あなたは、自分のニーズを満たす存在を見つけただけなのに、それを真理に格上げしてしまった。意識的選択性が働いて望むものを見つけただけなのに、それが導かれた出会いだとか、艱難辛苦の末真理にたどり着いた、とか神秘的な話にしてしまう。

 引き寄せの話もその意識的選択性で説明できてしまう部分もある。



 あなたがいったん何か「しがみつける大事なもの」を見つけたあとは、『意識的選択性』を無意識に使いまくって、心の砦をより堅固なものにしようとする。

 あなたは以後、自分の支持するスピリチュアルだけ、あるいはそれに賛成・同調する意見ばかり探すようになる。批判、中傷などの情報はできるだけ避ける。まかり間違って見てしまった場合、必死にそれを打ち消せる情報を探して回る。

 いつだってあなたは全力でそのスピリチュアルの味方をするので、ちょっとやそっとのことであなたの心の中の「最重要なものランキング」は変動しない。

 でもまれに、あなたが必死に重要度トップの何かの王座を守ろうと思っても、守り切れず崩れ去る時がある。筆者は昔、ある新興宗教にどっぷりハマって抜けるのがずいぶん大変だったが、最後の最後自分がしがみついていたものをやっと間違いだと認めた瞬間があり、その時なんかがそうである。



 そのことをトランプの遊びに例えると、『大富豪』というカードゲームゲームで説明できる。

 ワンプレイして、一番勝ちした人からドベまで、明確な順位がつく。

 その時に、一番勝った者から「大富豪」「富豪」「平民」「貧民」「大貧民(地方によってはド貧民)」と地位が付けられ、大富豪は大貧民から「一番強いカード」を2枚もらえる。で、一番弱いカードを代わりに押しつけることができる。

 だから、大富豪は常に有利な立場になり、勝ち続けやすい。

 しかしである。ずっと上位優位が変わらないなら、ゲームとして面白くないので誰もやらない。「逆転劇」があるから、上位の失脚があるから面白いのだ。

 配られるカードの内容によっては、たとえ大富豪が強いカードを2枚徴収しても、それでも全体として弱い手札になることもあり得る。対する貧民側も、一枚や二枚取られても結構な強さが残っている場合もある。そして、あとは出し方の上手さでも、十分に勝機はある。



●常に有利な情報を集めようとし続けても、それでも抵抗できない何か、良い情報が束になってもあるひとつを覆せない。そういう時が、長い人生ではあるものだ。



 大富豪が、いつも2枚良いカードがもらえる状況でも負けることはあるように、あなたが大事にしたい何かを、どうしても手放さざるを得ない時が来る。

 その時こそ、『意識的選択性』の敗北である。そしてそれは悪いことなどではなく、あなたの矮小なエゴは悲しむだろうが長い目で見ると『あなたが一皮むけた記念すべき瞬間』という価値あるものなのである。



 この世では皆、自分がムキになって大事にしたい何かを、必死で大事なままにしておこうと戦っている。それを補強するためのプラス情報を集め、同じ傾向を持つ同志と肩寄せ合って、励まし合っている。

 もちろん、まれなケースでは人生の最後まで信念が変わらなかった人もいるだろう。(でも、かなりの程度そのために払った犠牲があるはず。『妥協』という名の)

 でも、皆「意識的選択性が、いつか思いもよらない情報に屈する日が来る」のである。覚醒者にも、これは襲う。

 その時に、メンツを保ってカッコつける(何でもないように表面上振る舞う のか、それとも素直に、真摯にその現象と向き合うか。そして「受け入れる」か。

 


 今回のお話のキモは、「意識的選択性がダメ」というところにはない。

 だって、それをしないと生きていけないんだし。人間としての営み自体が成立しなくなる。私たちはこの意識的選択性によって動くしかどうしようもないのである。

 ただ、今回のような話を知っておくことには意義がある。少々だが、覚悟というか依って立つ「足場」のようなものが心の片隅にできる。

 いざ将来、あなたが意識的選択性をいくら駆使しても否定できない事実に直面した時、「ああ、筆者さんが言っていたのはこのことか。本当にこの世界は諸行無常だなぁ!」と、直撃を食らうよりはマシな心理状態にもっていける。

 いつかはひっくり返るかもしれない覚悟も持ちながら、今信じていることや大事にしてることに全力で向き合うとよい。ってか、それしかできない。

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