Q&Aのコーナー第六十八回「イエスは実在したか?」

 Q.イエス・キリストは本当に実在したのですか?



 A.知りません。



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 これは、つい最近読者から投稿された質問である。

 答えとしては、身もふたもないが、上記の通りである。

 しかし、それではあまりにも寂しすぎるので……

 もうちょっと、膨らませた話にしてみよう。



 皆、世界的に「いた」として話をしているし。そういう前提が絶対的だし。

 いたことを疑っている人の方が、どちらかというとマイナーだし。

 信者でなくとも、一般常識としてイエスがかつて実在し十字架にかかり、それがいつしかキリスト教にまでなった、という流れで理解されている。

 だから「はい、いました」と言ってもいいくらいなのだが、それは誠実な姿勢ではない。実際に会ってないものは、見てないものは、軽々しくいたとか言えない。いくら周囲の情報が「いた」でも、絶対に本当だったと確かめることはできない。

 だから、憶測でも願望でもない、責任ある答えができるとするなら「分からない」ということになる。



 ここで、ちょっと別の面からこの質問を眺めてみよう。

 質問者は、なぜこんな質問をしたのか? である。何のために?

 おそらく、本人は無意識で、自分ではなんでこんな質問が湧いたのかお分かりでないだろう。では、私から言ってあげよう。



●本質より、目に見えるものより損得でものを考えているから。 



 たとえば、イエスが本当は実在しなかったとしたら?

 キリスト教は、バカバカしくなって崩壊する。イエスを信じる者は救われ天国へ行くという話も、彼自身の存在が架空と分かったら、無効になる。

 やる意味がないので、損をするからキリスト教は無くなるか、そこまでいかなくても衰退する。

 でも私は、あなたが特定の宗教やスピリチュアルを熱心にやっていて、それを意味のあるものにしたい、無駄にしたくないというならもの申したいことがある。



●イエスが本当にいたかどうかなど、重要ではない。

 重要なのは、彼が言ったとされている言葉の内容だ。

 彼自身ではなく、彼が指さした方向を向くことが大事なのだ。

 ならばイエスがいたかどうかなんてどうでもよくはないか?



 イエスがいなかったら、彼が言ったとされる言葉やしたとされることが色褪せるのか? ということ。くだらなくなるのか? 価値がなくなるのか? ということ。

 私は、確かめようもないことはどうでもいいので、その辺はテキトーである。

 聖書に書かれていることが本当かどうかも分からないのに、事実ではない可能性も大なのに、私はここまでの本書の内容でよくイエスの言葉やしたことを、本当だったかという議論もなく事実のように取り上げていることがある。そんなエピソードが現実にあった、という前提で話をすすめていることがある。

 なぜなら、それが本当だったかという議論は本質ではなく、時間のムダだからだ。

 大事なのは、「何を言っているか」なのだ。話が役に立つと思えば、聖書の話が本当だっかどうかは気にしない。

 そこに命が宿っており、気付きの宝石が散りばめられているなら、別にイエスの実際の言葉や行動でなくても全然構わない。

 エックハルト・トールという世界的に有名なスピリチュアルの指導者は、こういう趣旨のことを言っている。「私を尊敬してくれる人がいるのはありがたいが、私自身は皆さんの行くべき方向を指し示す道路標識のようなものだと考えてほしい。価値があるのはあくまでも標識が指し示す方向であって、標識そのものではない」

 ゆえに、キリスト信者が人間イエスを神格化したり、ミーハーなスピリチュルファンが指導者をまるで有名芸能人かのように扱うのは、大衆のさがとはいえたいへん滑稽である。



 私は、かつてキリスト教信者だった時には、イエスが実在したことを疑いもしなかった。

 でも、悟りという体験を通してそれがご破算(そろばん用語)になってしまった。分からなくなった。そしてその後、どうでもよくなった。

 今現在では、イエスなんてどうでもいい、である。

 イエスがどうでもいいというより、今生きて目の前にいない人が生活上どうでもいい、と言ったほうが正確か。考えてもしゃーない。



「田中が死んだら、お前も死ぬんか~!」 というギャグツッコミがある。

「イエスが実在せんかったら、何かが変わるんか~!」と言いたい。

 もはや、イエスなんて気にしなくていい。ただ彼が言われたとされる「言葉」だけに注意していればいい。それが素晴らしいなら、誰がそれを言ったかなど大した問題ではない。

 イエスが実在したかどうか? そんなのは、単なる暇つぶしにしかならない話題である。

 意地悪を言うと、そのあたりの話(何かがホントだったかウソだったかという次元で気にする)に関心がある事実が、あなたの魂の旅の進み具合のバロメーターとなる。グル(師匠)からすると、「お主、まだまだじゃの!」ということになる。

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