最後には「どうでもいい」
今回冒頭に掲げる例話は、若い世代にはピンとこない話題である。
かなり昔のCMのお話。お茶と海苔の老舗メーカー『山本山』のCMで、かなり有名なキャッチフレーズがあった。
●上から読んでも山本山 下から読んでも山本山
懐の深い、優しい一般人なら「ふぅん」で流してくれるだろう。
でも、細かいことを粘着気質に気にするような人間はこう突っ込む。
●下から読んだら『マヤトモマヤ』やんけ!
……私も書いていて、実に下らなくなってきた。
確かにその通りだけど、ウケ狙い以外では、そこまで突っ込む価値はない内容だ。
CM作ってるところは気分良うそれでやってはるんやから、そっとしとけばええやろ? ホント、どうでもいいっちゃいい話でしょ?
筆者は、この「どっちでもええやん!」という感覚こそ、スピリチュアル界にも必要だと思うのだ。
皆さんもご存知の通り、実に数多のスピリチュアルが今日存在する。
きっと、それぞれの発信者は自身の発信に自信と確信を抱いていらっしゃるはずである。そうでないと、恥ずかしくて発信なんてできないよな。
でも、それは一歩間違うと「これが真理ですよ! 他の違うこと言うのに騙されてはいけませんよ!」というニュアンスを込めたメッセージを発信してしまうことにもなりかねない。
受ける側(消費者側)も賢くならないと、自分で考える脳を持たないと、気が付いたら染め上げられ、盲目的になってしまう。しかもこの問題の難しいところは、指摘しても本人は断固として認めないというところにある。本気で「いや、その指摘は当たらない。むしろ自分は真理を悟ったと確信しているので、それをまだ知らない人に教えてあげる使命がある」などと思ってしまう。
かつて、自分が体験したから良く分かる。
これだけ。唯一。絶対。真実はひとつで、他はウソ。
そういう世界を、病むまでとことん追求して来た私が、最後に波に打ち上げられ、漂着した島は——
●どっちでもいい島
そんな名前の島だった。
筆者が賢者テラという名で活動する前、大いなる気付きを得たその時。「ど~でもいいですよ~」のだいたひかるが、それまで信じてきた教祖様やイエス・キリスト以上にありがたいご神体に思えたものだ。(← これもおかしい)
宇宙最強の気付きのひとつ。宇宙最強のキーワードのひとつ。それが「どうでもいい」なのだ。
もちろん、文字通りそのままの「どうでもいい」というのではない。
目標に向かい、願望実現に向かい精一杯の努力をする。人事を尽くし、あと自分にできることはない、という所まで行った時。そしてあとは結果だけを待つようなことになった時に初めて使う言葉だ。
悔いなくやった。ゆえにその結果がどうでも「どっちでもいい」、ということ。
そこをどっちでもよくない、つまり「勝たなきゃ意味ない」「結果がすべて」とするから辛いのだ。
思うに、ヒーローものとかで正義の側と悪の組織側の違いって、もちろん善悪ということもあるけれど、一番の違いは——
●結果がすべてかどうか
時々、悪側で正義のヒーローを倒すのに失敗した幹部が、首領に罰せられることがある。自分に忠誠を尽くし頑張ってくれたというのに。
なぜなら結果がすべてだからである。だから情け容赦がない。で、その幹部は思うわけだ。
「どうして? 私は誠心誠意ここに尽くしてきたのに! 確かに失敗したけど、これはあんまりだ!」
そこで、気付くわけだ。自分は間違ったものを信頼したのか? と。そうすると、今まで憎い敵でしかなかった正義の味方が、別の見え方をする。
で、正義の側に「お前は利用されただけだ」「こっちへ来て、一緒に戦わないか?」なんて優しい言葉をかけたりして、寝返るという展開がある。仮面ライダーや戦隊シリーズ、プリキュアでもこういう話は散見される。
善悪という分け方よりも、「成果主義で結果がすべて。その前では言いわけできない」考え方なのか、「ありのままを認める。その人の誠意や頑張りなど、光る部分にスポットを当てて、育てていく」姿勢なのか、という分け方の方が善悪をうまく説明しているような気がする。
どうでもよくない、というこだわりが必要な場面は確かにある。
でも、四六時中ずっと、ではない。いいや、むしろ頻度は少ない。どっちでもいい、という状況の方が多い。
こだわることで幸せや成功をつかむよりも、こだわらないことでつかめれる方が機会が多いと筆者は感じる。
本書は、フツーに読めば文句や辛口の言葉も多く、「こだわっている」「こっちにしろ! 的な断定口調」と取られやすい。でも、筆者は自身のブログのトップページで次のように告知している。
●本当の真理、他より正しいスピリチュアルをお探しの方には向きません。
筆者が、好き放題言うだけの内容になっております。
つまり私はホンネで「実は何でもどうでもいい」と思っている。
でも、せっかく「選択し、その影響が反映した結果を味わえる世界」に生きているので、自分にフィットしたもの、心地の良いものをあえて選択して「こだわりごっこ」をやっているわけだ。
だから、本書の記事内で私が何を言おうが、結局落としどころは「ど~でもいい」というところ。
基本、よそのスピリチュアルが何を言ってもどうでもいい。その内容だけをもって批判など絶対に言わない。
でも、ひとつの個性、考え方に過ぎないスピリチュアルが下手に売れてしまいメジャーとなり、それに向かない(合わない)人まで追随しようとして苦しむのを見るから。「自分が悪いんだ。もっとちゃんと教えの通りにしないと!」と頑張ってしまう人を見るから、私はどうでもいいところをあえて「人助け」で、そういう「調子乗りスピリチュアルのご意見番」を買って出ているだけだ。
ま、見ている人はそんな多くないし、脅威にすらならないだろうけどねっ。
たった数人でも、自分の無理に気付いて心が軽くなってくれる人がいるなら、それだけでもいい。どうでもいいところを、どうでもよくないを演じている甲斐があるというものだ。
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