なんでかフラメンコ PARTⅠ

 今回もまた、若い世代にはついていけないネタである。

『堺すすむ』という伝説の(?)お笑いピン芸人の先駆者のような方がいる。

 この方の芸のスタイルは、ギターを伴奏に「なんでかフラメンコ」という歌を歌う。歌というより漫談なのだが、それにメロディーを付けてしゃべっているのだ。

 まず、なぞなぞを出す。そして観客に「な~んでか?」と問いかけてしばらく考えさせる。で、最後に「それは……だったから!」 などと、お話のオチをばらすスタイルである。

 筆者が小学生の時、面白がって見ていた。たけしやさんまもこの頃には世に出ていたが、申し訳ないが彼らより堺すすむのほうが面白かった。(もちろん、あくまで個人の感じ方です)



 今日話題にしたいのは、堺すすむの出す次の問題ネタ。



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 狭い路地があった。

 両側には塀があり、トラックなど通ろうものなら、隙間も何もなくなるほど狭い。その狭い道をトラックが時速100キロのスピードで走ってくる。

 その先には、なんとおばあちゃんがかがんでいる!

 運転手は気付かず、時速100キロのスピードをゆるめもせず、そのまま走った。

 だけどおばあちゃんは、ケガも何もしなかった。

 な~んでか? 



 答え: おばあちゃんが時速101キロのスピードで逃げたから。



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 バカバカしいけど、面白いでしょ?

 このお話で大事なポイントは——



●理屈だけは通っているが、あり得ない。



 そりゃさ、100キロのスピードで来られても、それを上回るスピードで逃げたらぶつからないとは、科学的にも物理的にもその通りな話である。

 しかし、おばあちゃんが101キロのスピードで逃げることなど不可能だ! ということが誰の頭にも分かる。答えを聞いて「そんのないだろ!」 とあきれる時の脱力感が笑いを誘う。



 しかし、スピリチュアルってそうはいかないんだな。

 時速100キロで来るものは、101キロのスピードで逃げればいい、みたいに「理屈だけは通っていて立派」なのだ。

 潜在意識の話。霊界(死後の世界 の話。引き寄せの話。くうの話、つまり非二元論——。

 皆、それなりに立派な理屈だけど「絶対かどうか確かめる手立てがない。体験した本人は確信しているのでいいだろうが、伝聞で聞く他者には、へええ?という話でしかない」。

 今回のおばあちゃんのネタだと、おばあちゃんが時速101キロで逃げるなんてムリと簡単に分かるが、精神世界系の、見えない意識レベルの話はそこがどうにも不透明になる。

 聞き手は幸せになりたいし、それでうまういくなら信じたい。幸い、証拠なんてないけどこの覚者(スピリチュアル発信者)の言葉には説得力があるし……なんてことで、結局受け入れてしまう。



 もちろん、人生というものはその本人のものである。

 信じたいものを信じ、受け入れたいものを自由に選択する権利がある。

 ただ、それでしばらくやっても何も変わらない、あるいは余計ひどくなるなら、ちょっとそれやめといたら? と横槍なおせっかいのひとつも言ってあげたくなるのは人情。

 だから今回、筆者はこのことを言っておきたいのだ。



●あらゆるスピリチュアルは、このおばあちゃんの話と同じ。

 理屈上の辻褄は合うんだけど、裏付けが一切ない。

 もう、発信者の人間性を信じるしかないレベル。



 たまに、科学的な宇宙論や物理学の話を持ちだしてきて、鬼の首を取ったように「スピリチュアルは科学ともちゃんと一致する」ということをウリにするものもあるが、何ひとつ証明されていないからね!

 スピリチュアルがかった一部の博士や教授が支持している、という程度のレベルを、ちょっと誇大広告的に言ってるだけだから。

 いやらしいことを言うと、本当の実感をもってスピリチュアル的真理を理解し実践している人って、少ないと思う。あとは、実感はないけど有名な発信者を信じて「ホンネではよう分からんけど、先生がおっしゃるからそうなんだろう。頑張っていれば、いつか分かる日も来るだろう」なんて、いつか分かる未来が来ることを信じて継続されている方もいる。

 本当に信心深いことだ。宗教と何ら変わりない。



 別に、スピリチュアルを何もするな、ということが今日の話の焦点ではない。せっかくの人生だ。あなたが信じたいもの、懸けたいものに情熱と本気を注ぐのは素敵なこと。

 ただし、真理やそうでないや、正しいや間違いやを言いだしたらいかんぜよ、ってこと。そこだけ注意して、遊びなさいということ。

 スピリチュアルはどれも、詐欺まがいのものや悪質なものを除きどれもどんぐりの背比べ。部活動のバリエーションみたいなもので、何を信じてもいい。

 でもちょっとでも疑わしかったり、信じ切れない部分があったり、合わないなと感じたなら無理せんとやめなさい。仮にやめないにしても、趣味の世界と割り切ってそれほどガチで真剣にならず、気楽にいきなさい。

 うまくいかないことがあっても、気楽にいきなさい。決して、うまくいかないことで自分を責めたりしてはいけない。



 筆者が本書で日々言うことも、「100キロで突っ込まれたら、101キロ出して逃げなさい」みたいに、雲をつかむような話も多い。本当にそれが最善なのか、確かめる術もない。理屈はそうかもしれないけど、果たしてそれでいいのか? と思われる話もあることと思う。

 だから、信じなくていい。あなたが趣味の問題として、採用する気になるかどうかである。

 そして趣味で始めたなら、万が一うまくいかなくてもまた次、という気軽さで行ける。なぜなら、その方法はひとつの方便にすぎず、それでうまくいくとは限らないから。

 ただ、ある法則を「真理」として固定してしまうと「それでうまくいくはずなので、うまくいかないと同じことをまたやり直し」ということになる。人によっては何度も失敗し、何度目かの失敗の後「自分ってダメだな」という自己評価を下すことになる。



 確かなことなど、実は何もない。

 でもスピリチュアルは、一般人には確かでないレベルの話まで確かなカテゴリーに入れてしまえる人種で成り立っている。それは、フツーの感覚の人が聞くと唖然とするほどである。

 もう、「悟っちゃった」とか「宇宙人に会った、霊が見え交信している」という人のことは置いておきましょうよ。そういう人には、何を言ってもムダな境地に行ってしまわれているので、ついていきたい人だけついていけばいい。ただ、あなたが無理に頑張る必要はない。 

 


 あなたが実感もしておらず、ただ話を受け入れてそのスピリチュアルのファンをやっていて「いつか分かるはず」という立ち位置にいるなら、やめることを考えたほうがいい。

 あなたは、あなたが今現在理解でき疑わず全力を懸けられる何かを探した方が断然いい。 

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