なんでかフラメンコ PARTⅡ

 前回の記事 『なんでかフラメンコ』ネタの、さらに続きである。

 次のようななぞなぞを解いてみよう。



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 田舎のオッサンが風邪をひいて寝てた。

 その横で牛が「モォ~」と鳴いた。

 そして、そこへ蝶がヒラヒラと飛んできた。

 さて、このオッサンの病気は何?



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 素直すぎる天然な人は、「モーと鳴いて蝶だから、盲腸?」と実に模範的な解答をしてくれるが——



 答え:最初にオッサンが風邪をひいて寝てた、って言ってるでしょ!



 アハハそうだよねぇ~で終わりそうだが、これかなり深い話なのである。

 人間というゲームキャラがこの世ゲームをプレイする上で、知っておいた方がいい「キャラ特性(独特のクセ)」を指摘してくれているのだ。長所と短所は、把握しておいたほうがいいでしょ?



●重要なヒントや気付きの素が、隠されもせずさらされているのに——

 より目立つ情報がある場合、そちらに気を取られて気付けない。



 この次元は、過去 → 現在 → 未来 という直線的時間軸という幻想の流れがある。

 今という地点を一番自分に近い点とするなら、そこから過去になればなるほど、記憶から、印象から薄れていく。新しくフレッシュに「今」仕入れた関連情報のほうが、その人に採用されやすい。

 先ほどのクイズでいくと、「オッサンが風邪をひいて寝てた」という最重要情報が、最初から提示されている。答えがまず、で~んとさらされているわけだ。でもその直後に「要らん情報」、つまり聞き手を惑わせるお邪魔情報が見せられる。

 牛がモーと鳴いて蝶がヒラヒラ……ここで、「あっ」とこの情報に飛びついてしまう。これ、ふたつ併せてモーチョウ、つまり『盲腸』じゃん!

 やったね、簡単な問題だぜ~ (ワイルドだぜ~)!

 それで、この問題を解けたようで、いい気になる。

 人間、一番若い情報に弱い。一番採用すべき情報があっても、その人その人で「たまたま」印象深いと感じた情報に取り込まれやすいのだ。

 だから、その時々の新聞記事やニュースネタ、マスコミの論調などは怖いのだが、そこは表面上日本が平和なので、それほど危機感を感じれないシステムにはなっている。

 ミクロな視点では、他人のウワサなどのせいで本当のその人を見誤り、誤解してしまうということも。



 スピリチュアルでも、そうだ。

 この世界に生きていると、自然に「こうだ」と分かることがある。「これは、こういうもの」 という一般常識がある。

 もちろん、それらの常識と呼ばれるものの中には窮屈なものもあるし、単なる思い込みだったり的外れだったりするものもある。だからこそ、昨今のスピリチュアルや自己啓発でもその人気のあるものは「常識を壊せ!」などというメッセージになっていたりする。

 確かにその通りな部分もあるが、暴走に対してある程度のブレーキは必要であると思っている。



●常識は、なんでもかんでも悪くはない。

 まさにその通りな常識もある。

 ただ、スピリチュアルは調子に乗り過ぎて——

 壊す必要のない常識まで壊しかけている。



 だからさ、増えないんだよ。スピリチュアル人口。

 生きているのはこの世なんだ。あんたが革命でも起こして世を変えようとしているんでもない限り、結局この世界のシステムに甘んじる限り、その世界のルールや常識を大事にするのは礼儀だ。

 しかし、不幸な人(人生うまくいっておらず、何かにすがりたい人)には、ちょっとインパクトのある情報には敏感である。うまくいってないなら、成功者で幸せな人よりもこの世に対する不満感は大きいから、過剰に「そうだそうだ! この常識はおかしい!」となりやすい。

 世界に不満がある人にしてみたら、スピリチュアルの『破・常識』は渡りに船なのだ。言ってもらえて快感なのだ。背中のかゆいところに手が届く感じ。「あ、そこそこ!」ってな感じで、見事にハマる。

 そうやって、「自分なりの感情の納得」という要素に強く左右され、肝心の「当たり前」なことがおろそかにされていく。そして、イタイ「スピリチュアル世界の住人」の1人前出来上がり——。



 特に最近の傾向として、新世紀という時代の節目だということもあって「センセーショナルな」内容のスピリチュアルが多い。スケールのでかいもの。宇宙規模の内容。地球が滅びるや滅びないやとか、あなたの知らないところでこんなことが起こっている!とか。

 そういう、人々の危機感をあおったりあるいは 「気付いたあなたが世界を救う主役だ!」というように、その人の「特別でありたい優越心理」をくすぐるような内容も多く見られ、その一部は内容的に過激である。

 もしそれが本当だったら大変じゃん! みんなうかうかしてたらヤバいよ? ってなスピリチュアルもある。でもそういうものは得てして、一部の者が騒ぐだけでそれほど世界からは相手にされていない。



 せっかく「オッサンが風邪をひいて寝てた」という大事な情報が提示されているのに、その後の余計な、でも「採用したくなる甘美な」情報の新鮮さと刺激に負けてしまうのと同じように……人は必要以上に既存世界の常識や考え方を「縛りである」と断じ、スピリチュアルが提示する「新しい価値観」を声高に主張する。

 もちろん、そうすることが良いことだってある。ただ、すべては「バランス」なのだ。どこまで既存の価値観の良いところをちゃんと分かっており、その上でより良く変えていく(破・常識&新創造)ことができるか? が重要で、単に気に入らんもんはとにかく壊せばいい、では困る。

 世の革命行為、例えば昔の百姓一揆など、気持ちは分かる。それだけその体制下で、理不尽な思いをしたのだろう。しかし、その多くは「ただ不満を爆発させるだけでビジョンを欠いていた」。つまり、勝った後のことまで考えていないのだ。

 とにかく今の苦痛から逃れたいから、とにかく今の国が嫌だから、倒す。でも、倒したその後、こうするというしっかりしたものがないと、結局トップの首がすげかわるだけで、何も変わらない。

 笑い話じゃないが、最初は現政権を問題として、立ち上がって支持を得、ついにはトップを取った指導者が、いざ自分がその座についてみたら結局同じようなことをしてしまった、というようなことになる。



●常識を壊すなら、かならずその代案を明確にすること。

 それができないなら、現状の中で、現行の法や常識を守りつつ最善を尽くすことが礼儀。世の中に文句だけを言うのは、見苦しい。



 ただし、受け手(消費者側)も利口にならないといけない。

 いくら、スピリチュアルが世の問題点と新たなそのスピリチュアルなりの世界観、実践論を提示してきても、あなたが 「ムリムリ! それはちょっとないわ~」 って思ったり、少しでもアンテナに引っかかりを覚えたら、慎重になりなさい。無理をして信じる必要はない。

 成功して稼いでいるいる発信者は、そういう立場になるだけあって「モーとチョウ」の見せ方がうまい。しかも確信犯ではなく、「さり気なく」「無意識に」「悪気なく」やっている場合が多いので、指導者に好意的な人の場合あらがうのは難しい。その発信者の弁舌力のとりこになる。



 今回のお話は、もちろん自分を見失い必要以上にスピリチュアルにとらわれいてる人向けのメッセージである。あなたが人生の主人公としてスピリチュアルを利用しているんではなく「スピリチュアルに使われている、あるいは振り回されている」ような人へのオススメである。

 そうでない人は、問題なくスピリチュアルライフをエンジョイできている人は、この記事はスルーしてくれたらいい。ただ、筆者が「どの人にも当てはまる普遍論」 を言っていると誤解したら、要らぬ腹が立つだけなので、要注意。

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