大樹は本当に大樹?

『ウォーキング・デッド』という人気海外ドラマがある。世界中がゾンビだらけになって、わずかに生き残った人類のサバイバルを描いている。

 主人公の息子が、まだ小学生か中学年くらいの年だと思うが、一人で散歩に出ていてウォーカー(この作品ではゾンビとは呼ばず、そのような名称になっている)に出くわす。近くに武器を持った大人がいない状況で、これはかなりまずい状況である。

 少年は一瞬絶望に襲われるが、あることに気付く。

 ウォーカーは、どうもその場から動けないらしいのだ。足元を見ると泥沼のようなぬかるみに足がかなり沈んでおり、身動きが取れないので、ウ~ウ~歯をむいて唸るだけ。

 そうと分かると、少年は安心した。

 安心してそのまま帰ったならいいが、ここでこの年頃の男の子特有の「要らんことしぃ」の精神を発揮してくれる。相手が動けないと分かると、少年はウォーカーをなめてかかる。その場を離れるどころか、石をぶつけて面白がって遊びだすのだ。

 でも、何となくその後の展開が読めてくるでしょう? 必死でもがくウォーカーの足が、少しづつぬかるみから外れていく。もうこいつは動けない。そう高をくくっている少年は、その変化に気付けない。

 しまいめに、ズボッと足が抜けたウォーカーに襲い掛かられるハメになる、というわけだ。(主人公の息子なので、ここで死なれたらまだ困るのだろう。何とか生きて帰れる展開になるのだが)



『寄らば大樹の陰』ということわざがある。

 身を寄せるならば、大木の下が安全で ある。同じ頼るならば、勢力のある人のほうがよいというたとえであるが、何も人や組織でなくても当てはまる。

 今回のお話の中で、少年が頼った大樹とは、これである。



●敵は、ぬかるみに足を取られていて、その場から動く心配はない。



 そう安心したからこそ、相手の手が届かない距離から石をぶつけて遊ぶことができたのだ。

 でも、落ち着いて考えたら、そのぬかるみがどの程度の深さで、ウォーカーはどれほどの身体能力を発揮できるのか。本当に、抜けられる可能性は無いのか? そういうことが、全部「見た感じ」の判断でしかない。そんなこともわきまえず、少年は「敵は動かない」というのを神が定めた真理でもあるかのように、信じ切った。



 私たちも、日頃ある判断に基づいて色々な行動を取っている。

 その行動の根拠、つまり「こうに違いない」という大樹は、本当に大樹なのか? ということである。見た目に大樹でも、根元が腐りかけているかもしれない。ちょっとの負荷をかけるだけで、実は倒れてしまう状況かもしれない——。

 人は時として、大樹を信じ切って頼り、その結果共倒れになることがある。

 この世界で確かなことなど、何もない。大企業なら安全神話も、終身雇用神話も崩壊したこの世界に生きる皆さんならよく分かるだろう。

 冒頭で紹介した少年の愚行を、私たちはただ笑える立場にはいない。同じことをやってしまうかもしれない。いや、すでにしているかもしれない。

 


●あなたが何の疑問もなく頼ろうとしているその大樹。

 人であれ、金であれ、モノであれ特権であれ地位であれ——

 本当に、全体重を預けて大丈夫だと言いきれますか?

 ちょっとでも、倒れる可能性を考えてみましたか?



 もちろん、何でもかんでもいちいち疑え、と言いたいわけではない。

 素直に、すぐに信じて疑いを差し挟まないことが愚かだと言いたいのでもない。それは直感というか、あなたの心のコンパスに従ったらいい。

 でも問題の種類によっては、手放しで信じることが大きな賭けになるようなことなら、多少慎重になってもバチは当たらないんじゃないですか? と言いたいのだ。

 信じることは、人間の美徳のひとつである。とても大事なことだ。

 しかし、私たちはある意味では血も涙もない現実という幻想を生きているのだ。賢くないと、幸せに生き残れない。



 道を歩いていて、たまたま頭上から鉄骨が落下してきて、当たって死んだ人がいた。彼には優しい奥さんと、かわいいさかりの子どもが二人。

 家のローン・車のローンはまだ先があり、深刻に考えてなくて生命保険にも入っていなかった——。

 宇宙は、物理法則は、家族のそんな事情を汲んで落下速度を緩めてくれたり、途中で静止してくれたりしますか? そんなことがまかり通るなら、大震災があっても善人だけ助かる、ということでも起こるはずだ。でも実際は、知っての通りだ。

 ここで生き抜く知恵が必要である。

 聞こえは悪いが、「あなたが疑いもしない前提を、疑ってみること」。

 常識や慣習。大人が言うこと。社会が教えてくること。会社があなたに強要してくること。何も考えず従うのは、屈するのはたやすい。

 ただ、この世にただ頼ればよい不倒の木など存在しない。

 ならば「今頼るべき木」を見極めなければいけないし、時期が来たら適宜「頼る木を変える」決断が必要となるかもしれない。それは、あなたが人生の主人公として、自らの目でしっかりと見極めるのだ。



 だだ視覚的な情報だけを根拠に、ゾンビは泥に足を封じられているからと安心しきるのは愚かだ。

 だからと言って、いくらこちらが気を付けていても、限界がある。意識的になったからと言って、100%災難を防げるものではない。交通事故のように、気を付けていても起こる時には起こってしまう。

 ただでさえそうなのであるから、無防備になんとなく大勢に合わせて分かりやすい大樹ばかりに頼ってはどうなるか、火を見るより明らかである。ゆえに間違ってもいいから自分の頭でしっかりと考えよう。色々な可能性も検討しよう。

 この世ゲームが、何も考えなしにテキトーにプレイしたら運よくクリアできる、なんてくだらない仕様なわけないでしょ? そこは、神は愛だとか世界は、宇宙は愛でできているとかいう話は関係ない。そんなもの、大樹どころか実に非現実的な大樹(根拠)である。



●戦わなければ、生き残れない。

 知恵を駆使せねば、幸せは指の間からスルリと零れ落ちていく。

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