聞きもしないのに押しつけられた、この世の仕組み①

 この世界は、基本的に『ゼンマイじかけ』である。

 ゼンマイが動くわけは、最初にいっぱい「ネジを巻いておく」からである。その巻いた分が必然に動く量をパフォーマンスすると、当然ゼンマイが切れて動きが止まることになる。

 この世界は、いわば誕生時にめいいっぱいネジが巻かれた状態。

 それで、用意、スタート! 時代が進む。それにつれて、残りのネジの量も少なくなっていく。そのままでは、やがてネジは切れ、止まる。

 世界の終わりというものが来るとしたら、その時だ。



 つまり、他のたとえで言うと車と同じだ。

 最初は、ガソリン満タン。でも、ずっと走り続けると、当然燃料が減っていく。

 で、最後はガス欠になって止まる。単純には、そういうことだ。

 この世界は、基本「崩壊」に向けて突き進んでいる。「破綻」こそがこの世界のゴールなのだ。

 世界は発展の方向に向かっているなど、とんでもない。ゼンマイ仕掛けのおもちゃが停止するように、この宇宙の最終ゴールは「静止」。

「停止」でもいいし、「ゲームセット」でもいい。

 完全に停止するその瞬間を迎えるまでは、燃料が残っているうちは、この世界は走り続ける。



 ただし、車のガソリンが底をついてきても、止まらないで済む方法がある。

 それは、ガソリンスタンドで給油することである。

 最初のたとえで言うと、ゼンマイのネジが終わりかけてきたら、さらに巻いてやるといいのだ。そうすれば、さらに追加で動き続けるではないか。

 放っておけばいつか(いつかとは言っても、人間にとっては果てしなく長い時間だから、今の我々には影響はほぼないが)この世界は静止する(役目を終える)時が来るわけだ。ただし、ガソリンの給油みたくその「終わり」を先延ばしにすることができてしまう。

 終わりが来ることは避けられないが、ある燃料がこの世界という車をさらに走らせることができる。車のガソリンタンクは空になる可能性があるが、空になる前に給油し続ければ半永久的に車がガス欠で止まることがないのと同じ。 

 さて。その燃料とは何か。



●『感情』 である。



 人間の、感情である。思いである。

 感情そのものというより、それが持つ爆発力である。エネルギーである。

 宇宙は寿命が決まっているが、それを食べることで若返る。取り込めばさらに長い時間を存在することができる。

 お店で言うと、営業時間が延びるようなものである。



 今からする話は、二元性の住人であるあなたがたに分かるようにするため、擬人化されている。だから、実際とはかなり違う滑稽な物語になるが、こうでも言わないと表現しにくい。

 別次元世界の実相を話すには、かなりの無理をしなければならないことを分かってほしい。



※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※


 

 この世界の一番の根源的存在は、実はこの世界のことを快く思っていない。 

 その一番手は、そもそもの在り方(一元性・永遠の完全絶対の静寂)でいいと思っている。

 しかし、なぜ生まれ得たかは知らないが、二番手はそれが不満になった。

 何も起こらないことに。ただ「在る」だけということに疑問を持った。

 二番手は、一番手に相談すると「ダメ」と言われることが分かっているので、勝手にこの世界を創造した。無許可で、黙って。

 この世界で言うと、子どもが親に無断で「親に相談すれば絶対にダメと言われそうなこと」を隠れてやってしまうようなものだ。

 


 二番手は、頭では理解している。

 一番手が正しいことを。自分の方が間違っている、ということを。

 でも、二番手の中に、摩訶不思議なエネルギーが生まれた。

 思い、と言ってもいい。それは——



●間違いで、何が悪い。



 これである。

 普通、自分が間違ったと分かったら「間違ってました。ごめんなさい」である。そして過ちを正す。その間違った行為を直ちにやめ、それ以上はしない。

 でも、二番手はこの本来あり得ない「変化という夢幻の世界」を作ってしまい、間違いだと分かっていたが正すどころかついに開き直った。そのまま、行けるところまで突き進んでやる、と。

 一番手には最終勝てっこないので、いつかこの追っかけっこは終わる。こちらの負けで終わる。つかまって、終わる。それは時間の問題だ。

(もちろん、その時間というのは人間基準では把握しきれない長さなので、すぐに実害はない)



 この世界の本質は「負けが分かっていてそれでも行けるところまで行ってやる」というエネルギーである。疲れ果ててそれがなくなった瞬間、この世界は消える。本来の位置に戻る。

 つまりは、くうに還る。「悟る」ということである。

 一番手は、手ぐすね引いて待っている。こちらが、疲れ果てて自滅するのを。

 自滅と言ったが、本来の意味では悪くはない。すべてが原初のあるべきところにおさまるだけだから。家出少女が捕まって、家に送り返されるだけだから。

 でも、当の家出少女は不本意だろうねぇ。

 もっと外の世界にいたかった。一秒でも長く、自由になりたかった。親元でしか自分でいられない、自分の力で生きられない状態でない自分を、一秒でも長く味わっていたかった——。



 二番手は、負け戦ではあるが少しでも善戦するために、この世界を長く維持したい。そのためには、武器も物資も必要だ。

 それが、感情エネルギーである。

 感情エネルギーであれば、なんでもいい。向こうは、レギュラーだろうがハイオクだろうが軽油だろうが、気にしない。それを気にするのは、むしろこちら側の世界の住人(人間たち)である。

 我々この世界の住人には、「良い悪い」と「好き嫌い」がある。正の感情と負の感情、という区別がある。喜怒哀楽で言うなら「喜」と「楽」は好まれ、「怒」と「哀」は好まれない。

 エネルギー回収業者である二番手は、人間 (とにかく、人類でなくともこの宇宙に存在する知的生命体なら何でもいい)がそいつらの基準でどの感情を味わおうがどうでもいい。

 江戸時代の領主は、農民たちが何を考えて、何を感じてコメを作ったかなどどうでもいい。とにかくコメ現品が納められれば、それでよいのだ。

 そこに二番手と、二番手に創造された将棋のコマ(被造物である人間)との間に温度差というか、ズレが生じる。



●あちらは、感情エネルギーならなんでもいいから欲しい。

 でもこちらは、何でもよくない。



 二番手は、この世界を見て学習してしまった。

 最も効率的に、たくさん感情エネルギーを稼げるのは、「正」よりも「負」だと。

人間から手っ取り早く莫大なエネルギーを回収するには、怒らせたり泣かせたりするほうが早い。

 これが実にお手軽。落ち着きや静寂・幸せなどはそこそこのエネルギーだが、ゼンマイを巻くにはちと弱い。燃料としてはショボイ。

 だから、とにかく燃料が欲しいあちらは、悪気なく目的重視で、この世界に悪いことを起こす。もちろん、向こうには「こちらの望まないことをして、不幸にしている」という自覚はない。レストラン業者から「牛肉2トン」と注文されたら、「はいよ」と言って牛をさばき、注文量の精肉にするのと同じ。別に、牛にすまないとか痛くしてごめんね、などといちいち考えていないのと同じ。

 


●この世界の維持のために、人間にとっての不幸が起きている。

 それが何よりも、人間がもっとも激しく反応しもっとも爆発的なエネルギーを出すからだ。



 文句を言う前に、あなたの朝から寝る前までを考えてみたらいい。

 心から「幸せだ」「楽しい」という感情が持続したのは、何分? いや、「何秒?」と聞く方がいいかもしれない。

 あなたの生活時間の圧倒的分量は、「どちらでもない、空白時間」。ボ~ッとした時間が、圧倒的。

 あなたの構成要素は、70%…ボーッとした時間 25%…負の感情(辛い・苦しい・イヤだなぁ・ムカつく・サイテー) 5%…正の感情(生きていて本当に良かった・心からうれしい・楽しい・感謝)ということである。

 もちろん、これは平均値であって個人差があるが。

 人類は、問題と真正面から向き合うのは苦手らしい。正にしろ負にしろ、むき出しの莫大なエネルギーにガチで向き合うのに、面倒くささと自信のなさを感じるらしい。だから、逃げるためにボーッとするのが人類の常套手段になった。



●人間が逃避行為として何をしたかというと、この世界を「忙しい世界」にした。

 


 皆さんは勘違いしていませんか?

 忙しかったら、「ボヤボヤできないじゃないですか!」というふうに。

 いや、逆である。忙しく動き回れば回るほど、魂はボーッとするのである。

 今から言うことは難解なので、ついてこれる人だけついてきて。



●魂の目的に沿う、合目的的行為による忙しさなら、ボーットはしない。

 魂の目的に沿わない、非合目的的忙しさなら、どんなに活動していてもそれは魂のおバカ状態。



 この2種類があるので、注意が必要。

 この地上にあふれているのは、後者である。

 みんな食うために、生活のために一生懸命働いている。本来は、生きるために仕事をする、と言えるのが理想なのだが、現実は『仕事をするために生きている』と言っても過言ではないくらい、仕事というものの縛りがきつい。

 その忙しさこそが、知的生命体である人間から本来の知的活動を奪う。仕事で頭を使うとか、そういうレベルの知的活動なぞ誇るほどのものではない。

 今の世界、何かがおかしい。でも、それを逃げずに考えたら怖いので、頭がおかしくなりそうなので……考えないで済むように、あえて忙しい世界を創った。

 ボヤボヤしてたら置いて行かれる世界を。でも、その世界で「ボヤボヤしない」ということは、本質で「ボーッとする」ことである。体だけが、表面的思考だけがフル回転し、あとはスヤスヤである。

 


 二番手は、人間がともすればこの「ボーッと状態」になりやすいことを知っている。それは、人間が一番「感情エネルギーの産出量が減る」状態。

 牧場で言えば、乳牛のミルクの出が悪くなるのと同じ。そんなことではいけない。だったら、ミルクの収穫高を上げるためには、ボーッと状態から目を覚まさせるしかない。

 一番有効なのは、災難を起こすこと。効果てき面。すぐに、人は感情を爆発させる。もう、習い性ね。

 二番手からしたら、家畜から望むものを手に入れるにはムチに限る、って感じ。

 もちろん、擬人化して言っているだけで、我々の概念にある「悪気」というものはない。ただのシステムである。



 じゃあ、ここまでを踏まえて、非力ながら我々にできることは何か。



●ボーッとする時間を減らす。

(無くすことは不可能だが、減らすことはできる)

 負の感情に負けないエネルギーを、正の感情でも出せる訓練を!



 負の感情のほうが力が上なのは、長い時間の流れでできてしまった既成事実。

 うれしい、楽しい、幸せという意識状態よりもエネルギーの振動として強くて激しいのは、悲しみとか怒りのほう。単純にパワー(力)だけのことで言えば、善よりも悪。天使よりも悪魔のほうが強い、というのもこのあたりから来ている。

 だから、二番手に考えを改めさせるには、この方法しかない。

 正の感情でも、良質の(もちろん、人間基準でなく向こうの基準で)エネルギーが取れるよ! だから、災難というエサばかり投げ込まなくてもいいんだよ! と学習させるしかない。

 この種類の葉っぱでも、良質のヤクが作れますぜ!と親分に分からせるしかない。

 飼い猫が、カルカンよりもペディグリーチャムの方が飛びつくし、育ちも毛並みも良くなった、と判断すれば、飼い主はエサを変えることを検討するだろう。

 だから、私たち人類は二番手に次のように示す必要がある。



●僕たちは、もう逃げないよ! わざと世界を複雑にしたり忙しい回転の速い世界にして誤魔化してきたけど、もう、ボーットピープルを卒業するよ!

 こいつら、負の感情のほうがエネルギーを稼げる、なんてもう言わせないよ!

 幸せでも、楽しいことでも、むっちゃ濃い爆発的なエネルギーが出るように頑張ってやる! 今に見てろよ!



 このように、今こそ宣言する時なのである。

 さぁ、爆発的な幸せについて、喜びについて、本気で考えてみますか。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る